シグナル抽出にはゆとりと漸進性が必要である

今回は異文化交流や民主主義といった大きなテーマからは少し離れて、日常的な仕事のスタイルについて議題提起する。著者が現職場に移って再認識した大事なことの一つは、飛躍的な成果が求められる基礎研究であっても、急進性ではなくゆとりのある漸進性が大きなアドバンテージをもたらす点である。イノベーションが非連続におきることを根拠として、不連続なプロセスを奨励する輩が散見される昨今だが、連続的かつ「のろま」であることが最大の競争力になる場合があるのだ。そして漸進性のもつ優位性は、Karl Popperが述べたpiecemeal social engineeringを例えば正当化する。民主主義における、保守的で非中央集権的な意思決定プロセスが、スピーディーだがハイリスキーな独裁者の意思決定よりも、長い目で見ると生き残るのかが何故なのかが示唆される。ただし今回は仕事スタイルに話を限定し、民主主義と漸進性との関係については次回以降のトピックとする。


The Open Society and Its Enemies

本日のインプリケーション

  • 不確実性の大きいビジネスではゆとり/漸進性/品質を重視したものが、スピードを重視したものに勝る
  • 競争相手に先を越される悪夢を見るのが嫌なら、とても難しい課題を要求される仕事につこう
  • 保守的にリスクを取り続けろ。リスクフリーを求めてはいけない。逆に最適水準を超えたリスクも取ってはいけない

計画と無計画の寓話

ある高山の頂上に、大量の金が埋まっているという情報がもたらされた。もちろん普通は山の頂きにそんなものはない。これはフィクションだ。さて、3つの登山グループが金鉱発掘に名乗りを上げ、登山装備の資金を援助してくれるスポンサーを募った。3グループはそれぞれ異なる登山計画と、スポンサーへの依頼を持っていた。

最初のグループAはその山の詳細な地図を入手し、その地形情報を生かした精密な登山計画を作り上げた。スポンサーに対するメッセージは、自分たちの最適化された計画なら一週間で金鉱にたどり着くので往路一週間+復路数日分の資金を援助して欲しい、というものだった。グループAが要求した金額はもっとも低かったので、あっさりとスポンサーが決まり彼らは意気揚々と入山していった。

次のグループBは山の詳細な地図をあまり見なかった。その理由は、地図に間違いがあるかもしれないし、どうせ壁にぶつかったら計画を変更しなければいけないから事前の計画にあまり意味はないということだった。彼らはその代わりに、現地に入ってからの試行錯誤を努力すると主張し、そのために往路に二週間の資金が欲しいと言った。二週間で見つからなければ我々は撤退するだけなのでスポンサーのロスは限定されており良い投資機会だと主張した。資金グループAほどすぐではなかったがスポンサーが見つかり、彼らもまた入山していった。

最後のグループCはスポンサー獲得に難儀した。彼らはグループAと同様に地図を入手し、登山計画も練った。しかし地図の正当性をグループBと同様に怪しんでいたので、グループAほどには各チェックポイントに詳細化された計画は作られず、高度ごとに装備を見積もる程度の計画となった。頂上までの所要期間を三週間と見積もったがスポンサーには往路に九週間の資金を要求した。彼らはこう述べた。「我々は現時点の計画に自信がありません。現実と地図との間に想定外の食い違いがあるかもしれないし、突然クマに襲われて装備や食料の半分を失うかもしれないから保険が必要です。三週間をターゲットにしますが、六週間たった時点で金鉱を見つけられなければ下山し撤退します。また下山にも想定外のコストがかかり得ますから最低九週間分の往路資金がなければこの計画は開始しません」このグループCに対する大半のスポンサー企業の対応は芳しくなかった。「冒険家たるものリスクを恐れるとは何事か」「そんなに金のかかるプロジェクトに資金は出さない」云々。しかし彼らはスポンサーが現れるまでは決して入山はせず、また他グループに金塊を取られたらそれまでとして競合も意に介さず、後日たまたま手を挙げた一社からの資金拠出を頼りに遅れて入山した。

その後何が起きたであろうか。

グループAは登山途中で、実際の地形と地図とが食い違っていることに気づいた。そして彼らの立てた計画では、間違いが存在するエリアに関して特に誤った過剰最適化が施されていた。入山後に彼らは過ちに気づき、下山かルート変更を試みようとしたが、装備と食料が足りなくなり進退極まった。その主因は最小限のコストしか請求しなかったためである。彼らのその後は分かっていない。

グループBはグループAほど地図の誤りの可能性に無頓着ではなかったが、彼らのルートは行き当たりばったり過ぎて頂上に近づいている様子が見られなかった。その時間浪費の結果二週間が過ぎ、当初の予定どおり下山した。彼らは無事ではあったが、登山金鉱探しは割に合わないと主張し、その後二度とチャレンジしていないようである。

グループCのその後は数奇であった。最初の登山においては、彼らもある高度までは達したがその後はグループB同様行き詰まり、下山せざるを得なかった。ただ下山のタイミングを前倒しした。撤退は六週間目と事前に通知していたにも関わらず、四週間の時点で下山を決断した。その代わり下山をゆっくり行うこととして余裕資源を環境調査に当てた。そして敗残報告後、次のスポンサーを募った。次の資金繰りは初回よりずっと難儀したがそれでも一社現れ、二度目の登山がはじまった。二度目の登山は前回よりも効率よく進行した。その主因は、経験と追加調査によって、地図と実際の地形との一致部分と不一致部分とがある程度識別できるようになっていたためである。しかし高度が上がるにつれそのような識別能力も役立たなくなり、二度目の下山タイミングが来てしまった。今回も彼らは下山開始を前倒しし、余裕資源を使って地下鉱脈のサンプリング調査を行った。

グループCはまだ諦めなかった。しかし、資金を一番ふんだんに二回も使って失敗した彼らに対する企業の目は冷たく、三度目のスポンサーはほぼ現れそうになかった。彼らは最後に風変わりな富豪から関心を持たれた。その富豪はたった三つの質問をした。1. 今までの下山において、早期撤退を決めた理由は何か? 2. なぜ余剰資源を使って余計な調査をしたのか? 3. 往路三週間の見積もりに対して、なぜ今まで九週間しか資金を要求しなかったのか。なぜ十八週間や三十週間とは言わなかったのか?

グループCは撤退計画というのは最大まで待てる期間であってその一線を超えると常に死に近くこと、そのため自分たちはいつも保守的に計画を立てることを説明した。調査は後日の分析に不可欠であり、調査のない登山は行わないことを説明した。九週間という見積もりについては、実はそれすら内心は少ないと思っており、スポンサーの顔色を伺って誤って金額を小さく要求してしまっていたことを認めた。彼らは何より、ゆっくり一歩ずつ登れる計画しか採用しないのだと言った。どれだけ他者から臆病だと言われようと。

富豪は、三週間すら内心は少ないと思っていたという彼らの回答をむしろ喜び、三十週間ぶんの資金拠出を提案した。その代わり山頂で本当に金塊が見つかった場合にはその70%を自分に渡すことという条件を要求した。登山の成功そのものが目的であったグループCは度量の大きさと強欲の混じったその条件を受け入れ、最後の登山が始まった。今回は2回目よりもさらに効率的により高い高度まで来ることができたが、案の定ある高度以上から予測が効かなくなった。しかしこの予測が効かない主因が、彼らがこの山が単峰であると思い込んでいた点であることに気づいた。過去の地形・鉱脈サンプルから推測するに、資源の眠っている頂上はみなが思っているよく見える頂上ではなく、別のより小さな頂にある可能性が高いと彼らは判断した。最高地点に達した栄光と、資源を掘り当てて富豪に資金を返す真の成功とを比較し、彼らは後者を選ぶことにした。小さな頂に向かい彼らはついに鉱脈を見つけた ただしそれは金ではなくてプラチナ鉱だった。彼らは契約を臨機応変に判断して富豪に相当額を渡した。

最後に大笑いしたのはこの富豪である。彼はリスクを過小評価した不適格者たちが失敗するのを見るにつれ、企業スポンサーたちの性急な成果要求よりも、自分の「待つ投資」に最大のアドバンテージがあるという自信を持った。そして彼は、自分の無知さ加減を的確に理解しているリスクテイカーが現れて彼の代わりに貴金属をごっそり取ってきてくれることを、ただじっと待っていたのだ。

シグナルだけ or ノイズだけ or ?

極めてまわりくどいストーリーで申し訳ない。著者の脚本力の弱さが露呈する作文であり、いくらでも変更の余地があるだろう。無論これは単なるフィクションである。しかし多くの脚本と同様、示唆を含めてある。

読者諸賢はすでに想像されている方も多いと思うが、グループAはソ連型思考をする人を揶揄して描いたものである(実際のソ連の官僚はもっと賢いので誤解なさらぬよう)。理性の暴走を象徴している。不確実性のもたらす帰結を無視し、理性や計画を過度に信用することの問題点を明らかにしている。ある種の大企業勤務サラリーマンの思考もこれかもしれない。

グループBはその対極に位置するもので、リバタリアンの一部に代表されるような反知性主義者をイメージして設定した。無知の暴走という表現もできるが、より正確には、反知性主義を積極活用するあまり知性の利点を捨てすぎてしまった人たちである。一部のベンチャー企業経営者もこういうところがある。彼らは、無意味な学問権威や過度な計画主義に騙されないだけの自立した頭脳を持ってはいるのだが、自分の対極に位置する人たちを馬鹿にするあまり計画自体の利点をも無視してしまうことがある。すでにあるデータは積極活用すべきなのだ。完全な計画に問題はあるが、無計画にもやはり非効率性の問題があるわけだ。


アメリカの反知性主義

グループCはどこかに存在するであろう中庸としての人格を想定して描いたものだが、一番注意してもらいたいのは彼らの思考プロセスにおける以下の特徴である。

  • 彼らは自分自身の思考や身の回りのあらゆる情報が、一部間違っていると仮定する
  • それでも彼らは計画を立て、観測された情報の中でシグナルとノイズとを識別しようとする。シグナルと判定された情報なら計画に使っても良いのだ
  • 彼らはゆっくり仕事を進める。彼らの日常業務では、成功を手に入れる最終目標に向かってジャンプすることではなく、成功と失敗とを分ける識別器を作ることに多くの時間が割かれる。この漸進的で着実な分析態度は、早い成功をよしとする人々からはのろまかつ臆病だと思われている
  • 彼らは保険を最大限にかけ、保険を提供しない資金源とは契約しない。このコンテクストではNo deal is better than bad dealである

複雑で不確実な環境においては、何が成功の要因となるのか分析自体に長い時間がかかる。真の要因は限られた少数であっても、高いノイズのせいであらゆる要因が結果に結びつくようにも、全く結びつかないようにも錯覚する。ただ確実に言えることは、この長い時間と漸進的な分析を許容してくれる資金源としか協力関係が成立しないということである。

漸進的に進む組織の巨大な優位性

著者は現職に移って以降、はっきりとした確信があるのだが、仕事をゆっくりやることで、注意力の最大化という強力なアドバンテージが産まれる。バイサイド金融のように極めてノイズの高いデータを扱う世界では、この注意力こそが、己の知性を過信した匹夫の勇よりもずっと大事なのである。

高い注意力は多くのインサイトを生み出すため、結果的には効率的に最終的なゴールへと私たちを導いてくれる。ハードなデッドラインを先に設定されてしまい期日を守ることに主眼がいった結果、統計的に効用の疑わしいアプローチに飛びついてしまうという、近視眼思考がもたらす破綻は、ゆっくりした思考と高い注意力のもたらす果実からは対極に位置している。

著者や友人の過去の職場では「締切ドリブン」の仕事カルチャーが多く散見されたが、これはおそらく多くの企業で生産性悪化の主因になっている。効果が疑わしい方法を実際にマネーが動くビジネス現場で実践しても、長い目で見れば結局は時間と金の双方を失うだけだ。現実は楽観的想定よりも遥かに残酷である。Progressが早く出るに越したことはないが、疑わしい結論を急いでだすアナリストよりも、時間をかけて信頼性のある結論を出せるアナリストを信用すべきである。「70点で良いから早くレポートしろ」というカルチャーは、不確実性の高い世界に移るほど悪く作用する、と申し上げておこう。ただしこれは最終的なプロダクトに関しての話である。社内ミーティングなどの内輪の進捗報告は1つ小さな実験を進めるたびに1つ持つくらいでちょうど良い。70点の内部報告を30, 120点のプロダクトを1回という感じだろうか。多くの内部報告をテキストとして明文化された資料に残すことで、いくつもの努力の中で何が大きなターニングポイントになったのか、どの知見が他の未来のプロジェクトにも転用可能か、メタレベルで後日分析することが可能になる。この120点になってから出すという方針はおそらく、シリコンバレーで主流の「早くプロダクトを出せ」というメッセージの逆に映るだろう。後述するが、最適スピードが不確実性の関数であることを理由として、反転した結論のどちらもがTrueになり得る。

また自身の漸進的態度に加えて、ゆっくり確実に進めるプロセスを尊重してくれる資金源/意思決定者を上位に持つことが大事である。本日の寓話は、日本の多くの企業で本来必要なレベルの余裕が失われ、破綻に向かう三流ギャンブラーのような意思決定者が増えつつあるのではという危惧から思いついたものである。ヘッジファンドのように不確実性が高くしかも極めて多くの競合他社がいる世界でさえ、いやむしろそのような環境だからこそ、遥かに高いレベルのアウトプットを出すための十分な余裕を社員に与える必要がある。

クォンツ投資をかじった人間なら知っていることとして、賭け事を行う際には超えてはならないリスク水準というものが存在する。著名なケリー基準はその一例である。この水準をちょっとでも超えた賭けを行うと、破綻確率が急速に高まる。そのため、長く生き残る実務家は、限界リスク値に対して常に保守的な量の賭けしか行わない。たとえばギャンブルでは半ケリー基準というものがよく使われる。同時に覚えておいて欲しい点は、保守的に賭けるが賭け行為自体は止めずにずっと続けるという点である。リスクフリーな環境ではなく、保守的リスクテイクを継続する環境に身を置くとよい


天才数学者はこう賭ける―誰も語らなかった株とギャンブルの話

最近の日本の労働者の多くは、臆病でのろまな態度だと競合他社に抜かれてしまうという、保守性のアドバンテージを無視したメッセージを経営者から口酸っぱく聞かされてきたのではないだろうか。しかし実は、性急を急ぐ意思決定者こそが競合他社の結果を待つまでもなく先に自滅していくというのが困難なビジネスにおける実態なのだ。もしスピードが最優先事項だと言われたら、自社のビジネスはwinner-take-all効果が働く世界かどうか、そしてwinnerとなるプロダクトが明確であるかどうか問い返すか自問自答すると良い。もし明確な回答が出なかった場合、スピードが最優先というstatementはおそらく間違っている。目的関数がわからない時点で、あなたは不確実性の高い環境に住んでいることが示唆されているから。

最適速度は不確実性の単調減少関数

より正確には、最適なスピードと信頼性のトレードオフは不確実性とノイズの関数として表すことができる。不確実性が高ければ高いほど、着実性を重視しゆっくり進めるものが最後に生き残る。ノイズ項が極めて大きく、かつたった一つのノイズ因子でも容易に挑戦者を破綻させる環境の場合、信頼性を確保する前に次に進むあらゆる挑戦者がノイズによって墓場送りにされるためである。難しい課題にチャレンジすることは常にお勧めだ。敵に先を越されるリスクをあまり考えなくてよいからである。もし信じがたい速度で先を行っている競合がいるように見えた場合、ほっておいてもその競合はおそらく自滅する。

したがって逆説的ではあるが、不確実な環境に身をおけばおくほど、競合他社が自滅する敵失を期待できるために、かえって自分の本来の競争力強化に集中できるのである。著者がときどき想像することの一つに、Amazon.comJeff Bezos氏が大成功したことと、彼の最初の職場が著名ヘッジファンドのD. E. Shaw & Co.だったこと、彼がNassim Nicholas TalebBlackswanを愛読書かつ自分の部下に強く進めていることには強い関連があるのだろう、というものがある。D. E. Shawでの経験はBezos氏にとってBlackswanのメッセージをごく理解しやすいものにし、そして自らがPositive Blackswanになるにはどうすべきなのかの指針を多く提供したのではないだろうか。


ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質

反対に、不確実性が低い場合にはスピードを最大化したものが勝つ。これは少ないサンプルサイズで十分な信頼性が得られることに起因するためで、ラフな分析や直感でも勝利手段がすぐわかる環境である。石油利権にいち早く群がるとか(そのアドバンテージがあまりに明白だ)、コンピューター産業の黎明期には、一部の領域で品質よりもスピードを重視したベンチャー (e.g., MS-DOSや初期Windowsを開発したころのMicrosoft)が大勝利した。これらのケースでは明確な目標(e.g., Operating SystemOffice Softの独占)を最初に達成したものがwinner-take-allすることが明らかであり、その成功確率はほぼ単にスピードの関数である。Bill Gates氏やPaul Allen氏の類稀な才能ももちろん勝因ではあるが、Microsoftの成功とヘッジファンドの成功要因はおそらく異なっているのだろう、というのが著者の見立てである。

著者個人の仕事についても、三ヶ月立ったこともあり(日本時代の仕事ではこれはコンサルティング・プロジェクトを一つ終えるくらいの期間であった)、大きな成果に対するプレッシャーを毎日感じてはいる。しかし同時に、インサイトの確実性・信頼性を重視しスピードの優先順位を次点にしてくれる職場環境をありがたく感じている。そしてこの信頼性重視の企業文化が、実際のところ著者自身が入社前には想定していなかったレベルの高品質なトレーディング・モデルの開発に結びつきつつあり、いよいよ仕事が面白い領域に入ってきたと感じているところだ。読者諸賢の職場環境はまた違うことと思うが、企業文化の改革に関して何かきづきを提供できたならば幸いである。

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オックスフォードに移ってファンドで働きます

突然の告知であるが、いわゆるヘッジファンドからオファーを頂いて機械学習クォンツ研究者 (投資アルゴリズム開発者) として働くことになった。勤務地はイギリスのオックスフォードである。民間企業のポストではあるが、オックスフォード大学の一流教授陣 (統計学, 金融経済学, 機械学習の著名教授と同じオフィスビルに入る) やPhD students, postdocsと日頃からコミュニケート可能な、特殊な研究環境で働くため非常にエキサイティングである。

読者諸賢には想像していただけると思うのだが、金融業は種々の規制の下に存在する。まずはイギリスの Financial Conduct Authority (FCA) の規則にのっとり、そして多くの内部統制に従う必要がある。著者も渡されたCompliance上のガイドライン数百ページを今日も読み進めているところである。本ブログは数理科学を用いた社会課題解決全般について記述することを意図しているが、最近は投資のための分析が多かった。今後も数理的な民主主義の発展アプローチについては議論していくが、金融市場に関する発言は抑制された注意深いものに留める可能性が高いことをご留意いただきたい。今日以降の発言はCompliance上の制約下にある。

パフォーマンスのランダムネス

多くのヘッジファンドではローパフォーマーは大きな解雇リスクに晒される。著者の雇用契約書にも会社側がdiscretionaryに解雇できる条項が入っている。単にローパフォーマーを解雇するのは英米系の会社では勤務地問わず当たり前のことだが、問題はヘッジファンドの場合は本人の能力とは無関係に誰もがローパフォーマーになりえてしまう点である。極端な言い方をすれば、あなたの首が切られるかつながるかは、あなたの努力や才能ではなく、単なるコイントスの結果で決まってしまうのだ。

単にお金に惹かれて何の勝算もなしにヘッジファンドに入社することが何を意味するか、最近はカルチャーも変わってきてはいるものの、たとえば10年以上前のこちらの記事を参考にしてみて欲しい。この記事は、金融業界の人よりも、いささかAIバブル気味のIT業界の人にこそ、自分たちの向かう方向を考える上で参考になると思う。市場の効率性は100%ではないが現代の金融市場では極めて高く、かつ大きな予測不可能性によって一流のポートフォリオ・マネジャーが特定年にアンダーパフォームしてしまうことが容易に起こる。自分は過去の実績があるから首にはならないだろうと思う労働者は、おそらくsignal to noise ratioの高いビジネスで働いてきただけである。数年単位の長い目で見れば一流ポートフォリオ・マネジャーとそれ以外との差、つまりAlphaを稼ぎ出す能力ははっきりしてくるものの、雇用継続を決定づけるもっと短い期間でのパフォーマンス変動に関しては神仏にすがるしかないのである。

著者の場合も入社後のプレッシャーは強烈なものになることが容易に想像できる。しかし大きなリスクを負ってでも、知的に吸収できるものが間違いなくたくさんある職場なので、雇用が続く限り多くのことを吸収し、また世の中にも還元していきたい。著者の場合、投資を本業にすることに対して昔から関心はあったが、業界の過酷さを考慮して踏みとどまり独学を続けていた。マーケティングや広告の機械学習アルゴリズムで一通りの実績を作ったから今回チャレンジを決意した次第である。したがって効率市場仮説に敗北して夢破れた場合には、またマーケティングの世界に戻ってくることになるだろう。不恰好ではあるが、よくも悪くも保険を作ってからの、中年としての挑戦である。

  • まぁこれは実際にはちょっと大げさに書いていて、著者の場合、データサイエンスという言葉から想像つく範囲の仕事もそうでない仕事もプランBやCを用意してあり、そういったプランが描ける理由は、結局のところ多くの人とのゆるいつながりのおかげだ
  • 基本としてコミットすべきプランAの実行に入る前に、プランB, C, Dを作っておけるかどうか、それぞれのシナリオの将来への進み方に関して動的計画法的な異時点間最適化をある程度できるかどうかが、成功するキャリアの鍵だろうと思う

解雇の話ばかり書くと後ろ向きに見えるだろうから、前向きのアッパーサイドの目標も書いておく。マーケティング、広告、金融市場すべてに対する機械学習モデリングを通じて、実際の資本の流れに関する統計的アプローチを確立し、経済学・経営学の教科書を部分的に書き換えること、それも経済学者の視点ではなく統計学者・コンピューターサイエンティストの視点から書き換えることが著者の長期目標である。

さて今回の記事では、著者の体験を元に転職に関する所感を書く。転職を意識している方への参考情報も記載した。昨今とくにシリコンバレーへソフトウェア・エンジニアとして移住する日本人が増えている。なのでそちらの情報は多くブログが散見されるのであって、日々参考にされている方も多いだろう。著者の場合は米国ではなく英国を選択したし、業種もバイサイド金融でいわゆるITとは少し異なる。金融業ならばスイスのチューリヒも非常に良い環境で魅力的だったのだが、著者の専門とつながる仕事がイギリスにあったという経緯である。

  • なお著者の選択はヘッジファンド転職にしては特殊で、他の労働者とはずれている
  • オックスフォードで働きたい・研究に近い場所に留まり続けたいという意思を優先させたためにサラリーはかなり妥協した
  • 友人からの参考値を見るに、単にサラリーだけを見ればウォール街の方が著者の2-3倍の値をオファーするだろう。これは誇張ではない
  • この業界に興味がある方でキャッシュがメインの目的である人(それは全く悪いことではない)はNew YorkやChicagoでオポチュニティを探すことをお勧めする
  • 著者の場合は価値観がサラリーに留まらなかった(もちろんお金も欲しいのだが)。1,000年近くの歴史に裏付けられた地政学的バックグラウンドのある場で学ぶ経験は、お金には代えがたい。マンハッタンの無機質な高層ビルの間で働くのか (著者は直方体外見の、センスなき建物が嫌いである)、それとも歴史ある建築群の中で働くのかの違いも大きい

外国の雇用情報に機敏な方はすでに十分情報収集をしているから著者の助言など無用である。したがって本稿は、エキスパートではなく転職を意識しはじめたビギナーの人を補助する前提で書かれた。ソフトウェア・エンジニアに関する情報も巷に大量にあって著者が言う必要などないので、ソフトウェア・エンジニアのカルチャーから離れた部分について書いてみた。

CVは整備しておこう & 英語をきちんと書こう

日本企業の人・外資企業だが新卒以降ずっと一社で働いてきた人の一部と話して驚くのが、自身の履歴書を整備していない and/or LinkedInにprofileを公開していない点である。履歴書とここで言っているのは、米国でResume, 英国でCurriculum Vitae (CV)と言われる英文書類のことだ。著者の考えでは、全ての労働者はこれを整備すべきだ。転職する気があるかどうかは関係ないし、転職先が日本企業であっても同様である。一部の読者は、LinkedInを整備することで現在の雇用主から罰せられることを恐れているかもしれない。参考情報として伝えると、英国でもLinkedInで積極的に転職活動していると思われるアピール文が見つかるとその社員を罰する企業が確かに存在するようだ。しかし文面は一定の倫理基準を守れば良いのであって、LinkedInのアカウントを取得して基礎情報を載せること自体を罰する話は聞いたことがない。加えて、LinkedInに仕事内容を書かなくてもCVに書いて個人として管理しておくことには何の問題もない。そもそも外向けのCVはconfidential情報を書くものではない。

CVを書くことで、自分が今までの仕事で何を計画し、何を達成してきたのか整理される。また定期的に履歴を振り返ることで、自分が次にどのようなキャリアを進むことで労働市場での競争力が強化されるかも、明示的に考えやすくなるであろう。頭の中でなんとなくイメージしていることと、文章に書き出したことの違いは大きいのである。CVを書く主目的は、転職とは独立したものであって、自分の仕事の品質と目的意識を高めることにある。著者の最初の職場では、履歴を入力するとCVのpdfファイルをビルドする専用システムが社内にあった。もっとも著者はそのシステムには頼らず自分でレイアウトを設計したCVを管理していた。社内システムは他の社員が参照するためのものだから、プロジェクト内容をconfidential情報も含めて比較的長文で正確に書くことになる。そのため外に公開可能なCVはやはり自分で作る必要がある。

CVで用いる英語には一定のルールがある。外国の企業に転職しない限り関係ないと思う方もいるだろうが、後述するように転職先が日本企業であっても英語CVの整備はとても役立つ。Writingルールに乗っ取って簡潔かつ強力に書くことで、アピールすべき自分の強みが何なのかはっきりしてくるだろう。CVの書き方に関する参考書はいくらでもあるが、たとえば著者の本棚には6年以上前から次書が入っている(著者がもっているのはこの本のVer 2.0である)。


英文履歴書の書き方Ver.3.0

LinkedInのprofileはCVのsubset or supersetにすると良いだろう。LinkedInのアカウントである程度まともに記述されたprofileであれば、ヘッドハンティングの誘いは頻繁にくる。外国の仕事、日本国内の外資、日本企業のいずれも来るため、日本企業に移るつもりの人もアカウントを取得すべきだ。日本企業であれば他の転職サイトでも移れるかもしれないが、日本語サイトでしか活動できない候補者と、日本語でも英語でも活動可能な候補者と、日本企業採用担当者から見てどちらが魅力的に映るか考えてみてほしい。

希望の職種とは無関係に、何に関しても重要なのは英語のWriting skill である。アカウントを持っているがあまり誘いが来ないと言っている人を見かけたことがあるのだが、著者と近いエリアで仕事をする彼の仕事は本質的には需要がある。しかし彼の場合は英語の書き方に問題があるのと、そもそも英語をきちんと書けという指導を前職以前にされてこなかったように見える。日本にヘッドクォーターがある彼の前職企業では、おそらくproject proposalやresearch proposalを提出して国際的にfund獲得のための競争をする機会がなかったのだろう。多くの日本人はListeningとSpeakingの能力に問題があると自分で思っているようだが、著者に言わせるとWritingがどの外国語習得でも一番難しいのであって、Writing skillを上げることにもっと労力を費やすべきである。Writing skillを持っている点で、まともなdefenceを通過したPhDホルダーは極めて有利な状況にいる。一流論文誌 or 国際学会誌に何度も通している研究者は、最小分量で最大メッセージを伝える英文の書き方を理解している。また作曲経験のある著者の観察では、多くの作曲家もWriting skillが高い。彼らは西欧の著作におけるpyramid principleに従ったwritingスタイルが論文・楽譜問わず一貫していることを知っているため、一流の作曲家に英文を書かせると洗練されているのだ。作曲家の友人の言葉を借りるなら、Writingができる人は、英語のスキーマと思考法が頭に整理されている結果ListeningやSpeakingの能力も自然に身についている。この意見に著者も100% agreeする。

LinkedInを通じてコンタクトしてくるハントの多くは読書諸賢の眼鏡にかなうほど面白い仕事ではないと思われるが、打率100%を狙ってはダメだ。そもそも返事しなければ打率の分母にすら入らないから気を落とすこともない。変な誘いが来ても無視するだけだ。忘れないで欲しい事は、多くのしょうもない誘いに加えて一部は確かに面白い仕事の依頼がくる点である。100種類の無意味なハントがきたとしても、あなたの望む仕事が1つ追加で勝手に飛び込んでくるなら、こんなにありがたいシステムもそうそうないだろう。LinkedInのアカウント取得は基本的に無料だし、著者は有料のサービスは特に何も使っていない。

著者の場合は、今回の雇用主からの誘いは一年以上前にあった。いきなりそれに飛びつくのではなく、自分がどうしたいのかをよくよく考えて昨年末から面接を開始し、今回の転職に至った次第である。なお面接に時間がかかっているのは、この会社の慎重な審査と著者自身が現職で残りの仕事のために期間調整した部分との相互作用結果であって、一般の転職はもっと短いスパン (1.5-2ヶ月くらい)で決まることが多い。

晴れて面接に通って転職を決める場合でも油断大敵である。CVの書き方とは別に、新しい職場での仕事の心構えについては、例えばこんな本でも参考になる。次書は少し労働者を脅しすぎに書いていて最高品質とは言い難いと個人的に思うが、何もないよりは読んでおいて損はないだろう。これより良い参考書を読者が持っているならそちらを参照して欲しい。


外資系キャリアの転職術―採用担当者があなたに教えない44の秘密

電話に慣れろ & Video chatに甘えないこと

これも昭和の親父の小言みたいなコメントだが、知らない人のために補足しておく。シリコンバレー界隈の仕事はSkypeやGoogle Hangoutなどの相手の顔が見えて高品質なオーディオで最初の面接を受けられることが多い。これはとても有難いことなのだが、この面接環境を与えてくれるのは世界的には一部の企業だけだ。加えて多くのベイエリア在住者は、外国人に優しくしようと努めているのか、かなりゆっくり喋るように見受けられる。これは英語に苦手意識をもつ外国人にとっては朗報であり、特に日本人ソフトウェア・エンジニアが率先して西海岸に渡る傾向と無相関ではないように思う。

他業種の企業だと面接は単なる固定電話 or 携帯電話からはじまり相手の顔は見えない。米国でも著者の知るNY / Boston界隈では電話だけで全てを済ます人がかなりいる。著者は今回の転職活動で複数の企業から経験したのだが、今回オファーを頂いた企業も含めて電話の音質がかなり悪かったりする。しかも面接官はそんなことを気にせず、少なくともベイエリアより早口で喋る。著者の場合は、電話がローパスフィルター気味で高周波がカットされてしまう点が、基本周波数がアメリカ英語よりも高いイギリス英語と相性が悪く、ヒアリングはそれなりにハードだった。技術的に知らないことがあるのをhumilityとして認めることは面接結果にそこまで悪く寄与しないと著者は思うが、そもそも英語が聴き取れませんだと問答無用で落とされる可能性が高い。ヒアリング問題については相当ハラハラした。

著者個人に関していえば自分の身の程を再確認したということでもある。もともと高校生や大学学部生のときは全然英語ができなかったのだが、外資での業務を通じて米国英語にはそれなりの自信をつけてきた。イギリス英語もデービット・キャメロン前首相やトニー・ブレア元首相の演説などで慣らしてきたつもりだが、しばしばBBC Englishと揶揄される彼らの英語は誰にでも聴き取りやすいように計算されたものであって、一般イギリス人の会話にそこまで期待してはいけない。コックニーまでいかずとも多くのイギリス英語に対処するにはまだ著者のヒアリングスキルは足りないということである。入社までの猶予期間である今現在もイギリスのテレビを使って耳を慣らしているところだ。

さて、対応策としてここで伝えたいのは、普段から業務で顔の見えない音質の悪い英語に慣れておくことである。聞き取りの面倒なテレコンになぜ参加する必要があると思うかもしれないが、むしろそれをさせてもらえる業務はスキルアップのチャンスだと思って今の雇用機会を積極的に利用しておいた方が良い。あなたがお金に少し余裕があるなら、(外国側の通信はどうしようもないのだが) 高性能で音質の良い電話機を買えば少しはマシになるかもしれない。著者はケチだったので8年も使い込んだ安物電話機で第一面接に挑んだ次第である。オファーで手に入れるサラリーのことを考えると、ここでケチった著者がとても非合理的であることが明白だからマネしないように。そして電話面接を何回か通過すれば後段の面接ではSkypeや専用のビデオ面接機器も使われるし、それらを通過すればon-site interviewだ。しかし電話面接通過以降であっても、事務連絡事項などは全て電話で飛んで来るし、現地のヘッドハンターとのやり取りも電話のみである(彼らは街中からふらっと日本まで電話をかけるのだ)。コミュニケーション手段の基礎が世界的には依然として電話にあることは忘れないでほしい。

独創性や非典型的である強みを活かそう

さて面接の心構えについて最後にコメントしよう。多くの企業では口頭による会話で面接が進むが、著者のような研究職の場合はそれに加えて1時間程度の自身の研究プレゼンテーションを課される。このプレゼンテーションでは、なぜ自分がその課題を解こうと思ったのか、prior workは何があってどのような欠陥があるのか、本質的なあなたのcontributionは何か、といった内容を事前に資料にまとめる必要があり、その内容は当日に全方位から審査される。要は国際学会発表や講演と同様である。著者の職務は投資アルゴリズムのソフトウェア実装も含まれるため、ソフトウェア・エンジニアには馴染みのあるcoding interviewもさらに課された。

  • ただ正直に申告しておこう。著者のcoding interviewにおける回答は他のソフトウェア・エンジニアほどは優れていないと思う
  • 著者の場合、そもそも決定的アルゴリズムの完璧性を競う世界にあまり興味がないのでcoding interviewテキストなどは演習したことがない。しかしソフトウェア・エンジニア職を狙う場合は時間をかけてこれを行った方がよい
  • 著者の実際のcoding interviewでは、面接時間に制限があるため、これだとerror処理がされていないなと思う状況でも課題提出しなければならなかった
  • ただ研究職では他人が思いつかないアプローチの発見とそれにより提供されたプロトタイプの有用性が重要なので、悪いcoding成績は大目に見られたということである
    • Topcoder的な短時間解決能力は二流であったが、Apache Sparkを使った分散機械学習アルゴリズムの実装や複数のプログラム言語の使用など、これまでの経験からカバーされる部分も評価の対象に入った
    • 一方で前職の経験を一切考慮しないポリシーの企業もあるから、応募先をよく調べた方が良いだろう
    • 基本的にソフトウェア・エンジニア職では、完璧に動くコードの提出を要求される

イギリスから日本の著者に直接ハントが来た背景はランダムではない。著者よりも前に半年から1年ほど該当職務に従事できる人材を欧州で探したものの、見つからなかったらしい。事前募集告知はイギリスでTier 2 (General) Visaで外国人を雇う場合の必須条件である。金融市場において、機械学習がAlphaを生み出すと主張する仕事のほとんどはi) over-fittingを理解していないか、ii) over-fittingを避けるよう設計したつもりだったが実は最初の仮説がテストデータから来てしまっていた眉唾物である。問題の難しさを正しく理解し、かつそれでもチャレンジしてみようと考えるデータサイエンティストがいなかったということなのだと思う。

  • i) をやるのは本当の二流だが、ii)は一流の人でも犯すミスである。ノイズが少ないデータならこれでもだいたいうまく行くが、資本市場ではうまく行かない

何がオファーの鍵になったか、無論のこと著者には正確にはわからない。しかし著者が独自で開発していた投資アルゴリズムが大きくプラスに寄与したことは確かである。この中身についてはそのPrior Workやすでに認識している欠陥など広範な質問を受けた。もちろん質問はこれだけではなく、機械学習PhDホルダーが持っているべきアルゴリズムの全般理解についても質問が飛んでくる。日本国内で著者と交流のある機械学習研究者はほぼ全員これらの質問は通過できると思う。一方で単にRやpythonの機械学習パッケージを使っています、だと面接突破は難しいだろう。日頃からきちんと基礎を学ぶことには報酬があるのである。

逆に面接をする側から物事を見つめてみよう。著者は伝統的な日本企業のやり方を積極的に高く評価している。むしろシリコンバレーのソフトウェア・エンジニア職におけるそれを無批判に真似することの方が問題がある。通常はCoding interviewと課題への熱意や相性の重ねがけで採用判断すると思うが、たまに前者を極端に重視する会社がある。著者の考えでは前者は単なるフィルターであって、やはり後者が重要だ。前者だけで雇われる人材というのは、極端な言い方をすれば単なる「お勉強ができる人」だし、会社側も昔の工場労働者を雇うときのように部品として画一的な人材を雇っている側面がある。原理的に解けることがわかっている問題で完璧さを争うスキルよりも、解けないかもしれない不確実性の高い課題にある程度の解決法を与えるスキルの方が実社会では重要だ。たとえ一流大企業の開発したメソドロジーであっても、現在のソフトウェア・エンジニア採用トレンドには疑問符がつくことがある。悲しいのは、これらの大企業の名声ゆえにその採用ポリシーを真似するフォロワー企業が後を絶たないことだが。

英米では多様な人材がものすごい数応募してくるので、全ての候補者に対して人間的に対応することができない。よって学歴などCVに書かれた内容で機械的にフィルターする傾向が強い。その点、面接を最初から重視する日本企業は柔軟だと思う。面白いのは、Amazon.comのすごく高位の職位の人から聞いた話で、Amazon.comではCVの重要性が意図的に低くされており面接を重視するそうだ。ある意味で日本企業のスタイルに似ている。真に合理性を重視する企業はこのような柔軟性を大事にしているのだ。私に話をしてくれたその研究者はもともと米国の有名大学のtenure professorである。彼は他企業および大学の採用ポリシーと比較した上でAmazon.comのユニークネスを伝えてくれた。日本企業のこれからの採用戦略における鍵は、いかにこの柔軟性を保ったまま移民も含めたより多くの候補者に網をかけるか、という点にある気がする。人事にデータサイエンスが適用されつつある最近では、人間的な採用には統計的再現性がないことにも注意する必要があるだろう。

面接をスキルセットの確認プロセスだとみなすのは大きな間違いだ。それは相性の確認であり、熱意と倫理の相互理解プロセスである。現在どの企業で働いている人であっても、その人の職務のnon-triviality に由来する独自性が将来強みに変わりうる。世の中の流れに逆らうかのように、シリコンバレー採用ポリシーに著者が批判的になるのは、彼らのサラリーがとても大きいためだ。この2年くらいで「とりあえずTopcoderの問題集を頭に叩き込んでおけば無理に世界初を研究しなくてもたんまり金が入るんだろう」といった受験勉強突破テクで人生なんとかなるといった昭和の嘆かわしい思想に類似した風潮をtwitter等で散見するようになった。リスクテイクしなくても金が入る、と考える人がたくさん出てきたら大災害の予兆である。現在のtech industryへのtailwindはもちろんAI技術のおかげでもあるが、FRBの金融緩和の影響が相当ある。今の浮世が今後も続くと考えるような軽薄な態度はいずれ罰につながるだろう。レミングス的な行動に対する報酬には負の歪度が付随するのである。

逆にいえば、なかなか研究成果が出ず研究室で悩んでいる貴方や、無理難題をふっかけてくる顧客に対してどのように交渉を挑むか悩んでいる貴方の報酬分布には正の歪度がある。確率的にではあるが将来大きなリターンがあるということであり。あなたこそが良い方のblackswanになるのだ。Madness of Crowdsに乗せられてcopycatを続け、大災害たる悪い方の blackswanを引き起こす衆愚性の集団とは逆の存在である。外国からわざわざ声をかけてくるのは、自国で良い社員を調達できなかったときであって、あなたが依頼国の他の従業員と大きく違っていることはとても強みになる。非典型的であることが大事なのであり、それは民族由来のものだったり、非自明な(習得層に負の相関があるような)スキルの組み合わせだったりする。i) 西欧と違う視点をもち、かつ ii) その視点の背後にある合理性を欧米人にわかるように噛み砕いて説明できる人には、とても大きなチャンスが存在することになる。i) を持つ多くの日本人労働者にとって課題は ii)であるが、ここをクリアできれば彼らの可能性はとても大きい。

ゆえに今苦しい立場を感じている読者諸賢にこそ、むしろ自分に強く自信をもってほしい。著者の転職体験談など所詮1サンプルに過ぎないのであって一番伝えたかったことはこのような人知れず zero to one を目指している人へのエールである。今回はここまで読んでいただき、ありがとうございます。