シグナル抽出にはゆとりと漸進性が必要である

今回は異文化交流や民主主義といった大きなテーマからは少し離れて、日常的な仕事のスタイルについて議題提起する。著者が現職場に移って再認識した大事なことの一つは、飛躍的な成果が求められる基礎研究であっても、急進性ではなくゆとりのある漸進性が大きなアドバンテージをもたらす点である。イノベーションが非連続におきることを根拠として、不連続なプロセスを奨励する輩が散見される昨今だが、連続的かつ「のろま」であることが最大の競争力になる場合があるのだ。そして漸進性のもつ優位性は、Karl Popperが述べたpiecemeal social engineeringを例えば正当化する。民主主義における、保守的で非中央集権的な意思決定プロセスが、スピーディーだがハイリスキーな独裁者の意思決定よりも、長い目で見ると生き残るのかが何故なのかが示唆される。ただし今回は仕事スタイルに話を限定し、民主主義と漸進性との関係については次回以降のトピックとする。


The Open Society and Its Enemies

本日のインプリケーション

  • 不確実性の大きいビジネスではゆとり/漸進性/品質を重視したものが、スピードを重視したものに勝る
  • 競争相手に先を越される悪夢を見るのが嫌なら、とても難しい課題を要求される仕事につこう
  • 保守的にリスクを取り続けろ。リスクフリーを求めてはいけない。逆に最適水準を超えたリスクも取ってはいけない

計画と無計画の寓話

ある高山の頂上に、大量の金が埋まっているという情報がもたらされた。もちろん普通は山の頂きにそんなものはない。これはフィクションだ。さて、3つの登山グループが金鉱発掘に名乗りを上げ、登山装備の資金を援助してくれるスポンサーを募った。3グループはそれぞれ異なる登山計画と、スポンサーへの依頼を持っていた。

最初のグループAはその山の詳細な地図を入手し、その地形情報を生かした精密な登山計画を作り上げた。スポンサーに対するメッセージは、自分たちの最適化された計画なら一週間で金鉱にたどり着くので往路一週間+復路数日分の資金を援助して欲しい、というものだった。グループAが要求した金額はもっとも低かったので、あっさりとスポンサーが決まり彼らは意気揚々と入山していった。

次のグループBは山の詳細な地図をあまり見なかった。その理由は、地図に間違いがあるかもしれないし、どうせ壁にぶつかったら計画を変更しなければいけないから事前の計画にあまり意味はないということだった。彼らはその代わりに、現地に入ってからの試行錯誤を努力すると主張し、そのために往路に二週間の資金が欲しいと言った。二週間で見つからなければ我々は撤退するだけなのでスポンサーのロスは限定されており良い投資機会だと主張した。資金グループAほどすぐではなかったがスポンサーが見つかり、彼らもまた入山していった。

最後のグループCはスポンサー獲得に難儀した。彼らはグループAと同様に地図を入手し、登山計画も練った。しかし地図の正当性をグループBと同様に怪しんでいたので、グループAほどには各チェックポイントに詳細化された計画は作られず、高度ごとに装備を見積もる程度の計画となった。頂上までの所要期間を三週間と見積もったがスポンサーには往路に九週間の資金を要求した。彼らはこう述べた。「我々は現時点の計画に自信がありません。現実と地図との間に想定外の食い違いがあるかもしれないし、突然クマに襲われて装備や食料の半分を失うかもしれないから保険が必要です。三週間をターゲットにしますが、六週間たった時点で金鉱を見つけられなければ下山し撤退します。また下山にも想定外のコストがかかり得ますから最低九週間分の往路資金がなければこの計画は開始しません」このグループCに対する大半のスポンサー企業の対応は芳しくなかった。「冒険家たるものリスクを恐れるとは何事か」「そんなに金のかかるプロジェクトに資金は出さない」云々。しかし彼らはスポンサーが現れるまでは決して入山はせず、また他グループに金塊を取られたらそれまでとして競合も意に介さず、後日たまたま手を挙げた一社からの資金拠出を頼りに遅れて入山した。

その後何が起きたであろうか。

グループAは登山途中で、実際の地形と地図とが食い違っていることに気づいた。そして彼らの立てた計画では、間違いが存在するエリアに関して特に誤った過剰最適化が施されていた。入山後に彼らは過ちに気づき、下山かルート変更を試みようとしたが、装備と食料が足りなくなり進退極まった。その主因は最小限のコストしか請求しなかったためである。彼らのその後は分かっていない。

グループBはグループAほど地図の誤りの可能性に無頓着ではなかったが、彼らのルートは行き当たりばったり過ぎて頂上に近づいている様子が見られなかった。その時間浪費の結果二週間が過ぎ、当初の予定どおり下山した。彼らは無事ではあったが、登山金鉱探しは割に合わないと主張し、その後二度とチャレンジしていないようである。

グループCのその後は数奇であった。最初の登山においては、彼らもある高度までは達したがその後はグループB同様行き詰まり、下山せざるを得なかった。ただ下山のタイミングを前倒しした。撤退は六週間目と事前に通知していたにも関わらず、四週間の時点で下山を決断した。その代わり下山をゆっくり行うこととして余裕資源を環境調査に当てた。そして敗残報告後、次のスポンサーを募った。次の資金繰りは初回よりずっと難儀したがそれでも一社現れ、二度目の登山がはじまった。二度目の登山は前回よりも効率よく進行した。その主因は、経験と追加調査によって、地図と実際の地形との一致部分と不一致部分とがある程度識別できるようになっていたためである。しかし高度が上がるにつれそのような識別能力も役立たなくなり、二度目の下山タイミングが来てしまった。今回も彼らは下山開始を前倒しし、余裕資源を使って地下鉱脈のサンプリング調査を行った。

グループCはまだ諦めなかった。しかし、資金を一番ふんだんに二回も使って失敗した彼らに対する企業の目は冷たく、三度目のスポンサーはほぼ現れそうになかった。彼らは最後に風変わりな富豪から関心を持たれた。その富豪はたった三つの質問をした。1. 今までの下山において、早期撤退を決めた理由は何か? 2. なぜ余剰資源を使って余計な調査をしたのか? 3. 往路三週間の見積もりに対して、なぜ今まで九週間しか資金を要求しなかったのか。なぜ十八週間や三十週間とは言わなかったのか?

グループCは撤退計画というのは最大まで待てる期間であってその一線を超えると常に死に近くこと、そのため自分たちはいつも保守的に計画を立てることを説明した。調査は後日の分析に不可欠であり、調査のない登山は行わないことを説明した。九週間という見積もりについては、実はそれすら内心は少ないと思っており、スポンサーの顔色を伺って誤って金額を小さく要求してしまっていたことを認めた。彼らは何より、ゆっくり一歩ずつ登れる計画しか採用しないのだと言った。どれだけ他者から臆病だと言われようと。

富豪は、三週間すら内心は少ないと思っていたという彼らの回答をむしろ喜び、三十週間ぶんの資金拠出を提案した。その代わり山頂で本当に金塊が見つかった場合にはその70%を自分に渡すことという条件を要求した。登山の成功そのものが目的であったグループCは度量の大きさと強欲の混じったその条件を受け入れ、最後の登山が始まった。今回は2回目よりもさらに効率的により高い高度まで来ることができたが、案の定ある高度以上から予測が効かなくなった。しかしこの予測が効かない主因が、彼らがこの山が単峰であると思い込んでいた点であることに気づいた。過去の地形・鉱脈サンプルから推測するに、資源の眠っている頂上はみなが思っているよく見える頂上ではなく、別のより小さな頂にある可能性が高いと彼らは判断した。最高地点に達した栄光と、資源を掘り当てて富豪に資金を返す真の成功とを比較し、彼らは後者を選ぶことにした。小さな頂に向かい彼らはついに鉱脈を見つけた ただしそれは金ではなくてプラチナ鉱だった。彼らは契約を臨機応変に判断して富豪に相当額を渡した。

最後に大笑いしたのはこの富豪である。彼はリスクを過小評価した不適格者たちが失敗するのを見るにつれ、企業スポンサーたちの性急な成果要求よりも、自分の「待つ投資」に最大のアドバンテージがあるという自信を持った。そして彼は、自分の無知さ加減を的確に理解しているリスクテイカーが現れて彼の代わりに貴金属をごっそり取ってきてくれることを、ただじっと待っていたのだ。

シグナルだけ or ノイズだけ or ?

極めてまわりくどいストーリーで申し訳ない。著者の脚本力の弱さが露呈する作文であり、いくらでも変更の余地があるだろう。無論これは単なるフィクションである。しかし多くの脚本と同様、示唆を含めてある。

読者諸賢はすでに想像されている方も多いと思うが、グループAはソ連型思考をする人を揶揄して描いたものである(実際のソ連の官僚はもっと賢いので誤解なさらぬよう)。理性の暴走を象徴している。不確実性のもたらす帰結を無視し、理性や計画を過度に信用することの問題点を明らかにしている。ある種の大企業勤務サラリーマンの思考もこれかもしれない。

グループBはその対極に位置するもので、リバタリアンの一部に代表されるような反知性主義者をイメージして設定した。無知の暴走という表現もできるが、より正確には、反知性主義を積極活用するあまり知性の利点を捨てすぎてしまった人たちである。一部のベンチャー企業経営者もこういうところがある。彼らは、無意味な学問権威や過度な計画主義に騙されないだけの自立した頭脳を持ってはいるのだが、自分の対極に位置する人たちを馬鹿にするあまり計画自体の利点をも無視してしまうことがある。すでにあるデータは積極活用すべきなのだ。完全な計画に問題はあるが、無計画にもやはり非効率性の問題があるわけだ。


アメリカの反知性主義

グループCはどこかに存在するであろう中庸としての人格を想定して描いたものだが、一番注意してもらいたいのは彼らの思考プロセスにおける以下の特徴である。

  • 彼らは自分自身の思考や身の回りのあらゆる情報が、一部間違っていると仮定する
  • それでも彼らは計画を立て、観測された情報の中でシグナルとノイズとを識別しようとする。シグナルと判定された情報なら計画に使っても良いのだ
  • 彼らはゆっくり仕事を進める。彼らの日常業務では、成功を手に入れる最終目標に向かってジャンプすることではなく、成功と失敗とを分ける識別器を作ることに多くの時間が割かれる。この漸進的で着実な分析態度は、早い成功をよしとする人々からはのろまかつ臆病だと思われている
  • 彼らは保険を最大限にかけ、保険を提供しない資金源とは契約しない。このコンテクストではNo deal is better than bad dealである

複雑で不確実な環境においては、何が成功の要因となるのか分析自体に長い時間がかかる。真の要因は限られた少数であっても、高いノイズのせいであらゆる要因が結果に結びつくようにも、全く結びつかないようにも錯覚する。ただ確実に言えることは、この長い時間と漸進的な分析を許容してくれる資金源としか協力関係が成立しないということである。

漸進的に進む組織の巨大な優位性

著者は現職に移って以降、はっきりとした確信があるのだが、仕事をゆっくりやることで、注意力の最大化という強力なアドバンテージが産まれる。バイサイド金融のように極めてノイズの高いデータを扱う世界では、この注意力こそが、己の知性を過信した匹夫の勇よりもずっと大事なのである。

高い注意力は多くのインサイトを生み出すため、結果的には効率的に最終的なゴールへと私たちを導いてくれる。ハードなデッドラインを先に設定されてしまい期日を守ることに主眼がいった結果、統計的に効用の疑わしいアプローチに飛びついてしまうという、近視眼思考がもたらす破綻は、ゆっくりした思考と高い注意力のもたらす果実からは対極に位置している。

著者や友人の過去の職場では「締切ドリブン」の仕事カルチャーが多く散見されたが、これはおそらく多くの企業で生産性悪化の主因になっている。効果が疑わしい方法を実際にマネーが動くビジネス現場で実践しても、長い目で見れば結局は時間と金の双方を失うだけだ。現実は楽観的想定よりも遥かに残酷である。Progressが早く出るに越したことはないが、疑わしい結論を急いでだすアナリストよりも、時間をかけて信頼性のある結論を出せるアナリストを信用すべきである。「70点で良いから早くレポートしろ」というカルチャーは、不確実性の高い世界に移るほど悪く作用する、と申し上げておこう。ただしこれは最終的なプロダクトに関しての話である。社内ミーティングなどの内輪の進捗報告は1つ小さな実験を進めるたびに1つ持つくらいでちょうど良い。70点の内部報告を30, 120点のプロダクトを1回という感じだろうか。多くの内部報告をテキストとして明文化された資料に残すことで、いくつもの努力の中で何が大きなターニングポイントになったのか、どの知見が他の未来のプロジェクトにも転用可能か、メタレベルで後日分析することが可能になる。この120点になってから出すという方針はおそらく、シリコンバレーで主流の「早くプロダクトを出せ」というメッセージの逆に映るだろう。後述するが、最適スピードが不確実性の関数であることを理由として、反転した結論のどちらもがTrueになり得る。

また自身の漸進的態度に加えて、ゆっくり確実に進めるプロセスを尊重してくれる資金源/意思決定者を上位に持つことが大事である。本日の寓話は、日本の多くの企業で本来必要なレベルの余裕が失われ、破綻に向かう三流ギャンブラーのような意思決定者が増えつつあるのではという危惧から思いついたものである。ヘッジファンドのように不確実性が高くしかも極めて多くの競合他社がいる世界でさえ、いやむしろそのような環境だからこそ、遥かに高いレベルのアウトプットを出すための十分な余裕を社員に与える必要がある。

クォンツ投資をかじった人間なら知っていることとして、賭け事を行う際には超えてはならないリスク水準というものが存在する。著名なケリー基準はその一例である。この水準をちょっとでも超えた賭けを行うと、破綻確率が急速に高まる。そのため、長く生き残る実務家は、限界リスク値に対して常に保守的な量の賭けしか行わない。たとえばギャンブルでは半ケリー基準というものがよく使われる。同時に覚えておいて欲しい点は、保守的に賭けるが賭け行為自体は止めずにずっと続けるという点である。リスクフリーな環境ではなく、保守的リスクテイクを継続する環境に身を置くとよい


天才数学者はこう賭ける―誰も語らなかった株とギャンブルの話

最近の日本の労働者の多くは、臆病でのろまな態度だと競合他社に抜かれてしまうという、保守性のアドバンテージを無視したメッセージを経営者から口酸っぱく聞かされてきたのではないだろうか。しかし実は、性急を急ぐ意思決定者こそが競合他社の結果を待つまでもなく先に自滅していくというのが困難なビジネスにおける実態なのだ。もしスピードが最優先事項だと言われたら、自社のビジネスはwinner-take-all効果が働く世界かどうか、そしてwinnerとなるプロダクトが明確であるかどうか問い返すか自問自答すると良い。もし明確な回答が出なかった場合、スピードが最優先というstatementはおそらく間違っている。目的関数がわからない時点で、あなたは不確実性の高い環境に住んでいることが示唆されているから。

最適速度は不確実性の単調減少関数

より正確には、最適なスピードと信頼性のトレードオフは不確実性とノイズの関数として表すことができる。不確実性が高ければ高いほど、着実性を重視しゆっくり進めるものが最後に生き残る。ノイズ項が極めて大きく、かつたった一つのノイズ因子でも容易に挑戦者を破綻させる環境の場合、信頼性を確保する前に次に進むあらゆる挑戦者がノイズによって墓場送りにされるためである。難しい課題にチャレンジすることは常にお勧めだ。敵に先を越されるリスクをあまり考えなくてよいからである。もし信じがたい速度で先を行っている競合がいるように見えた場合、ほっておいてもその競合はおそらく自滅する。

したがって逆説的ではあるが、不確実な環境に身をおけばおくほど、競合他社が自滅する敵失を期待できるために、かえって自分の本来の競争力強化に集中できるのである。著者がときどき想像することの一つに、Amazon.comJeff Bezos氏が大成功したことと、彼の最初の職場が著名ヘッジファンドのD. E. Shaw & Co.だったこと、彼がNassim Nicholas TalebBlackswanを愛読書かつ自分の部下に強く進めていることには強い関連があるのだろう、というものがある。D. E. Shawでの経験はBezos氏にとってBlackswanのメッセージをごく理解しやすいものにし、そして自らがPositive Blackswanになるにはどうすべきなのかの指針を多く提供したのではないだろうか。


ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質

反対に、不確実性が低い場合にはスピードを最大化したものが勝つ。これは少ないサンプルサイズで十分な信頼性が得られることに起因するためで、ラフな分析や直感でも勝利手段がすぐわかる環境である。石油利権にいち早く群がるとか(そのアドバンテージがあまりに明白だ)、コンピューター産業の黎明期には、一部の領域で品質よりもスピードを重視したベンチャー (e.g., MS-DOSや初期Windowsを開発したころのMicrosoft)が大勝利した。これらのケースでは明確な目標(e.g., Operating SystemOffice Softの独占)を最初に達成したものがwinner-take-allすることが明らかであり、その成功確率はほぼ単にスピードの関数である。Bill Gates氏やPaul Allen氏の類稀な才能ももちろん勝因ではあるが、Microsoftの成功とヘッジファンドの成功要因はおそらく異なっているのだろう、というのが著者の見立てである。

著者個人の仕事についても、三ヶ月立ったこともあり(日本時代の仕事ではこれはコンサルティング・プロジェクトを一つ終えるくらいの期間であった)、大きな成果に対するプレッシャーを毎日感じてはいる。しかし同時に、インサイトの確実性・信頼性を重視しスピードの優先順位を次点にしてくれる職場環境をありがたく感じている。そしてこの信頼性重視の企業文化が、実際のところ著者自身が入社前には想定していなかったレベルの高品質なトレーディング・モデルの開発に結びつきつつあり、いよいよ仕事が面白い領域に入ってきたと感じているところだ。読者諸賢の職場環境はまた違うことと思うが、企業文化の改革に関して何かきづきを提供できたならば幸いである。

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問題と事業は選べる(そして選びなさい)

半年ぶりの投稿である。ブログは滞っていたが仕事や私生活では多くの学びがあって、それなりに充実した半年間であった。毎回数式やグラフを書いていると執筆が滞りすぎること(つまりこのブログは去年ダッシュしすぎたということだ)を考慮し、文章だけで良いからもう少し頻度を増やそうかと考えている。そう考える理由は、ここ最近良い研究トピックに出会って趣味レベルの数式をブログに書くよりもpublish or monetizeに集中しようと考えるからだ。本日書くのは、3年くらい前からずっと感じていることで、研究テーマの選択と事業領域の選択に関する共通性である。

問題を解くのではなく発見する

研究者の世界では、新しい問題を発見してかつ自力で解いた人が大きく評価される。既存の問題の新しい解法を発見した場合でも背後の数学や実験がきちんとしていれば論文にはなるが、どうしても後追い・インクリメンタルな改良として次点の評価になりやすい。改良型の論文が評価されにくいことを嫌がる人もいるようだが、第一人者を最大限賞賛するこの文化を著者個人は正当だと考えているし、これこそが研究にギャンブル性を持ち込む面白い点だということで気に入ってもいる。

他人の定義した問題を改善する研究は数式を不必要にこねくり回すことが多い。著者のように、数理的・統計学的アプローチの研究では特にそうだ。たとえば既存の研究に調節が難しいハイパーパラメータ (この単語の意味がわからない読者には、アルゴリズムのふるまいを調節するバルブだと思っていただければよい) があったとしよう。そのハイパーパラメータを合理的に決める方法 or 最適値の解析解もしくは近似解は、その導出が厳密なら一流論文誌や国際会議でpublishできる。大概、その厳密な導出の背後は複雑な積分値と、その上界 or 下界を与えるための不等式 (それどこから持ってきたの? と言いたくなることが多い) の山になる。

導出までシンプルな研究成果ならいいけど、難しい数式の山を見ると (かつては著者もそういうものにのめり込む傾向があった)、こう思ってしまうのだ。

  • その難しい数式に納得できない人は、その研究成果を利用しようと思えないのでは?
  • その数式をさらに展開させられるような一部の数学エリートでないと、この研究の先が発展しないのでは?

もしあなたが研究成果に関する全てを支配したいなら、複雑数式論文もありだ。けれど、あなたの研究目的が小さな世界での独占ではなく、社会全体の発展に寄与すること、そして第一人者としての名声 or 金銭をいくばくか得ることなら、研究成果はむしろ単純な方がいい。単純な事実と結果との対応であれば、それを応用したい人が実務家・研究者の双方で増えるだろう。そこであなたのフォロワー (Citationの増加を含む)が増えることで、あなたの目的が最大限に達成される。

そういう背景事情があるからこそ、すでに大枠が決まってしまった問題で数式をこねくり回す人より、社会的意義があるが皆が気づかなかった新しい問題を発見・わかりやすい解法を見つけた人が評価されるのである。解法の難度としては、あらゆる人間が理解できなくてもよいが、ある程度素養がある人が十分理解できると素晴らしい。更には、トリッキーなアイデアに支えられていて、盲点で気づかなかったが言われて見れば当たり前な方法は良い評判が得られる。コロンブスの卵である。

で、今日コメントしたいこと。研究の世界では多くの研究者仲間で広く合意があるこのカルチャーは、ビジネスの世界に全く共通のものがあっておかしくないはず。しかしビジネスの世界では、これと逆をわざわざやって不必要な茨の道を歩む人が沢山いるように思えるのだ。Amazon社のように最初にわざと困難(e.g., 赤字続き)な道を歩くことで圧倒的シェアを確保し、あとから独占を謳歌する戦略ならまだわかる。でもこの2年間くらいで著者が見かけた人々は、このような長期戦略があるわけじゃなくて、「ただ痛みしかない茨の道」を選んでるように見えた。


ジェフ・ベゾス 果てなき野望-アマゾンを創った無敵の奇才経営者

投資家は事業を選べる

もしあなたがプロの雇われ経営者で、ヘッドハントされてある会社のCEOになるよう説得された場合。そのオファーを受諾すれば、あなたが個人的にどんな事業に興味があるのかに関わらず、その会社のコア事業をまずは何とかしなくてはならない。それが株主や顧客・従業員に対する責任であって、それが嫌ならCEOになってはいけないのである。そしてこの選んだ事業が、どんなに優秀な経営者であっても構造的に復活させようがないということは実際にある。Warren BuffettがBerkshire Hathawayを買収したとき、最初は繊維産業を復活させようと悪戦苦闘したが結局断念したことを思い出して欲しい。

しかしBerkshireは投資会社としてその後劇的に成功しており、Buffettの経営者としての能力は高いものであった。問題は当時の繊維事業のほうである。投資は経営者ではなくて事業に賭けなければならない。Buffettは「馬鹿でも経営できる会社を選びなさい。いずれそういう人が経営につくのだから」と言っているし、投資の世界では「競馬と逆で騎手ではなく馬に賭けろ」と言われる。なお競馬では騎手に掛けるべきなのかどうかも著者は知らないので、もしかしたら「競馬と同じで騎手ではなく馬に賭けろ」かもしれない。著者の友人には尊敬できる経営者もいるし彼らの成功を願っているが、彼らのビジネスに対する率直な評価は経営者個人の資質よりも彼らがどのような事業を行うのかの方に常に向けられる。

世の中には構造的に参入障壁 (堀) が気付きやすく安定したキャッシュフローが得やすい事業形態と、参入障壁がなくて過当競争で延々と苦しむ事業形態との区別が厳然としてある。この点に関しては世の中は全く公平に出来ていない。あなたが人生全体を自虐に捧げる気がない限り、投資は前者のタイプの企業を選ぶべきである。キャッシュフローが予測しやすい会社は株価の妥当値が計算しやすいため、株価が下がったときにそれが本当に割安かどうかも判定しやすいのである。

ではどのような事業が深い堀を持っているのか。この点について述べた参考書はいくつもあり統計的分析と絡めた良書が著者のお気に入りである。しかし統計分析まで行かなくても、たとえば下記のパット・ドーシーの著書は良い知見のオンパレードである。あまりにオンパレードで覚えきれないので、ときどき読み返している。単なるおすすめコメントだけだと納得しないであろうから、一例だけ抜き出そう。アメリカの場合、プロパンガスを集合住宅に供給する会社は安定して利益率が高いのだ。なぜでしょう?


千年投資の公理 ──売られ過ぎの優良企業を買う

その一つの理由は、建物の大家がガス会社をいちいちスイッチするのが面倒くさいからである。そしてこの面倒くささは、プロパンガスのタンクが買取ではなくリースによって運営されていることで強化される。業者を変える場合、自分の保有するタンクをそのままに単に補給源だけスイッチするというわけにはいかず、ガスタンクの設置・撤去などで高い手数料を取られるかもしれない。スイッチコストの高さからガス会社を変えないという大家は多いようで、プロパンガス会社は大したイノベーションがないにも関わらず高い利益率を延々と享受している。無論のこと、この高いガス代は大家および居住者が結局余計に支払わされることになるのだが。

一方で、おなじエネルギー関連産業でも石油精製企業は利益率が低い。なぜだろうか。その答えは、石油精製物はプロパンガスと違って軽く、パイプラインで容易に他の地域から運ぶことができるからである。その結果、顧客は絶えず遠方の石油精製会社からより安い精製物を運んできてコスト削減しようとするそうだ。この場合、規模の経済によって独占状態のグローバル大企業が勝つか、または価格競争で全社共倒れになる。プロパンガスは石油精製物と違って輸送コストが高く、ローカル企業が生き残りやすい。これだけ書くと読者にも想像がついてくると思うが、物理的に重いものを扱うビジネスではローカル企業がグローバル企業に勝てるケースが散見される。砂利会社などもそうだ。

他の儲け方としては、銀行が引き落とし口座を変えたがらない顧客が多いのを悪用してATMの手数料を毎年値上げしている構造などが紹介される。顧客満足度が高い企業は将来大きな利益をあげられるという考え方が盲目的に信奉されているが、おそらく「価格をインフレ率以上にあげても顧客の満足が変わらないこと or 顧客が逃げないこと」というのが本質的なビジネスの強さだろう。Berkshire傘下のSee’s Candyというチョコレート会社があるが、この会社は驚異的でインフレ率+数%のオーダーで20年以上コンスタントに値上げをしてきたにもかかわらず顧客が離反しなかった。著者はSee’sは甘ったるくて全く好きでないのだが (スイスのLindtの方がずっと好きだ)、著者がマズいと思うチョコレートでも中毒になる消費者がいるのだからこのビジネスは大成功である。それ以外の、価格を割り引いてあげたから顧客が満足しているというのは、トラックすべき顧客満足度とは違うのである。どうもこの点が我が国では総体として理解されていないように見える。

起業家と就活生も事業を選べる

さて、投資家は構造的に不利な業種を避けて選択が可能であるが、家業を継いでしまったなどの特殊事情がない限り、他の立場の人も実は事業を選べるのだ。その筆頭は起業家である。起業家の成功の80%は選んだ事業で単に決まっているのではないかとさえ思う。社員が少ないうちは事業のピボットは可能であるものの、勝ってもほどほどのリターンなのに負ける可能性が高すぎる事業は始めから無視すべきではないだろうか? あなたがわざわざやらなくても他の、おそらくはあなたの代わりに犠牲になる起業家や、もしは既存の企業がやってくれるのではないか?

更には、単に就職・転職する立場の一般労働者も選択が可能だ。ここで注意すべきは、構造上儲かりやすいが労働側はコモディティであり、人件費が抑圧されている業種もあることである。こういう企業は投資家として株を買うだけに留めて社員になるのはやめた方が良い。でも人件費がそれほど抑圧されていないようであれば、その会社への就職を実際に考えても良いのでは? プロパンガス会社の社員の給料がどの程度かは著者にはわからないが、もしまぁまぁの水準なら、しょっちゅう宣伝が出ているインターネット企業よりも、無名のプロパンガス企業に行った方が賢いんじゃないか?

しかし起業家も就職を考えている学生も、驚くほどに業種の選択に対して無知であるように見える。巷にはリーダーシップやシリコンバレーの文化に関する本が溢れている。そしてそれらの自己啓発的な内容に触発されて最も参入障壁のない世界に突撃する人は後を絶たない。もちろん、例えばビジネスSNSのLinkedInのように、インターネットの世界では勝者になれば、ネットワーク外部性・winner-take-all現象によって驚くほどの利益を享受できる。しかし内心勝てるか疑問視している人は、別の道を考えて良いと率直に思う。またプロパンガスはニッチ企業だがインターネットはメジャーだという意見には異を唱えておこう。先ほどのパット・ドーシーのリファレンスにはメジャーな大企業であってしかも堀をたくさん持ったビジネスの例が多く出てくる。このリファレンスの方が起業マニュアル or 自己啓発本よりずっと役に立つと著者は思ってしまうのだが、いかがだろうか。

投資アドバイスを聞いて株を買う代わりに就職先を決めたって何の問題もない。株式投資の標準的教科書は間違いなく就職活動に役立つのだが、株はでたらめな書籍が大量に出回っているため、初学者が真のテキストになかなかたどり着けないことが問題なのだろう。

知られていないが、より有利な選択

再び研究の世界に少し戻って、著者がこの10年間で観測した面白い話を一つ紹介したい。著者のメインの仕事である機械学習モデリングでは、ディープ・ラーニングが全盛を迎えていることは多くの人が知る通りである。このディープ・ラーニング技術の三大巨頭として知られるGeoffrey Hinton, Yann LeCun, Yoshua Bengioの3人はいずれもカナダの大学教授であった。このうち、Yoshua Bengio教授やその弟子の論文を著者は、意図せずたまたまであるが10年前に集中的に読んでいたことがある。ただしその頃駆け出しのひよっこだった著者はBengio教授らの深淵な計画を理解することができず、Bengio教授のやっていること (how) を知ることは出来ても、なぜこの研究をやっているのか (why) が理解できなかった。そしてディープ・ラーニング研究を先回りすることなどは全くできなかったのである。

当時読んだ論文で今も覚えているのは [1][2][3] あたりである。当時の著者は高次元空間で多峰性を持つ確率分布の精密な密度推定に関心があって、k-近傍法による局所的な主成分分析を行う [1] から読み始めた。この論文の考え方は難しくなく、著者自身の研究ではこれを上回る方法をBayesian Nonparametricsで賢くやろうと考えていた。

  • そもそもより複雑な数理手法で既存の単純な方法に勝とうという、こういう発想が二流であってアウトなのだ。他人のフィールドでプレイ失敗する愚を著者自身も経験しているからこそ、こうして後進に伝えたいと思っている。このときに書いていたWorking Paperはその後別のトピックを見つけたせいで全てお蔵入りにした。このスイッチの意思決定だけは正解であった。

しかしその後Bengio教授たちは[2][3] でニューラルネットを使った手法にこだわっていた。著者には、当時は不安定な推定手法であったニューラルネットを使う合理性が感じられなかったし、なぜ彼らがニューラルネットの道を突き進むのかも理解できなかった。今となっては、Distributional Representationの考え方とか、彼らの構想のほぼ全てが本質を突いていたことがわかる。後知恵を更に書くなら、当時まだマイナーな研究をしていた彼らにコンタクトして、その後のいくつかのディープ・ラーニング論文のブレイクスルーに参画することも可能だったかもしれない。そして、それほど人気のない彼らの一団に加わるためには当時なら競争は必要なかった。とはいえ、howしか見えずwhyが理解できなかった当時の著者にはこの選択は不可能である。

ここで更に面白いのは、この3巨頭教授たちがいずれも、コンピューター・サイエンスとビジネスのメッカとされるアメリカではなくカナダで研究していたことである。カナダの大学院はいずれも良質だが、競争の激しいアメリカのトップ大学院に進学するよりは当時は倍率が低かったのではないだろうか。Bengio教授の研究室ホームページには、「私たちはhard workする。けれどここはカナダであってアメリカではない。死ぬまで働くようなことはしないよ」と書いてあった。熾烈な競争を勝ち抜いてエリートになったけど、それとは違う傍流にいった人たちの方が後で大きく勝つなら、いったいそんな熾烈な競争とやらをする意味は何なのか? なぜハーバード、スタンフォードの難しい入学試験を受ける必要がある?

独立独歩、そしてカナダ発のディープ・ラーニングの成功は、目立つ世界で脚光を浴びることばかりに目がいって競争に明け暮れ、道端に落ちている金塊に気づかないことのバカバカしさを教えてくれる。今でこそディープ・ラーニングが脚光を浴びている存在だが、当時はニューラルネットにこだわった人たちこそがプロパンガス会社であり、他の複雑な数式に拘泥した人々は掘がなく倒産してゆくインターネット企業だったのである。

見てくれの恐ろしさ

結論は月並みである。人々は脚光を浴びることとか、儲かってそうに「見える」こと・活躍してそうに「見える」ことに惹かれすぎ、そして過大なコスト(e.g., ブランド料)を払うのだ。小さな国・村社会で育つとそういう発想が強くなるかもしれない。そんなとき、テレビやウェブサイトを閉じて家族の顔を思い出してほしい。儲かるように見える方の事業ではなく、実際に儲かる事業に参画することで、貴方は支えてくれる人たちに恩返しできる。幸せがあるのはそちらの方だろう。

Reference

[1] P. Vincent and Y. Bengio, “Manifold Parzen Windows,” Advances in Neural Information Processing Systems 15, 849-856, 2003.

[2] Y. Bengio and M. Monperrus, “Non-Local Manifold Tangent Learning,”  Advances in Neural Information Processing Systems 17, 129-135, 2005.

[3] Y. Bengio, H. Larochelle, and P. Vincent, “Non-Local Manifold Parzen Windows,” Advances in Neural Information Processing Systems 18, 115-122, 2006.