シグナル抽出にはゆとりと漸進性が必要である

今回は異文化交流や民主主義といった大きなテーマからは少し離れて、日常的な仕事のスタイルについて議題提起する。著者が現職場に移って再認識した大事なことの一つは、飛躍的な成果が求められる基礎研究であっても、急進性ではなくゆとりのある漸進性が大きなアドバンテージをもたらす点である。イノベーションが非連続におきることを根拠として、不連続なプロセスを奨励する輩が散見される昨今だが、連続的かつ「のろま」であることが最大の競争力になる場合があるのだ。そして漸進性のもつ優位性は、Karl Popperが述べたpiecemeal social engineeringを例えば正当化する。民主主義における、保守的で非中央集権的な意思決定プロセスが、スピーディーだがハイリスキーな独裁者の意思決定よりも、長い目で見ると生き残るのかが何故なのかが示唆される。ただし今回は仕事スタイルに話を限定し、民主主義と漸進性との関係については次回以降のトピックとする。


The Open Society and Its Enemies

本日のインプリケーション

  • 不確実性の大きいビジネスではゆとり/漸進性/品質を重視したものが、スピードを重視したものに勝る
  • 競争相手に先を越される悪夢を見るのが嫌なら、とても難しい課題を要求される仕事につこう
  • 保守的にリスクを取り続けろ。リスクフリーを求めてはいけない。逆に最適水準を超えたリスクも取ってはいけない

計画と無計画の寓話

ある高山の頂上に、大量の金が埋まっているという情報がもたらされた。もちろん普通は山の頂きにそんなものはない。これはフィクションだ。さて、3つの登山グループが金鉱発掘に名乗りを上げ、登山装備の資金を援助してくれるスポンサーを募った。3グループはそれぞれ異なる登山計画と、スポンサーへの依頼を持っていた。

最初のグループAはその山の詳細な地図を入手し、その地形情報を生かした精密な登山計画を作り上げた。スポンサーに対するメッセージは、自分たちの最適化された計画なら一週間で金鉱にたどり着くので往路一週間+復路数日分の資金を援助して欲しい、というものだった。グループAが要求した金額はもっとも低かったので、あっさりとスポンサーが決まり彼らは意気揚々と入山していった。

次のグループBは山の詳細な地図をあまり見なかった。その理由は、地図に間違いがあるかもしれないし、どうせ壁にぶつかったら計画を変更しなければいけないから事前の計画にあまり意味はないということだった。彼らはその代わりに、現地に入ってからの試行錯誤を努力すると主張し、そのために往路に二週間の資金が欲しいと言った。二週間で見つからなければ我々は撤退するだけなのでスポンサーのロスは限定されており良い投資機会だと主張した。資金グループAほどすぐではなかったがスポンサーが見つかり、彼らもまた入山していった。

最後のグループCはスポンサー獲得に難儀した。彼らはグループAと同様に地図を入手し、登山計画も練った。しかし地図の正当性をグループBと同様に怪しんでいたので、グループAほどには各チェックポイントに詳細化された計画は作られず、高度ごとに装備を見積もる程度の計画となった。頂上までの所要期間を三週間と見積もったがスポンサーには往路に九週間の資金を要求した。彼らはこう述べた。「我々は現時点の計画に自信がありません。現実と地図との間に想定外の食い違いがあるかもしれないし、突然クマに襲われて装備や食料の半分を失うかもしれないから保険が必要です。三週間をターゲットにしますが、六週間たった時点で金鉱を見つけられなければ下山し撤退します。また下山にも想定外のコストがかかり得ますから最低九週間分の往路資金がなければこの計画は開始しません」このグループCに対する大半のスポンサー企業の対応は芳しくなかった。「冒険家たるものリスクを恐れるとは何事か」「そんなに金のかかるプロジェクトに資金は出さない」云々。しかし彼らはスポンサーが現れるまでは決して入山はせず、また他グループに金塊を取られたらそれまでとして競合も意に介さず、後日たまたま手を挙げた一社からの資金拠出を頼りに遅れて入山した。

その後何が起きたであろうか。

グループAは登山途中で、実際の地形と地図とが食い違っていることに気づいた。そして彼らの立てた計画では、間違いが存在するエリアに関して特に誤った過剰最適化が施されていた。入山後に彼らは過ちに気づき、下山かルート変更を試みようとしたが、装備と食料が足りなくなり進退極まった。その主因は最小限のコストしか請求しなかったためである。彼らのその後は分かっていない。

グループBはグループAほど地図の誤りの可能性に無頓着ではなかったが、彼らのルートは行き当たりばったり過ぎて頂上に近づいている様子が見られなかった。その時間浪費の結果二週間が過ぎ、当初の予定どおり下山した。彼らは無事ではあったが、登山金鉱探しは割に合わないと主張し、その後二度とチャレンジしていないようである。

グループCのその後は数奇であった。最初の登山においては、彼らもある高度までは達したがその後はグループB同様行き詰まり、下山せざるを得なかった。ただ下山のタイミングを前倒しした。撤退は六週間目と事前に通知していたにも関わらず、四週間の時点で下山を決断した。その代わり下山をゆっくり行うこととして余裕資源を環境調査に当てた。そして敗残報告後、次のスポンサーを募った。次の資金繰りは初回よりずっと難儀したがそれでも一社現れ、二度目の登山がはじまった。二度目の登山は前回よりも効率よく進行した。その主因は、経験と追加調査によって、地図と実際の地形との一致部分と不一致部分とがある程度識別できるようになっていたためである。しかし高度が上がるにつれそのような識別能力も役立たなくなり、二度目の下山タイミングが来てしまった。今回も彼らは下山開始を前倒しし、余裕資源を使って地下鉱脈のサンプリング調査を行った。

グループCはまだ諦めなかった。しかし、資金を一番ふんだんに二回も使って失敗した彼らに対する企業の目は冷たく、三度目のスポンサーはほぼ現れそうになかった。彼らは最後に風変わりな富豪から関心を持たれた。その富豪はたった三つの質問をした。1. 今までの下山において、早期撤退を決めた理由は何か? 2. なぜ余剰資源を使って余計な調査をしたのか? 3. 往路三週間の見積もりに対して、なぜ今まで九週間しか資金を要求しなかったのか。なぜ十八週間や三十週間とは言わなかったのか?

グループCは撤退計画というのは最大まで待てる期間であってその一線を超えると常に死に近くこと、そのため自分たちはいつも保守的に計画を立てることを説明した。調査は後日の分析に不可欠であり、調査のない登山は行わないことを説明した。九週間という見積もりについては、実はそれすら内心は少ないと思っており、スポンサーの顔色を伺って誤って金額を小さく要求してしまっていたことを認めた。彼らは何より、ゆっくり一歩ずつ登れる計画しか採用しないのだと言った。どれだけ他者から臆病だと言われようと。

富豪は、三週間すら内心は少ないと思っていたという彼らの回答をむしろ喜び、三十週間ぶんの資金拠出を提案した。その代わり山頂で本当に金塊が見つかった場合にはその70%を自分に渡すことという条件を要求した。登山の成功そのものが目的であったグループCは度量の大きさと強欲の混じったその条件を受け入れ、最後の登山が始まった。今回は2回目よりもさらに効率的により高い高度まで来ることができたが、案の定ある高度以上から予測が効かなくなった。しかしこの予測が効かない主因が、彼らがこの山が単峰であると思い込んでいた点であることに気づいた。過去の地形・鉱脈サンプルから推測するに、資源の眠っている頂上はみなが思っているよく見える頂上ではなく、別のより小さな頂にある可能性が高いと彼らは判断した。最高地点に達した栄光と、資源を掘り当てて富豪に資金を返す真の成功とを比較し、彼らは後者を選ぶことにした。小さな頂に向かい彼らはついに鉱脈を見つけた ただしそれは金ではなくてプラチナ鉱だった。彼らは契約を臨機応変に判断して富豪に相当額を渡した。

最後に大笑いしたのはこの富豪である。彼はリスクを過小評価した不適格者たちが失敗するのを見るにつれ、企業スポンサーたちの性急な成果要求よりも、自分の「待つ投資」に最大のアドバンテージがあるという自信を持った。そして彼は、自分の無知さ加減を的確に理解しているリスクテイカーが現れて彼の代わりに貴金属をごっそり取ってきてくれることを、ただじっと待っていたのだ。

シグナルだけ or ノイズだけ or ?

極めてまわりくどいストーリーで申し訳ない。著者の脚本力の弱さが露呈する作文であり、いくらでも変更の余地があるだろう。無論これは単なるフィクションである。しかし多くの脚本と同様、示唆を含めてある。

読者諸賢はすでに想像されている方も多いと思うが、グループAはソ連型思考をする人を揶揄して描いたものである(実際のソ連の官僚はもっと賢いので誤解なさらぬよう)。理性の暴走を象徴している。不確実性のもたらす帰結を無視し、理性や計画を過度に信用することの問題点を明らかにしている。ある種の大企業勤務サラリーマンの思考もこれかもしれない。

グループBはその対極に位置するもので、リバタリアンの一部に代表されるような反知性主義者をイメージして設定した。無知の暴走という表現もできるが、より正確には、反知性主義を積極活用するあまり知性の利点を捨てすぎてしまった人たちである。一部のベンチャー企業経営者もこういうところがある。彼らは、無意味な学問権威や過度な計画主義に騙されないだけの自立した頭脳を持ってはいるのだが、自分の対極に位置する人たちを馬鹿にするあまり計画自体の利点をも無視してしまうことがある。すでにあるデータは積極活用すべきなのだ。完全な計画に問題はあるが、無計画にもやはり非効率性の問題があるわけだ。


アメリカの反知性主義

グループCはどこかに存在するであろう中庸としての人格を想定して描いたものだが、一番注意してもらいたいのは彼らの思考プロセスにおける以下の特徴である。

  • 彼らは自分自身の思考や身の回りのあらゆる情報が、一部間違っていると仮定する
  • それでも彼らは計画を立て、観測された情報の中でシグナルとノイズとを識別しようとする。シグナルと判定された情報なら計画に使っても良いのだ
  • 彼らはゆっくり仕事を進める。彼らの日常業務では、成功を手に入れる最終目標に向かってジャンプすることではなく、成功と失敗とを分ける識別器を作ることに多くの時間が割かれる。この漸進的で着実な分析態度は、早い成功をよしとする人々からはのろまかつ臆病だと思われている
  • 彼らは保険を最大限にかけ、保険を提供しない資金源とは契約しない。このコンテクストではNo deal is better than bad dealである

複雑で不確実な環境においては、何が成功の要因となるのか分析自体に長い時間がかかる。真の要因は限られた少数であっても、高いノイズのせいであらゆる要因が結果に結びつくようにも、全く結びつかないようにも錯覚する。ただ確実に言えることは、この長い時間と漸進的な分析を許容してくれる資金源としか協力関係が成立しないということである。

漸進的に進む組織の巨大な優位性

著者は現職に移って以降、はっきりとした確信があるのだが、仕事をゆっくりやることで、注意力の最大化という強力なアドバンテージが産まれる。バイサイド金融のように極めてノイズの高いデータを扱う世界では、この注意力こそが、己の知性を過信した匹夫の勇よりもずっと大事なのである。

高い注意力は多くのインサイトを生み出すため、結果的には効率的に最終的なゴールへと私たちを導いてくれる。ハードなデッドラインを先に設定されてしまい期日を守ることに主眼がいった結果、統計的に効用の疑わしいアプローチに飛びついてしまうという、近視眼思考がもたらす破綻は、ゆっくりした思考と高い注意力のもたらす果実からは対極に位置している。

著者や友人の過去の職場では「締切ドリブン」の仕事カルチャーが多く散見されたが、これはおそらく多くの企業で生産性悪化の主因になっている。効果が疑わしい方法を実際にマネーが動くビジネス現場で実践しても、長い目で見れば結局は時間と金の双方を失うだけだ。現実は楽観的想定よりも遥かに残酷である。Progressが早く出るに越したことはないが、疑わしい結論を急いでだすアナリストよりも、時間をかけて信頼性のある結論を出せるアナリストを信用すべきである。「70点で良いから早くレポートしろ」というカルチャーは、不確実性の高い世界に移るほど悪く作用する、と申し上げておこう。ただしこれは最終的なプロダクトに関しての話である。社内ミーティングなどの内輪の進捗報告は1つ小さな実験を進めるたびに1つ持つくらいでちょうど良い。70点の内部報告を30, 120点のプロダクトを1回という感じだろうか。多くの内部報告をテキストとして明文化された資料に残すことで、いくつもの努力の中で何が大きなターニングポイントになったのか、どの知見が他の未来のプロジェクトにも転用可能か、メタレベルで後日分析することが可能になる。この120点になってから出すという方針はおそらく、シリコンバレーで主流の「早くプロダクトを出せ」というメッセージの逆に映るだろう。後述するが、最適スピードが不確実性の関数であることを理由として、反転した結論のどちらもがTrueになり得る。

また自身の漸進的態度に加えて、ゆっくり確実に進めるプロセスを尊重してくれる資金源/意思決定者を上位に持つことが大事である。本日の寓話は、日本の多くの企業で本来必要なレベルの余裕が失われ、破綻に向かう三流ギャンブラーのような意思決定者が増えつつあるのではという危惧から思いついたものである。ヘッジファンドのように不確実性が高くしかも極めて多くの競合他社がいる世界でさえ、いやむしろそのような環境だからこそ、遥かに高いレベルのアウトプットを出すための十分な余裕を社員に与える必要がある。

クォンツ投資をかじった人間なら知っていることとして、賭け事を行う際には超えてはならないリスク水準というものが存在する。著名なケリー基準はその一例である。この水準をちょっとでも超えた賭けを行うと、破綻確率が急速に高まる。そのため、長く生き残る実務家は、限界リスク値に対して常に保守的な量の賭けしか行わない。たとえばギャンブルでは半ケリー基準というものがよく使われる。同時に覚えておいて欲しい点は、保守的に賭けるが賭け行為自体は止めずにずっと続けるという点である。リスクフリーな環境ではなく、保守的リスクテイクを継続する環境に身を置くとよい


天才数学者はこう賭ける―誰も語らなかった株とギャンブルの話

最近の日本の労働者の多くは、臆病でのろまな態度だと競合他社に抜かれてしまうという、保守性のアドバンテージを無視したメッセージを経営者から口酸っぱく聞かされてきたのではないだろうか。しかし実は、性急を急ぐ意思決定者こそが競合他社の結果を待つまでもなく先に自滅していくというのが困難なビジネスにおける実態なのだ。もしスピードが最優先事項だと言われたら、自社のビジネスはwinner-take-all効果が働く世界かどうか、そしてwinnerとなるプロダクトが明確であるかどうか問い返すか自問自答すると良い。もし明確な回答が出なかった場合、スピードが最優先というstatementはおそらく間違っている。目的関数がわからない時点で、あなたは不確実性の高い環境に住んでいることが示唆されているから。

最適速度は不確実性の単調減少関数

より正確には、最適なスピードと信頼性のトレードオフは不確実性とノイズの関数として表すことができる。不確実性が高ければ高いほど、着実性を重視しゆっくり進めるものが最後に生き残る。ノイズ項が極めて大きく、かつたった一つのノイズ因子でも容易に挑戦者を破綻させる環境の場合、信頼性を確保する前に次に進むあらゆる挑戦者がノイズによって墓場送りにされるためである。難しい課題にチャレンジすることは常にお勧めだ。敵に先を越されるリスクをあまり考えなくてよいからである。もし信じがたい速度で先を行っている競合がいるように見えた場合、ほっておいてもその競合はおそらく自滅する。

したがって逆説的ではあるが、不確実な環境に身をおけばおくほど、競合他社が自滅する敵失を期待できるために、かえって自分の本来の競争力強化に集中できるのである。著者がときどき想像することの一つに、Amazon.comJeff Bezos氏が大成功したことと、彼の最初の職場が著名ヘッジファンドのD. E. Shaw & Co.だったこと、彼がNassim Nicholas TalebBlackswanを愛読書かつ自分の部下に強く進めていることには強い関連があるのだろう、というものがある。D. E. Shawでの経験はBezos氏にとってBlackswanのメッセージをごく理解しやすいものにし、そして自らがPositive Blackswanになるにはどうすべきなのかの指針を多く提供したのではないだろうか。


ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質

反対に、不確実性が低い場合にはスピードを最大化したものが勝つ。これは少ないサンプルサイズで十分な信頼性が得られることに起因するためで、ラフな分析や直感でも勝利手段がすぐわかる環境である。石油利権にいち早く群がるとか(そのアドバンテージがあまりに明白だ)、コンピューター産業の黎明期には、一部の領域で品質よりもスピードを重視したベンチャー (e.g., MS-DOSや初期Windowsを開発したころのMicrosoft)が大勝利した。これらのケースでは明確な目標(e.g., Operating SystemOffice Softの独占)を最初に達成したものがwinner-take-allすることが明らかであり、その成功確率はほぼ単にスピードの関数である。Bill Gates氏やPaul Allen氏の類稀な才能ももちろん勝因ではあるが、Microsoftの成功とヘッジファンドの成功要因はおそらく異なっているのだろう、というのが著者の見立てである。

著者個人の仕事についても、三ヶ月立ったこともあり(日本時代の仕事ではこれはコンサルティング・プロジェクトを一つ終えるくらいの期間であった)、大きな成果に対するプレッシャーを毎日感じてはいる。しかし同時に、インサイトの確実性・信頼性を重視しスピードの優先順位を次点にしてくれる職場環境をありがたく感じている。そしてこの信頼性重視の企業文化が、実際のところ著者自身が入社前には想定していなかったレベルの高品質なトレーディング・モデルの開発に結びつきつつあり、いよいよ仕事が面白い領域に入ってきたと感じているところだ。読者諸賢の職場環境はまた違うことと思うが、企業文化の改革に関して何かきづきを提供できたならば幸いである。

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特権ではなくハイリスク投資としての名門学校

イギリスに移って三ヶ月が過ぎようとしている。移民としての生活に感じるところについてはまた後日書くこととして、今日は移住後に見かけた日本のニュースについてコメントしたい。国立大学附属学校の入試をやめて抽選による選抜に変えることで平等性を担保すべきという議論を見かけた。国立附属学校のOBとしてこれは大きな愚行であると考える。加えて、教育政策を立案する人々が何か勘違いしているのではないかと感じる点があるので持論を書きたい。勘違いという表現は、国立大学附属学校への進学は100%の成功を保証する切符であるという誤認を彼らが持っているのではないか、という著者の疑念から来ている。今回、移民後の依然として慌ただしい中で拙論を書いてみてエビデンスとなるデータを揃える時間がなかったため、今後機会のあるときに本稿をupdateしようと思う。

Disclosure: 著者は国立大学附属学校の一つである筑波大学附属駒場高校の出身である。

他の国立大学附属学校OBは日本の国力を維持するために、国立大学附属学校をむしろエリート養成機関として積極活用すべきである、という論陣を張っているようだ。ある程度バックグラウンドの知識がある人にはこれが正論であることがわかる。しかしエリートに搾取されているという被害妄想を持った人々にエリート教育のリターンを解くことはおそらくムダであろう。そこで本稿では他のOBとは違う視点から議論を展開しようと思う。

  • 他のOBの論陣は2つの意見が混合していることが多い。1つ目は日本の国力没落をエリート教育の不足に求めるものであり、2つ目の主張は国立附属学校は別に受験エリートの養成などしていないというものである。
  • 1つ目について。顕著に没落した日本の基礎研究成果や、スタートアップの成功度合いでもイスラエルや米国になかなか追いつけない日本の現状を彼らは危惧している。
    • 基礎研究の没落については、投資に対するアウトプットの比率で見ると日本は意外と悪くない(それでもイギリスやフランスの方が優れているが)
    • 後段の拙論と関係するが、ビル・ゲイツのような偉大な起業家は別に教育されたから出来上がった訳ではないことを考慮すると、エリート教育なるものが本当に必要かも実は怪しい。しかしエリートの卵を単に集めて濃縮するだけの介入には意味がある。これも後述する。
  • 2つ目については、それがTrueであることを著者自身の体験によって知っているので後述する。しかし自らがそれを体験しておらずしかも自分の人生に満足していない人というのは、被害妄想による疑念をやめようとはしないものだ。そこで以下では、教えないにことにこそ真髄があるというその実態を体験談として書いてみた。外野の人にももう少しリアリティが伝われば幸いだ。

存在しないリスク回避手段を求める人々

抽選推進を持ち出している人々は教育委員会のポスト保持者と一部の大学教授のようである。彼らの考えを総括すると、以下のように考えているように見受けられる 著者の誤認も含まれているだろうが、まずは本稿を一通り読んでから評価を下してくだされば幸いである。

  • 国立大学附属学校では、私立学校とは違って、安価な授業料で良質な教育が受けられる
  • この良質な教育が、本来授業料の安さを必要としていない富裕層に独占提供されている
  • その理由は、難しい入試問題を突破できるのが受験塾に授業料をつぎ込める富裕層の子弟だけだからである
  • ついては、諸悪の根源である入試を抽選による選抜に変えることで、このチャンスを富裕層の特権から庶民の資産へと転換することができる

著者の人生を振り返って感じることであるが、このような考え方は公立学校の教員や公務員に特徴的である。彼らには二つの顕著な特性がある。

  1. 彼らはリスクをとにかく嫌う。自分がリスク回避的なだけならまぁ仕方ないが、社会は誰かが他人のためにリスクを取っていかないと成り立たないのだ。私たちの今の落ち着いた生活を実現するために、過去にリスクを取って犠牲になった先人に対するリスペクトだけは忘れないでいたいものだ
  2. 彼らの頭は線形なメカニズムの仮定に支配されているため、常にinterventionismにとらわれる。彼らはsecond-order effectというものを理解していない

まず指摘したいことだが、別に国立大学附属学校に入っても安泰への切符は手に入らない。むしろ自分の今後の人生に対する危機感が発生し、そして実際彼らの多くはその後の人生で否応なしにかなりの危険に晒されるようになる。

内心はとても不安定な名門学校生活と多様性

実態はこういうことである。まず難しい受験問題をくぐり抜けて選抜されて来た子供達は、ほとんどの他の子供達よりも数学や社会的教養の点で優れている。その結果、別に学校の勉強ができてもちっとも尊敬の対象にならないという強烈なピアプレッシャーが発生するのである。もしある子供がアイデンティティを学力テストのスコアの高さに求めていた場合、彼の自我はとても危険な状態に落ちる。そこで子供達は、自分と他者との違いを大きくするものは何か、どのようにして自らのユニークネスを確保することができるのか自問自答し、その試行錯誤に6年もしくは3年の時間を費やしていくことになる。著者の母校の場合は、スポーツで良い成績を納めることはかなりの賞賛対象であったし、音楽活動に勤しむものも同様である。スポーツが賞賛されるのは特待選抜されるようなスポーツエリートが著者の母校にいなかったからで、そのような不利な環境で全国大会まで行くような努力家は尊敬の対象になる。

このユニークネスの追求と独自の価値観構築は、その後の職業人生に大きな影響を与える。それはユニークな研究テーマの選択であるとか、競合他社のことなど意識せず顧客の問題に集中するビジネス上の姿勢といったものだ。彼らは、逆風が多かろうと、他社の真似ばかりしている人々の対極に座ろうとする。他人と違っていることはとても良いことだという、多様性への賞賛を国立学校や多くの私立学校は育んでいる訳である。著者は市立の公立学校にも通ったからはっきりわかるのだが、多くの学校教員や教育委員会の監督者は、poorで独善的な教条を子供達に押し付けている日々について猛省して欲しい。なぜこのような共産主義シンパのまがい物みたいな人々が日本の教育機関にたくさん生まれたのかは著者にはよくわからない。歴史をさらに調べる必要があるだろう。ただ言えることは、英国や米国・カナダのような移民社会では当たり前のように是とされておりかつそれが経済的にペイしている価値観が、残念ながら公立学校でそれを伝えられていない日本においては、国立学校と私立学校が多様性確保に一役買っている訳である。

生徒には実はハイリスク・ハイリターン

さて、思春期に培われた独自人生への探求心だが、これは大人になってもずっとついて回る。自分の人生が平凡であることが恐ろしくなってくるのだ。そして彼らの多くがハイリスクな意思決定を行うようになる。最近10年ぶりに再会した親友を例にとると、彼はNGOの仕事でアフガニスタンにも行っているし、ワシントンD.C.滞在中には後頭部に銃を突きつけられてその時の貴重品を全て盗られた。その際に彼が強盗から英語で言われた言葉は次の通りだ。「顔を見たら殺す」これを正確に聞き取れずに、「えっなに?」などと言って振り返ったらあなたはもうこの世にいない。

要は名門学校に入ることは、ハイリスク・ハイリターンの投資をすることなのだ。もちろん名門学校に入ったあとでも、大学進学くらいの時点で諦めれば、極めて平凡な人生を送ることも不可能ではない。しかし思春期に培われたその価値観を捨て去ることは、自分をどこかで信じている子供達には難しい。結局のところ、名門学校への入学はハイリスク・ハイリターンの株式にほぼ全財産突っ込むようなものなのだ。一応はput optionもあるとは言えるものの。

先ほどの強盗にあった彼は今では欧州で息子を育てている。実はさらに驚きのstruggleがもう一つあるのだが彼のプライバシーを考慮しここでは書かない。彼のハイリスクな人生は、名門校通学をリスクフリーのフリーランチとして考え、抽選制でばらまいてポピュリスト的人気を取ろうとするような人々の人生観とはどう考えても対極にある。

役所の人々の人生はリスクレス・ミドルリターンと言えるだろう。著者が所属するヘッジファンドの世界では、リスクを取らずに追加で期待値が高められるような戦略にはalphaが存在する、という言い方をする。Alphaが存在すること自体は悪いことではないが、それは個人の並々ならぬ努力と忍耐の対価によって手に入れるものであって、努力をしない一部の人にただで配ってはならないのである(選択的にただでばらまくと市民社会の相互信頼を傷つける)。実際、Alphaの取得の難しさは経済学で言う所の効率市場仮説と関係しており、それは市場の公平性を一定量担保している。

もしAlphaが何の追加の痛みも伴わずに容易に、しかも一部の人にだけ与えられている場合、それは特権と呼ばれる。リスクレスでハイタリーンが手に入る特権が放置されている状況は社会的不公正である。雇用を公的に保護されている人たちは、純粋な親切心から、その特権を他の人にもちょっと分け与えてあげようと思ったのかもしれないが、そういう特権の存在が放置されること自体が、公正の観点から問題があるのだ。

名門校に入ることは少しくらいは期待値を高めるかもしれないが、大きなボラティリティを伴うため、これはAlphaを取っている訳ではなくてBetaを高めているだけだ。ハイリスク株式が万人に進めるべき資産クラスではないように、名門学校への通学も別に万人に勧めるべきものではないわけである。多くの名門学校は入学試験を課しているが、その後の人生の波乱に比べたら入学試験などというものはとても小さな試練である。その程度の小さな試練突破に対するcommitmentができない子供達を無理に名門学校に入学させるとむしろ人生に暗い影を落とすであろう。

今となってはオックスフォードにゆかりのできた著者としては、ここでノブレス・オブリージュについても言及しておきたい。第二次世界対戦時、オックスフォード大学やケンブリッジ大学に通っていた貴族の師弟は真っ先に戦死した。戦死したからといって貴族の特権が正当化されてはならないのだが、少なくともこちらのエリートはハイリスク・ハイリターンの人生を送っていたということだ。そのハイリスクには株式投資ロスのような金銭損失だけではなく、命の損失も場合によっては含まれているのである。

社会全体へは: 低コストでハイリターンのバフェット流投資

さて、ハイリスク株式を若くして取得した子供達が将来社会に何を残してくれるか考えてみよう。ここで重要になるのは国立大学附属学校が何をしているかである。著者の記憶を披露させていただくと以下のような感じだ。

  • ともかく異様にポテンシャルの高い同級生だけは集まった。なまじ頭がいいので、誰も他人の命令なんか聞かない。公立学校で行われているような、道徳的正当化からの説得は彼らには無意味である。どうやって何か新しいことを協業しようか?
  • 机はボロい。ファシリティは老朽化して汚い。校舎の保全は県立高校の方がマシなのではないか? 箱物公共工事建設業者泣かせであろう。国からの我が校に対する投資金額の低さだけは他校の生徒に自慢できそうだな
  • 母が保護者向けのガイダンスに出席してきたが、たった一本の鉛筆を持ち帰らないように教官から強くお願いされたそうである。数が極めて限定されているため、それがないと業務が滞ってしまうらしい 鉛筆一本だって?
  • 教官たちは、教養は確かにあるのだが、生徒の意向も意に介することなく勝手な雑学講義をdeepに進めているように見える
  • 生徒たちは、他の生徒の奇抜な行動には気が気でないようだが、教官に対する関心はてんで薄いようである。この人たちが何を「教えて」くれるというのか?

最近は文科省のスーパーサイエンスハイスクール(SSH)といったシステムも導入されているので以前より少し介入的な投資もしているだろう。しかし、国の「エリート養成機関」とやらの実態は、優秀な子供を集めて単に一箇所に放り込んだだけだった。しかしこの生徒たちが将来、社会的には大きなリターンを生んでいることは日銀の黒田総裁 (著者の高校の先輩である)がもたらした日本経済の変化や、後輩たちの起業成果を見ての通りである。生徒個人個人にはハイリスク・ハイリターンの人生でも、生徒を集めた集合体で見ると低コストでハイリターンの理想的ポートフォリオになっていたのだ。Warren Buffettに言わせれば、資本がかからず無限に利益を生み出すような企業の所有が理想の投資である。コストをかけなくてもハイリターンが出ているのに、なんでお役所の人たちはわざわざコストを増やしてROIを低くしようとしていたのだろう?

人材濃度の希釈化に対する脆弱性

この理想的な社会投資はしかし常にワークする訳ではない。この投資機会のeconomic moatはとても小さく、役人の変な介入によって容易に消滅してしまう危機に瀕しているのだ。

子供達をハイリスクな冒険へと駆り立てるものが、「座学勉強ができても賞賛されない」ことだった点を思い出して欲しい。もしここに抽選で、相対的に学力の不足している子供が放り込まれると以下のような事態が起きるであろう。

  • 元来の学力の高かった生徒たちは、座学勉強ができるだけで抽選組に対する優位性を確保してしまう。その結果、今まで保持されていたリスクテイクへのインセンティブが失われる
  • 高いcommitmentを示す前に大人の都合で抽選で入れられた子供たちの将来は全く不確実である。極端に言えば、このハイリスク・ピアプレッシャーで自我崩壊したりしないか?

このように双方の集団にとって、そして子供達への投資からリターンを得ようとしている我々市民全体にとってもおそらくはリターンを低める結果にしかならないであろう。そもそも日本では義務教育が保証されているのであって、他の子供達も普通に都立/県立高校へ進学できるのだ。それを差し置いてわざわざ国立学校を設ける正当化には、この国立学校が他の公立学校と違っていることという条件が必須である。

単に違ってさえいれば良いという視点からは、今の国立学校のバラエティが不十分である、という主張ならば一定の説得力があるだろう。学力の高さだけでかき集めた国立学校があるなら、芸術センスの高さだけでかき集めた国立学校があっても良い。これなら主張として成り立つ。その場合、芸術センスの高さで集めた生徒たちに対して芸術の講義はしない、という政策が要求される。この観点からすると、私立学校の一部で行われているスポーツ特待生にスポーツエリート教育をするというシステムは介入主義の幻想から抜けていない、と言えるだろう。スポーツエリートを集めるなら、スポーツができるということが何の自慢にもならない、という危機感を生徒に抱かせることが社会的投資の秘訣なのである。

介入/設計主義の不毛

最後に、なぜこのような議論が出てくるのか、日本のみならず世界中の公的機関に意識的 or 無意識的に内在する介入主義へのバイアス傾向について論じたい。中学時代、著者を耐えず不快にさせていた教員たちは、子供をスイッチのついたパネルか何かと勘違いしているようだった。例えるとこういうことだ。

  • 生徒には英語、数学、国語といったボタンがついている
  • 教師がそのボタンを押す(授業を通してやり方を教える)。子供は対応するボタンの機能を習得する

こんな現象は現実には存在しない。教師が英語指導をXポイント追加すると、子供は英語能力が0.3Xポイント向上する、というような線形システムが頭の中に埋め込まれている人々は、常に介入を正当化する。子供の英語力が足りない? じゃあ英語の授業をもっと増やそう。子供が非行に走る? じゃあもっと道徳の授業を増やそう。日本の大学しか卒業していない著者はオックスフォード大学のそばに置かせていただいているだけだが、著者がオックスフォードの入試問題を見た限り、こんな単純な線形社会システムを頭に描くような人物はオックスフォードの入学試験には絶対に合格しないと言える。

線形システムが頭にある人の特徴は物事を足し算していって複雑化させる点だ。本日、いったい教師の独善のためにどれだけの無駄な授業と説教が行われているのであろうか? 過去には、才能ある子供たちのポテンシャルをどれだけ潰してきたのであろうか?

一方、国立大学附属学校の低予算システムは、意図されたものだったかはわからないが、少なくとも引き算が有効に働いている。これらの学校では介入をせずただ放置しただけだった。才能ある人たちを集めて、その才能を自己否定させるような場所を提供するという、逆説的アプローチによって人材輩出に成功してきた。数学を教えたら数学ができるようになった、というような介入主義的発想はfirst-order effectばかり見ているが、否定によってリターンを得るこのアプローチはsecond-order effectを利用しているのである。

Second-order effectについて補足して本稿を終えることとしよう。ホメオパシー(代替医療)の効用について考えたことがあるだろうか? これはレメディと呼ばれる謎の物質を、その物質が1原子も含まれない濃度に水で希釈して投与するというものである。

まず伝えることとして、過去の膨大な実験によって、ホメオパシーには医学的な効能が全くないことがほぼ確実である。ここでnaiveな介入主義者は、「非科学的なホメオパシーをやめさせるべきだ」などという。もちろん、正当な治療方法が判明している病気に対してホメオパシーを施すのはよくない。しかし、その治療方法が不明かもしくは既存の方法が有害だったら?

ここで覚えて欲しいのが、ホメオパシーが有害であるという仮説も十分に棄却されているという事実である。つまりホメオパシーは人体にプラスもマイナスも何も及ぼさないのだ。

この結果、有害な過剰医療の代わりにホメオパシーを施された患者は長期的には自らの自己治癒能力で回復していく。ホメオパシーは、有害な医療行為から患者を遠ざけさせることで結果的に患者を回復させるのである。first-order effectの医療しか考えられない医師は肯定的材料だけを探して過剰医療をするが、ゼロがマイナスよりはマシであるというホメオパシーの結果に着目した医療行為はsecond-order effectを利用していると言える。

Second-order effectの効用は他にも色々ある。医療技術が未熟だった過去にはお祈りばかりしている宗教の多くがその役割を果たしたし、今でもある種の呪術行為はアフリカでインチキ医療行為やあるいはもっと過激派の宗教から患者や信者を遠ざけるのに役立っている。

介入行為の不毛に関する指摘はハイエクやポパー以来のオーストリアの伝統である。少なくとも民主主義国家をまだ自認している日本においても、彼ら偉大な哲学者に習ってみたらどうだろうか。国立大学附属校ではsecond-order effectを利用した「何もしない」「否定の」教育をもう少し続けてみるということだ。最安の設備投資で最良のリターンが待っているのだから。

オックスフォードに移ってファンドで働きます

突然の告知であるが、いわゆるヘッジファンドからオファーを頂いて機械学習クォンツ研究者 (投資アルゴリズム開発者) として働くことになった。勤務地はイギリスのオックスフォードである。民間企業のポストではあるが、オックスフォード大学の一流教授陣 (統計学, 金融経済学, 機械学習の著名教授と同じオフィスビルに入る) やPhD students, postdocsと日頃からコミュニケート可能な、特殊な研究環境で働くため非常にエキサイティングである。

読者諸賢には想像していただけると思うのだが、金融業は種々の規制の下に存在する。まずはイギリスの Financial Conduct Authority (FCA) の規則にのっとり、そして多くの内部統制に従う必要がある。著者も渡されたCompliance上のガイドライン数百ページを今日も読み進めているところである。本ブログは数理科学を用いた社会課題解決全般について記述することを意図しているが、最近は投資のための分析が多かった。今後も数理的な民主主義の発展アプローチについては議論していくが、金融市場に関する発言は抑制された注意深いものに留める可能性が高いことをご留意いただきたい。今日以降の発言はCompliance上の制約下にある。

パフォーマンスのランダムネス

多くのヘッジファンドではローパフォーマーは大きな解雇リスクに晒される。著者の雇用契約書にも会社側がdiscretionaryに解雇できる条項が入っている。単にローパフォーマーを解雇するのは英米系の会社では勤務地問わず当たり前のことだが、問題はヘッジファンドの場合は本人の能力とは無関係に誰もがローパフォーマーになりえてしまう点である。極端な言い方をすれば、あなたの首が切られるかつながるかは、あなたの努力や才能ではなく、単なるコイントスの結果で決まってしまうのだ。

単にお金に惹かれて何の勝算もなしにヘッジファンドに入社することが何を意味するか、最近はカルチャーも変わってきてはいるものの、たとえば10年以上前のこちらの記事を参考にしてみて欲しい。この記事は、金融業界の人よりも、いささかAIバブル気味のIT業界の人にこそ、自分たちの向かう方向を考える上で参考になると思う。市場の効率性は100%ではないが現代の金融市場では極めて高く、かつ大きな予測不可能性によって一流のポートフォリオ・マネジャーが特定年にアンダーパフォームしてしまうことが容易に起こる。自分は過去の実績があるから首にはならないだろうと思う労働者は、おそらくsignal to noise ratioの高いビジネスで働いてきただけである。数年単位の長い目で見れば一流ポートフォリオ・マネジャーとそれ以外との差、つまりAlphaを稼ぎ出す能力ははっきりしてくるものの、雇用継続を決定づけるもっと短い期間でのパフォーマンス変動に関しては神仏にすがるしかないのである。

著者の場合も入社後のプレッシャーは強烈なものになることが容易に想像できる。しかし大きなリスクを負ってでも、知的に吸収できるものが間違いなくたくさんある職場なので、雇用が続く限り多くのことを吸収し、また世の中にも還元していきたい。著者の場合、投資を本業にすることに対して昔から関心はあったが、業界の過酷さを考慮して踏みとどまり独学を続けていた。マーケティングや広告の機械学習アルゴリズムで一通りの実績を作ったから今回チャレンジを決意した次第である。したがって効率市場仮説に敗北して夢破れた場合には、またマーケティングの世界に戻ってくることになるだろう。不恰好ではあるが、よくも悪くも保険を作ってからの、中年としての挑戦である。

  • まぁこれは実際にはちょっと大げさに書いていて、著者の場合、データサイエンスという言葉から想像つく範囲の仕事もそうでない仕事もプランBやCを用意してあり、そういったプランが描ける理由は、結局のところ多くの人とのゆるいつながりのおかげだ
  • 基本としてコミットすべきプランAの実行に入る前に、プランB, C, Dを作っておけるかどうか、それぞれのシナリオの将来への進み方に関して動的計画法的な異時点間最適化をある程度できるかどうかが、成功するキャリアの鍵だろうと思う

解雇の話ばかり書くと後ろ向きに見えるだろうから、前向きのアッパーサイドの目標も書いておく。マーケティング、広告、金融市場すべてに対する機械学習モデリングを通じて、実際の資本の流れに関する統計的アプローチを確立し、経済学・経営学の教科書を部分的に書き換えること、それも経済学者の視点ではなく統計学者・コンピューターサイエンティストの視点から書き換えることが著者の長期目標である。

さて今回の記事では、著者の体験を元に転職に関する所感を書く。転職を意識している方への参考情報も記載した。昨今とくにシリコンバレーへソフトウェア・エンジニアとして移住する日本人が増えている。なのでそちらの情報は多くブログが散見されるのであって、日々参考にされている方も多いだろう。著者の場合は米国ではなく英国を選択したし、業種もバイサイド金融でいわゆるITとは少し異なる。金融業ならばスイスのチューリヒも非常に良い環境で魅力的だったのだが、著者の専門とつながる仕事がイギリスにあったという経緯である。

  • なお著者の選択はヘッジファンド転職にしては特殊で、他の労働者とはずれている
  • オックスフォードで働きたい・研究に近い場所に留まり続けたいという意思を優先させたためにサラリーはかなり妥協した
  • 友人からの参考値を見るに、単にサラリーだけを見ればウォール街の方が著者の2-3倍の値をオファーするだろう。これは誇張ではない
  • この業界に興味がある方でキャッシュがメインの目的である人(それは全く悪いことではない)はNew YorkやChicagoでオポチュニティを探すことをお勧めする
  • 著者の場合は価値観がサラリーに留まらなかった(もちろんお金も欲しいのだが)。1,000年近くの歴史に裏付けられた地政学的バックグラウンドのある場で学ぶ経験は、お金には代えがたい。マンハッタンの無機質な高層ビルの間で働くのか (著者は直方体外見の、センスなき建物が嫌いである)、それとも歴史ある建築群の中で働くのかの違いも大きい

外国の雇用情報に機敏な方はすでに十分情報収集をしているから著者の助言など無用である。したがって本稿は、エキスパートではなく転職を意識しはじめたビギナーの人を補助する前提で書かれた。ソフトウェア・エンジニアに関する情報も巷に大量にあって著者が言う必要などないので、ソフトウェア・エンジニアのカルチャーから離れた部分について書いてみた。

CVは整備しておこう & 英語をきちんと書こう

日本企業の人・外資企業だが新卒以降ずっと一社で働いてきた人の一部と話して驚くのが、自身の履歴書を整備していない and/or LinkedInにprofileを公開していない点である。履歴書とここで言っているのは、米国でResume, 英国でCurriculum Vitae (CV)と言われる英文書類のことだ。著者の考えでは、全ての労働者はこれを整備すべきだ。転職する気があるかどうかは関係ないし、転職先が日本企業であっても同様である。一部の読者は、LinkedInを整備することで現在の雇用主から罰せられることを恐れているかもしれない。参考情報として伝えると、英国でもLinkedInで積極的に転職活動していると思われるアピール文が見つかるとその社員を罰する企業が確かに存在するようだ。しかし文面は一定の倫理基準を守れば良いのであって、LinkedInのアカウントを取得して基礎情報を載せること自体を罰する話は聞いたことがない。加えて、LinkedInに仕事内容を書かなくてもCVに書いて個人として管理しておくことには何の問題もない。そもそも外向けのCVはconfidential情報を書くものではない。

CVを書くことで、自分が今までの仕事で何を計画し、何を達成してきたのか整理される。また定期的に履歴を振り返ることで、自分が次にどのようなキャリアを進むことで労働市場での競争力が強化されるかも、明示的に考えやすくなるであろう。頭の中でなんとなくイメージしていることと、文章に書き出したことの違いは大きいのである。CVを書く主目的は、転職とは独立したものであって、自分の仕事の品質と目的意識を高めることにある。著者の最初の職場では、履歴を入力するとCVのpdfファイルをビルドする専用システムが社内にあった。もっとも著者はそのシステムには頼らず自分でレイアウトを設計したCVを管理していた。社内システムは他の社員が参照するためのものだから、プロジェクト内容をconfidential情報も含めて比較的長文で正確に書くことになる。そのため外に公開可能なCVはやはり自分で作る必要がある。

CVで用いる英語には一定のルールがある。外国の企業に転職しない限り関係ないと思う方もいるだろうが、後述するように転職先が日本企業であっても英語CVの整備はとても役立つ。Writingルールに乗っ取って簡潔かつ強力に書くことで、アピールすべき自分の強みが何なのかはっきりしてくるだろう。CVの書き方に関する参考書はいくらでもあるが、たとえば著者の本棚には6年以上前から次書が入っている(著者がもっているのはこの本のVer 2.0である)。


英文履歴書の書き方Ver.3.0

LinkedInのprofileはCVのsubset or supersetにすると良いだろう。LinkedInのアカウントである程度まともに記述されたprofileであれば、ヘッドハンティングの誘いは頻繁にくる。外国の仕事、日本国内の外資、日本企業のいずれも来るため、日本企業に移るつもりの人もアカウントを取得すべきだ。日本企業であれば他の転職サイトでも移れるかもしれないが、日本語サイトでしか活動できない候補者と、日本語でも英語でも活動可能な候補者と、日本企業採用担当者から見てどちらが魅力的に映るか考えてみてほしい。

希望の職種とは無関係に、何に関しても重要なのは英語のWriting skill である。アカウントを持っているがあまり誘いが来ないと言っている人を見かけたことがあるのだが、著者と近いエリアで仕事をする彼の仕事は本質的には需要がある。しかし彼の場合は英語の書き方に問題があるのと、そもそも英語をきちんと書けという指導を前職以前にされてこなかったように見える。日本にヘッドクォーターがある彼の前職企業では、おそらくproject proposalやresearch proposalを提出して国際的にfund獲得のための競争をする機会がなかったのだろう。多くの日本人はListeningとSpeakingの能力に問題があると自分で思っているようだが、著者に言わせるとWritingがどの外国語習得でも一番難しいのであって、Writing skillを上げることにもっと労力を費やすべきである。Writing skillを持っている点で、まともなdefenceを通過したPhDホルダーは極めて有利な状況にいる。一流論文誌 or 国際学会誌に何度も通している研究者は、最小分量で最大メッセージを伝える英文の書き方を理解している。また作曲経験のある著者の観察では、多くの作曲家もWriting skillが高い。彼らは西欧の著作におけるpyramid principleに従ったwritingスタイルが論文・楽譜問わず一貫していることを知っているため、一流の作曲家に英文を書かせると洗練されているのだ。作曲家の友人の言葉を借りるなら、Writingができる人は、英語のスキーマと思考法が頭に整理されている結果ListeningやSpeakingの能力も自然に身についている。この意見に著者も100% agreeする。

LinkedInを通じてコンタクトしてくるハントの多くは読書諸賢の眼鏡にかなうほど面白い仕事ではないと思われるが、打率100%を狙ってはダメだ。そもそも返事しなければ打率の分母にすら入らないから気を落とすこともない。変な誘いが来ても無視するだけだ。忘れないで欲しい事は、多くのしょうもない誘いに加えて一部は確かに面白い仕事の依頼がくる点である。100種類の無意味なハントがきたとしても、あなたの望む仕事が1つ追加で勝手に飛び込んでくるなら、こんなにありがたいシステムもそうそうないだろう。LinkedInのアカウント取得は基本的に無料だし、著者は有料のサービスは特に何も使っていない。

著者の場合は、今回の雇用主からの誘いは一年以上前にあった。いきなりそれに飛びつくのではなく、自分がどうしたいのかをよくよく考えて昨年末から面接を開始し、今回の転職に至った次第である。なお面接に時間がかかっているのは、この会社の慎重な審査と著者自身が現職で残りの仕事のために期間調整した部分との相互作用結果であって、一般の転職はもっと短いスパン (1.5-2ヶ月くらい)で決まることが多い。

晴れて面接に通って転職を決める場合でも油断大敵である。CVの書き方とは別に、新しい職場での仕事の心構えについては、例えばこんな本でも参考になる。次書は少し労働者を脅しすぎに書いていて最高品質とは言い難いと個人的に思うが、何もないよりは読んでおいて損はないだろう。これより良い参考書を読者が持っているならそちらを参照して欲しい。


外資系キャリアの転職術―採用担当者があなたに教えない44の秘密

電話に慣れろ & Video chatに甘えないこと

これも昭和の親父の小言みたいなコメントだが、知らない人のために補足しておく。シリコンバレー界隈の仕事はSkypeやGoogle Hangoutなどの相手の顔が見えて高品質なオーディオで最初の面接を受けられることが多い。これはとても有難いことなのだが、この面接環境を与えてくれるのは世界的には一部の企業だけだ。加えて多くのベイエリア在住者は、外国人に優しくしようと努めているのか、かなりゆっくり喋るように見受けられる。これは英語に苦手意識をもつ外国人にとっては朗報であり、特に日本人ソフトウェア・エンジニアが率先して西海岸に渡る傾向と無相関ではないように思う。

他業種の企業だと面接は単なる固定電話 or 携帯電話からはじまり相手の顔は見えない。米国でも著者の知るNY / Boston界隈では電話だけで全てを済ます人がかなりいる。著者は今回の転職活動で複数の企業から経験したのだが、今回オファーを頂いた企業も含めて電話の音質がかなり悪かったりする。しかも面接官はそんなことを気にせず、少なくともベイエリアより早口で喋る。著者の場合は、電話がローパスフィルター気味で高周波がカットされてしまう点が、基本周波数がアメリカ英語よりも高いイギリス英語と相性が悪く、ヒアリングはそれなりにハードだった。技術的に知らないことがあるのをhumilityとして認めることは面接結果にそこまで悪く寄与しないと著者は思うが、そもそも英語が聴き取れませんだと問答無用で落とされる可能性が高い。ヒアリング問題については相当ハラハラした。

著者個人に関していえば自分の身の程を再確認したということでもある。もともと高校生や大学学部生のときは全然英語ができなかったのだが、外資での業務を通じて米国英語にはそれなりの自信をつけてきた。イギリス英語もデービット・キャメロン前首相やトニー・ブレア元首相の演説などで慣らしてきたつもりだが、しばしばBBC Englishと揶揄される彼らの英語は誰にでも聴き取りやすいように計算されたものであって、一般イギリス人の会話にそこまで期待してはいけない。コックニーまでいかずとも多くのイギリス英語に対処するにはまだ著者のヒアリングスキルは足りないということである。入社までの猶予期間である今現在もイギリスのテレビを使って耳を慣らしているところだ。

さて、対応策としてここで伝えたいのは、普段から業務で顔の見えない音質の悪い英語に慣れておくことである。聞き取りの面倒なテレコンになぜ参加する必要があると思うかもしれないが、むしろそれをさせてもらえる業務はスキルアップのチャンスだと思って今の雇用機会を積極的に利用しておいた方が良い。あなたがお金に少し余裕があるなら、(外国側の通信はどうしようもないのだが) 高性能で音質の良い電話機を買えば少しはマシになるかもしれない。著者はケチだったので8年も使い込んだ安物電話機で第一面接に挑んだ次第である。オファーで手に入れるサラリーのことを考えると、ここでケチった著者がとても非合理的であることが明白だからマネしないように。そして電話面接を何回か通過すれば後段の面接ではSkypeや専用のビデオ面接機器も使われるし、それらを通過すればon-site interviewだ。しかし電話面接通過以降であっても、事務連絡事項などは全て電話で飛んで来るし、現地のヘッドハンターとのやり取りも電話のみである(彼らは街中からふらっと日本まで電話をかけるのだ)。コミュニケーション手段の基礎が世界的には依然として電話にあることは忘れないでほしい。

独創性や非典型的である強みを活かそう

さて面接の心構えについて最後にコメントしよう。多くの企業では口頭による会話で面接が進むが、著者のような研究職の場合はそれに加えて1時間程度の自身の研究プレゼンテーションを課される。このプレゼンテーションでは、なぜ自分がその課題を解こうと思ったのか、prior workは何があってどのような欠陥があるのか、本質的なあなたのcontributionは何か、といった内容を事前に資料にまとめる必要があり、その内容は当日に全方位から審査される。要は国際学会発表や講演と同様である。著者の職務は投資アルゴリズムのソフトウェア実装も含まれるため、ソフトウェア・エンジニアには馴染みのあるcoding interviewもさらに課された。

  • ただ正直に申告しておこう。著者のcoding interviewにおける回答は他のソフトウェア・エンジニアほどは優れていないと思う
  • 著者の場合、そもそも決定的アルゴリズムの完璧性を競う世界にあまり興味がないのでcoding interviewテキストなどは演習したことがない。しかしソフトウェア・エンジニア職を狙う場合は時間をかけてこれを行った方がよい
  • 著者の実際のcoding interviewでは、面接時間に制限があるため、これだとerror処理がされていないなと思う状況でも課題提出しなければならなかった
  • ただ研究職では他人が思いつかないアプローチの発見とそれにより提供されたプロトタイプの有用性が重要なので、悪いcoding成績は大目に見られたということである
    • Topcoder的な短時間解決能力は二流であったが、Apache Sparkを使った分散機械学習アルゴリズムの実装や複数のプログラム言語の使用など、これまでの経験からカバーされる部分も評価の対象に入った
    • 一方で前職の経験を一切考慮しないポリシーの企業もあるから、応募先をよく調べた方が良いだろう
    • 基本的にソフトウェア・エンジニア職では、完璧に動くコードの提出を要求される

イギリスから日本の著者に直接ハントが来た背景はランダムではない。著者よりも前に半年から1年ほど該当職務に従事できる人材を欧州で探したものの、見つからなかったらしい。事前募集告知はイギリスでTier 2 (General) Visaで外国人を雇う場合の必須条件である。金融市場において、機械学習がAlphaを生み出すと主張する仕事のほとんどはi) over-fittingを理解していないか、ii) over-fittingを避けるよう設計したつもりだったが実は最初の仮説がテストデータから来てしまっていた眉唾物である。問題の難しさを正しく理解し、かつそれでもチャレンジしてみようと考えるデータサイエンティストがいなかったということなのだと思う。

  • i) をやるのは本当の二流だが、ii)は一流の人でも犯すミスである。ノイズが少ないデータならこれでもだいたいうまく行くが、資本市場ではうまく行かない

何がオファーの鍵になったか、無論のこと著者には正確にはわからない。しかし著者が独自で開発していた投資アルゴリズムが大きくプラスに寄与したことは確かである。この中身についてはそのPrior Workやすでに認識している欠陥など広範な質問を受けた。もちろん質問はこれだけではなく、機械学習PhDホルダーが持っているべきアルゴリズムの全般理解についても質問が飛んでくる。日本国内で著者と交流のある機械学習研究者はほぼ全員これらの質問は通過できると思う。一方で単にRやpythonの機械学習パッケージを使っています、だと面接突破は難しいだろう。日頃からきちんと基礎を学ぶことには報酬があるのである。

逆に面接をする側から物事を見つめてみよう。著者は伝統的な日本企業のやり方を積極的に高く評価している。むしろシリコンバレーのソフトウェア・エンジニア職におけるそれを無批判に真似することの方が問題がある。通常はCoding interviewと課題への熱意や相性の重ねがけで採用判断すると思うが、たまに前者を極端に重視する会社がある。著者の考えでは前者は単なるフィルターであって、やはり後者が重要だ。前者だけで雇われる人材というのは、極端な言い方をすれば単なる「お勉強ができる人」だし、会社側も昔の工場労働者を雇うときのように部品として画一的な人材を雇っている側面がある。原理的に解けることがわかっている問題で完璧さを争うスキルよりも、解けないかもしれない不確実性の高い課題にある程度の解決法を与えるスキルの方が実社会では重要だ。たとえ一流大企業の開発したメソドロジーであっても、現在のソフトウェア・エンジニア採用トレンドには疑問符がつくことがある。悲しいのは、これらの大企業の名声ゆえにその採用ポリシーを真似するフォロワー企業が後を絶たないことだが。

英米では多様な人材がものすごい数応募してくるので、全ての候補者に対して人間的に対応することができない。よって学歴などCVに書かれた内容で機械的にフィルターする傾向が強い。その点、面接を最初から重視する日本企業は柔軟だと思う。面白いのは、Amazon.comのすごく高位の職位の人から聞いた話で、Amazon.comではCVの重要性が意図的に低くされており面接を重視するそうだ。ある意味で日本企業のスタイルに似ている。真に合理性を重視する企業はこのような柔軟性を大事にしているのだ。私に話をしてくれたその研究者はもともと米国の有名大学のtenure professorである。彼は他企業および大学の採用ポリシーと比較した上でAmazon.comのユニークネスを伝えてくれた。日本企業のこれからの採用戦略における鍵は、いかにこの柔軟性を保ったまま移民も含めたより多くの候補者に網をかけるか、という点にある気がする。人事にデータサイエンスが適用されつつある最近では、人間的な採用には統計的再現性がないことにも注意する必要があるだろう。

面接をスキルセットの確認プロセスだとみなすのは大きな間違いだ。それは相性の確認であり、熱意と倫理の相互理解プロセスである。現在どの企業で働いている人であっても、その人の職務のnon-triviality に由来する独自性が将来強みに変わりうる。世の中の流れに逆らうかのように、シリコンバレー採用ポリシーに著者が批判的になるのは、彼らのサラリーがとても大きいためだ。この2年くらいで「とりあえずTopcoderの問題集を頭に叩き込んでおけば無理に世界初を研究しなくてもたんまり金が入るんだろう」といった受験勉強突破テクで人生なんとかなるといった昭和の嘆かわしい思想に類似した風潮をtwitter等で散見するようになった。リスクテイクしなくても金が入る、と考える人がたくさん出てきたら大災害の予兆である。現在のtech industryへのtailwindはもちろんAI技術のおかげでもあるが、FRBの金融緩和の影響が相当ある。今の浮世が今後も続くと考えるような軽薄な態度はいずれ罰につながるだろう。レミングス的な行動に対する報酬には負の歪度が付随するのである。

逆にいえば、なかなか研究成果が出ず研究室で悩んでいる貴方や、無理難題をふっかけてくる顧客に対してどのように交渉を挑むか悩んでいる貴方の報酬分布には正の歪度がある。確率的にではあるが将来大きなリターンがあるということであり。あなたこそが良い方のblackswanになるのだ。Madness of Crowdsに乗せられてcopycatを続け、大災害たる悪い方の blackswanを引き起こす衆愚性の集団とは逆の存在である。外国からわざわざ声をかけてくるのは、自国で良い社員を調達できなかったときであって、あなたが依頼国の他の従業員と大きく違っていることはとても強みになる。非典型的であることが大事なのであり、それは民族由来のものだったり、非自明な(習得層に負の相関があるような)スキルの組み合わせだったりする。i) 西欧と違う視点をもち、かつ ii) その視点の背後にある合理性を欧米人にわかるように噛み砕いて説明できる人には、とても大きなチャンスが存在することになる。i) を持つ多くの日本人労働者にとって課題は ii)であるが、ここをクリアできれば彼らの可能性はとても大きい。

ゆえに今苦しい立場を感じている読者諸賢にこそ、むしろ自分に強く自信をもってほしい。著者の転職体験談など所詮1サンプルに過ぎないのであって一番伝えたかったことはこのような人知れず zero to one を目指している人へのエールである。今回はここまで読んでいただき、ありがとうございます。

Integrityと資本配分と高ROCからの再投資

先日のBerkshire Hathaway Inc. Annual Shareholder Meeting出席に関してもう少し話を続ける。著者はOmahaへの渡航時には Value Investor Conference (VIC) 及び併催されるSummitに出席している。昨年はPhilanthropy Summit, 今年はCorporate Values Summitが開催された。VIC本会議が投資手法や経済環境そのものについて議論することが多いのに対して、Summitは投資における価値観 (values) を議論する。技術者の人たちには価値観を議論するカンファレンスというのは馴染みが薄いかもしれない。しかし実は技術よりも価値観と哲学こそが不確実性の高い時代を生きていくにあたって最も大事なものだと、著者は自信を持って伝えたい。本稿では価値観が投資基準にどう影響し、そしてビジネス上の意思決定にどうつながるのかについて議題を提供したい。

Robert P. Milesへの感謝

VICに加えて、2017年の著者はGenius of Warren Buffett  (GOB)というバリュー投資家のためのExecutive MBAのクラスに出席した。VIC, GOB共にインストラクターの Bob Miles (Robert P. Miles) が作り上げてきたプログラムである。

彼と話していると、そしてプログラムに出席していると、Bobのintegrityの高さが伝わってくる。WarrenやCharlieのvaluesがそのまま彼にも共有されていることがよくわかる。VICやGOBの講師はBobによって本当に注意深く選定されており、講演者と受講者のいずれからも信頼されている。米国では彼は著名人なので宣伝目的で近づいてくるファンドマネジャーが大量にいるのだが、彼はそういった人々を避け、正しい価値観の元で投資が続けられるように受講生や出席者を助けてくれる。

Bobは作家として認知されていて、彼の著者の一部は日本語にも翻訳されている。The Warren Buffett CEOの邦訳を紹介しておくが、Warren Buffet Wealthもお勧めである。

最高経営責任者バフェット~あなたも「世界最高のボス」になれる (ウィザードブックシリーズ)

Warren Buffett Wealth: Principles and Practical Methods Used by the World’s Greatest Investor

著者はGOBコースの日本人修了生第1号だそうであるが、第2号以降が読者の中から現れることを願っている。たった3日間の受講で、日本の国立大学授業料の半年分くらいの費用がかかってしまうのだが、この講座で身につけた倫理観と規律はこの後の人生においてずっとあなたを助けてくれると思う。リターンを追求する投資だけではなく、投資による資本配分がリアルのビジネスにどう影響するのか、なぜintegrityがmatterするのかがよく分かるのだ。

ここではGOBおよびVICに来てくれた講演者の中で特に印象的だった2人をピックアップしたい。1人目はNebraska Furniture Mart (NFM)の前CEOであるBob Battである。2人目はInvesting Between the Linesを出版したL.J. Rittenhouseである。彼ら以外にもWarrenの長女であるSusie BuffettやNational Indemnity Company (Berkshire傘下で大変な利益をあげている保険会社である)のCEOであるDonald F. Wursterといった豪華スピーカーと身近に話すことができて大変貴重な時間であった。

Integrityと再投資との関係

Bob Battは慎重さとリテール・ビジネスにおけるあらゆる知見、そして何より次世代に対する思いやりを持った、尊敬できる老人の代表みたいな人である。バフェットの専門をCapital AllocationからRetail Businessに変えると全てそのまま彼になるかのようだった。彼はcandorのある人物で、オンラインのe-コマースや消費にお金を使わないミレニアル世代など、自分たちのビジネスに現在吹いている逆風についても率直に語った。NFMはMrs. Bとして知られるRose Blumkinが創業した。Bobは彼の家系がMinsk (今はベラルーシ、当時はロシア)からどうアメリカに渡って来たのか話してくれた。

NFMは巨大な一店舗にあらゆる家具とアプライアンスが置いてあるblock and mortal storeである。実際のところAshley (たまたまであるが著者の自宅の近所に日本支店があって知っている) など質の高い家具がかなり安く買えるので、インテリア好きの人はアメリカ中西部に行くチャンスがあったらぜひ訪問してみることをお勧めする。Bob自身はNFMからは引退して今は子供たちを助ける慈善事業に全力を注いでいる。リテール・ビジネスにおけるインサイトは慈善事業の経営や政府の運営など公益の追及にもとても役立つそうだ。

NFMや同じくBerkshire傘下で宝飾品の販売を手がけているBorsheimsなどは、他のリテールビジネスとは異なった性質を持っている。店舗数がものすごく少なくて基本的にはsingle-storeで全てを提供するのだ(注: NFMは全米で4つしか店舗がなく、そのいずれも巨大である)。多くのbrick & mortal retail businessでは、小さな店舗をたくさん建設するfranchiseの形式を取る。NFMやBorsheimsは逆である。しかし、たった1店舗にものすごい在庫があってなかなか買い物が楽しく、しかも価格も競合より安い。日本で言うと、東急ハンズが定価販売ではなく量販店と同じ値段で売っているようなイメージだろうか。

このsingle-store policyはWarren Buffettの注意深いcapital allocation能力によってもたらされたものである。彼は合計売上高を増やすのではなく利益率を増やすことを傘下企業に強く求めるそうだ。もし店舗数の増大がコストの増大か顧客の低価格志向によるマージン低下につながるようであれば、Warrenは傘下CEOたちにむしろビジネスの拡大を避けさせるのである。

NFMでは比較的安いNebraska州での流通コストや人件費を武器に低コスト優位性を維持している。販売価格も安いがコストがそれよりさらに安く高い利益率が維持される。他者がこれを真似ようとしても同レベルの低コストが実現できないので、高価格販売して顧客からそっぽを向かれるか無理して値下げして破綻するかのいずれかになる(日本の量販店は後者の道に向かっている印象がある)。Bobは”We are conservative.”と率直に語っていた。政治の世界でのconservativeは色々議論があるが、このビジネスに関するconservativeは著者には心地よく聞こえた。低コストを武器にするのはAmazonのe-Commerce部門も同様だろう。自称高付加価値ビジネスは競合が参入するとあっさりと値下げの妥協を強いられるが、流通網の強さによる低コスト優位性は競合が真似できないのである。Amazonの場合は直近の利益率を犠牲にして世界中で低コスト状態を実現するべく拡大を続けているが、NFMは高利益率を維持する代わりにNebraskaから外に出ないのである。そして全米中から消費者をOmahaに連れてくる

Growthとかbig businessといった言葉に踊らされている人にはNFMのpolicyは奇妙に映るかもしれない。しかし資本の効率性を最大化する観点からはこのアプローチが正しいのであり、しかもこのやり方だと雇用を最大限守ることができる。どういうことだろうか。

Buffettは複数のビジネス領域に極めて通じた投資家である。彼は同じ1ドルを追加投資するならどこに投じたら良いのかが的確にわかる。NFMやBorsheimsの店舗をどこかの州にもう一つ作るのと、それとも傘下の保険会社の拡大に当てるのと、リターンがどちらが大きいのか判断できるのである。彼はdiminishing returnによって利益率がさちってしまったビジネス領域にお金を放り込む愚を犯さない。そしてNFMは店舗を増やさずとも、Omahaにとどまっている限り儲けた利益を翌年の運営のために再投資して、高い利益率を保ったまま安定的に売上も拡大することができる

テストステロンに心を支配された愚かな経営者は店舗を増やせばビジネスが短期間で飛躍的に増大して利益もうなぎ登りかもしれないと楽観サイドだけを考え、短期間で急激な拡大を狙うが失敗して多額の負債を背負う。従業員も急拡大して大量に雇ったと思ったら急に大量に解雇する(人の人生をなんだと思っているのだ)。NFMのやり方だと、circle of competenceを守ることで持続的雇用を提供できる。もちろん絶対的な雇用人数が大きく増えるわけではないが、やっと仕事が見つかったと思って働き始めたら急に解雇されて今までの時間はなんだったのだと、せっかく働きに来てくれる従業員を途方にくれさせるような事態を賢明にも避けているわけだ。実際、Berkshireではlay-offをしないことを大事にしているそうだ。昔のDempsterの件ではBuffettは誤りを犯したと考えているらしい。

そしてこのアプローチは投資としても非常に成功する。高い利益率を維持して再投資を続けることで、長い目で見ると複利によって資本が膨れ上がっていくのである。ある時+50%で増えたと思ったら翌年から+3%しか増えなくなってしまったなどというビジネスよりも、毎年+15%がコンスタントに続き際限なく増えていくようなビジネスの方が望ましい。グロース株などと呼ばれている銘柄の一部は前者のような一発あたり市場しか取れなかったりするし、一発狙いの短期思考の人は、利益の再投資によって膨れ上がる複利を過少評価する傾向がある。アインシュタインも人間が複利の効果に気づかないことについて言及しているようだ。ぜひ後者のビジネスを探してみて欲しい。

Integrityとデータ解析

実はバリュー投資家のコミュニティでは最近、quality of investmentsが成功の鍵だと言う意見が強くなっている。財務書評から読める定量的ファンダメンタルズも大事だが(これが分かるだけでロクでもない会社をお金を放り込む愚は避けることができる)、それ以上にCEOや会社の人格・価値観こそがリターンを決めるのだという見方だ。

L.J. Rittenhouseはcandorをshareholder letterやannual reportsのテキストから分析する方法を見出してきた。良いニュースだけでなく悪いニュースも率直に伝える正直さ・自分の誤り認める態度があるとか、株主への手紙で英作文に時間をかけて丁寧に最適な単語を選ぶような経営者のいる会社は成功確率が高いのである。経済と倫理との関係を大切にしている人にとっては朗報ではないか。この世界は技術者の人にとっても面白いかもしれない。彼女らのアプローチを参考に、自然言語処理を用いて株式のリターンを予測しても良いわけだ。著者も以下の書にサインをもらった。

Investing Between the Lines: How to Make Smarter Decisions By Decoding CEO Communications

Quality of investmentsの世界には心理学者も研究フィールドを広げている。昨年のVICにはFred Kielが以下の書の紹介も含めて来ていた。Rittenhouseに興味を持たれた方はFred Kielも合わせて追いかけると良いことがあるかもしれない。

Return on Character: The Real Reason Leaders and Their Companies Win

人力ピックとアルゴヘッジのハイブリッド

Berkshire Hathaway Inc.のAnnual Shareholder Meeting及び関連イベントに参加するためNebraska州のOmahaに来ている。今回が2回目の渡航である。関連イベントではバリュー投資に関する講座に出席している。このプログラムでは著名バリュー投資家もしくは彼らを追いかけている金融ジャーナリストによるフリートークと、財務諸表を眺めてvaluationをすぐ出すクイズとが交互に続く。

本題の前にこのプログラムで学ぶことになった面白いアプローチを一つ。難しい数式や計算機を必要とする関数を用いる代わりに、いくつかの近似式を半ば暗記的に頭に入れるのは役立つようだ。感覚としてある程度の見積もりがパッと出せるようになるのは面白い。例えば72をリターン[単位%]の値でわると資産が2倍になるのに要するおおよその年数が出てくる。このヒューリスティックはかなり強力で、複数年次の財務諸表を眺めたときに複利としてのearnings growthがどの程度の会社なのかといったことが計算機なしで分かってしまう。厳密な計算はExcelやRを使うものだし、著者も含む多くの人はそういった手順に慣れている。しかしパッと見た時に考慮する価値のある会社かそうでないか判断できるフィルター能力は、stock pickingの能力を鍛える上で貴重なものである。

  • なぜ72に対して割り算すればいいかは一次近似を理解すれば簡単にわかる
  • 百分率でのリターンをr [%], 2倍になるのに必要な期間をT [年] とする
  • T\log (1+r/100) = \log 2 を解けばいいのだが、通常リターンは100%よりずっと小さいことを用いると左辺は  T \times r/100 でほぼ置き換えられる
  • するとTr = 100\log 2 \simeq 69.3 という単純な関係が出てくる
  • 通常の複利を用いるか連続複利を用いるかといった所で違いがあるだろうが、i) 2次以降の項も考えると少し上乗せする必要がある点、 ii) 72が色々な数字の公倍数になっていて暗算しやすい点も考えると72というチョイスは悪くない

他の受講生には数理科学の専門家はあまり見かけなかったためか、著者が機械学習専門であることを知ると他分野への興味からそれをネタに話しかけて来る人もいた。Berkshireとブラジルの3G Capitalが共同買付をしているからなのか、参加者にはブラジルのヘッジファンドでEquity Research Analystをしている方が多かった。

機械学習研究でPh.D.を取得した著者であっても財務分析の世界にやってくれば完全な赤子である。しばしば感じることは、単純なテクニックすら演習ではうまく使いこなせない自分は他の受講者より愚かなのではないかという不安である。著者の場合は特に、自身の研究分野でなら英語での議論にも何も不便を感じて来なかったため、財務分析になると的確な質問が思い浮かばないのは二重に歯がゆいのである。相手にする世界が変わると、日本人にありがちな「留学したら無口になってしまった」症候群と同類になってしまうわけだ。

しかし目的は別に他の受講者よりも多く正解することではなく、自分の投資スタイルにプラスになるように学びをすることだ。何より、自分が外の世界では無力であることを知るのは非常に健全であり、それこそが知的にストレッチされる瞬間である。今回の講座の教授陣も皆lifelong learningという言葉を使っている。Lifelong learningは悪い人口動態のせいで何かと悲観主義に陥りがちな日本社会にこそ、もっとも求められているアプローチだと思う。

バリュー投資に関しては今まで何回かコメントしてきたので省略するが、機械学習的時系列予測の当たらなさ度合いに疲れ果てた著者がガイ・スピアの著書を読んだ時の福音がとても大きかったことは伝えておきたい。本書でいきなり信者になった訳ではなくて、本書に出てきたキーパーソンたちの軌跡を追い、かつバリュー投資の世界における多くの統計的検証結果をきちんとサーベイしてからバリュー投資を始めた次第である。

勘違いエリートが真のバリュー投資家になるまでの物語

正の期待値を探す

多くの個人投資家が無理なく、しかし現金を現金のまま溜め込むよりも長い目で見たらはるかに優れたリターンを生み出す投資戦略とは何だろうか。この問に対する答えを知るには、リターンに関する期待値がプラスである戦略がどれだけあるのか知らなければいけない。

日本に住んでいると、期待値が顕著なプラスであることを確信できる資産クラスが何なのかわからなくなってしまう。失われた20年の間に蓄積されたデフレマインドと、多くの日本企業で見受けられる慢性的に低いReturn on Capital (ROC)を見ると無理からぬ話である。低いROCが続く原因についてはいくつか仮説があるので、さらっと書いてみた。読まれた方は気づくかもしれないが、契約条項に書かれていない顧客の過剰な要求に付き合わされる長時間労働などの問題は、本質的には株主の力が弱いのが原因だと著者は考えているのである。

  • まず根本原因は日本企業のpricing powerがとても弱いことである。似たり寄ったりのプロダクトばかり作っているせいだが、製造業への依存性が高い日本の産業構造の問題も大きいと著者は考えている。不幸なことに、日本が得意な技術分野が相対的にEconomic moatを形成しにくい産業に偏っているわけである
    • Moatがない企業の簡単な特徴は2つある。1つ目は値上げする前に顧客が怒らないことをお祈りする。2つ目はInternetが直接的な脅威になっている
  • Pricing powerを考慮した投資エリアのシフトにはCEOの合理的な決断が必要であり、そのために最適な人材が雇われるべきだ。しかし株の持ち合いが続く日本企業では、業績を悪いまま放置するCEOがなかなかreplaceされない
  • 持ち合いではない企業であっても、政府や経営者がactivistを敵対視しているせいもあって、株主の力は構造的に弱いままである。経営者が入れ替わることをなかなか期待できない状況では、ROCの改善は期待できない
  • この構造的な弱さが持続することを仮定すると、ごく一部の例外をのぞいて、日本企業に長期投資しようと投資家は考えなくなるだろう。そういう状況で、残念なことに旧日本軍以来染みついている短期決戦思考が資産配分でも現れてしまうのである。長く待っても勝てる見込みがないなら、一回だけ多賭けして勝ったら勝ち逃げしてしまおう、といったところか。無責任なレバレッジをかけたFXトレードなどはその典型である。しかし単純な質問である: i) 負けたら(そしてそれは大負けだ)どうやって再起するのだ? ii) 長期では勝てないのになぜ短期でなら勝てると考える? 勝つ確率だけ考えてる?

失敗の本質

  • このトレード体質は別に日本固有のものではない。オンライン・ブローカーが普及した世界中で見受けられる。しかし例えば、日本の強みであるビデオゲーム産業で培われたマインドは、こと投資に関しては悪い方向に作用する。
    • 殆どのビデオゲームにおけるランダムネスはマイルドなものであり、人は何回か試行錯誤してプレイするだけでゴールまで比較的早くたどり着くことができる
    • しかし資産価格の時系列は極めて野蛮なランダムネスを伴っており、人間の本能的感覚 (カーネマン達の言う所のSystem 1, 早い思考)でプレイすることを繰り返しても最適解にたどり着くことはほとんどない
    • そして自分の直感は優れていると勘違いしている多くの人は、System 1から離れてSystem 2による遅い思考に切り替えることをいつまでたってもしないのである

ファスト&スロー (上)

しかし、期待値がプラスの戦略が見つからないという状況は世界的に見れば心配しなくて良い。2008年の金融危機以降成長率が鈍化したとは言っても、人口動態も大きく違うし世界的には成長している企業がまだまだたくさんある。この点ではなんだかんだで米国は王者である。

優れた米国企業を見つけて、その企業の株価が安い時に買い、buy & holdするという単純なアプローチは、長い目で見ればほとんどの個人投資家を満足させるリターンを提供してくれる。長いと言った時にだいたいこれは10年以上を指す。10年は企業のビジネスが始まって終わりを迎える一つのサイクルに近い期間だ。10年たって顕著なリターンがなければ、それは市場が愚かなのではなく、あなたの銘柄選定が間違っていたというべきだ。優れた企業を割安価格でbuy & holdするアプローチ全般がバリュー投資と呼ばれているが、その具体的方法論はまずは著名バリュー投資家の進めるテキストからスタートした方が良いだろう。伝説的な二冊として、いずれもJoel Greenblattの著書をお勧めしておく。怪しい邦題に反して本書に書かれた数式にはその後アカデミックな検証が広範になされている。


グリーンブラット投資法 ──M&A、企業分割、倒産、リストラは宝の山

株デビューする前に知っておくべき「魔法の公式」

なおバリュー投資の他にも期待値プラスの戦略はある。例えばボラティリティ・ショート戦略である。リスクを抑えた上でputオプションを売るか、またはVIX指数先物のコンタンゴから利益を得るETF (XIVまたはSVXY) にポジションをはる。この戦略は金融危機の時にとても大きな損失を生み出すが、積算するとその損失を全てカバーするだけのリターンを生み出す。なぜそうなるのかは、低い確率で大きなリターンが得られる宝くじに対するプロスペクト理論のバイアスを思い出すと良い。

負の歪度がもたらすリスクと不合理性

ある程度のメンタルの強さを維持できるのならバリュー投資ほど優れた戦略はない。バリュー投資で大事なのは、なぜこの戦略が長期で大きなキャッシュフローを産むのかに関する的確な理解であって、複雑な数学は全く必要ない。ボラティリティ・ショートを行うには少しは数学を理解している必要がある。

問題となるのは、多くの個人投資家は、一度に大きな損失が来ると、今後この損失がまた来るかもと思ってポジションを閉じてしまう点だ。このメンタリティはバリュー投資を続ける上では障害になる。だがポジションを閉じるのは誤りである。負の歪度をもつ確率分布が引き起こす誤認に騙されているのだ。例えば +1%が10日続いた後に -7%の下落になったとしても合計はまだプラスである。小さなプラス回数がたくさんあり、大きなマイナスが少数回数ある確率分布は負の歪度 (skewness)をもつ。世の中はコイントスや正規分布のように勝ち負けが半々ではない確率分布がたくさんあるのである。歪度が負であって期待値も負であるような散々な銘柄もあるし、歪度が負だが期待値自体は正である資産もある。バリュー投資や、合理的思考を維持できるならボラティリティ・ショートは後者に属する。ただリスクをあるレベル以上とってしまうボラティリティ・ショートは全て期待値もマイナスになる。ケリー基準を思い出して欲しい。

例えばBerkshire Hathaway Inc.は保険料のプレミアムによるfloatを用いたレバレッジ投資を行なっていることもあり、そのリターンは負の歪度を持っている。実際、911のテロ時にはBerkshire参加の再保険会社が莫大な支払いを要求されたが、このテロによるテールリスク or 免責事項はそれまで保険料に入っていなかったそうである。株主総会でもBuffett自ら、テロや地政学リスクに関しては今も心配し続けている点を率直に語っている。

  • 多くの経営者は自分たちが如何に優れた企業であるか吹聴してネガティブ・ニュースを隠そうとする
  • しかしBerkshireではWarren Buffet, Charlie Munger, そして傘下企業のCEO達がみなこれと反対の性格を持っており、率直に悪い情報を伝えてくれる
  • このcandorこそがOracle of Omahaに莫大な成功をもたらしたことを覚えていて欲しい

負の歪度と正の期待値に関しては幅広いアセットクラスに対して調査を行なった論文がある。詳しくは [1] を参照して欲しい。よく「ハイリスク・ハイリターン」という言葉があるが、このハイリスクは高ボラティリティ(標準偏差 or 絶対偏差)と紐づけて論じられることが多い。しかし注意深く統計分析を行うと、ここでいうリスクとは負の歪度であり、歪度が低ければ低いほど(ダウンサイドのテールリスクが高いほど)、期待値が上がるのである。誰しも一発で破産などしたくないから、そのような資産は買われにくい傾向があるため市場価格が過小評価されやすいわけである。

[1] のFigure 7を見ると、どの戦略の期待値が高いのか、また歪度が低いのか参照できる。バリュー投資に一番近い性格を持つのはFama-French High Minus Low (HML)だろう(ただしこれはgrowth stockをショートしているのでオーソドックスなlong-onlyバリュー投資とはskewnessが異なる)。HML戦略はskewnessがやや正であって、他の戦略に比べてコツコツ稼いだものを一気に吹っ飛ばすケースが少ない。その分期待値は暴落リスクを追っている他の戦略よりも低い値に甘んじることになる。

負の歪度を低コストで緩和する

バリュー投資やボラティリティ・ショートから得られる(負の歪度に対するリスクプレミアムとしての)正の期待値を取りに行く上で、認知バイアスから逃れるために、期待値を保ったまま歪度をなるべくゼロに近づけたい。何ができるだろうか。

1つ目の方法は直接的なもので、バリュー投資で保有する銘柄そのもの、もしくは株式指数のputオプションを買うことだ。いわゆるごく普通のプロテクティブ・プット戦略である。金融危機においては損失をかなりカバーしてくれる。

株式と一緒にいつもputオプションを買うナイーブなプロテクティブ・プット戦略の問題点は、長い目で見ると保険料を払いすぎて期待リターンの大半を吹き飛ばしてしまう点である。そこで、いつもオプションをロングするのではなく、オプションが割安か割高か、そして今後implied or realizedボラティリティが上がるのか下がるのか予測しながらオプションをダイナミックにトレーディングする。どういう時に、どのような行使価格・満期のオプションを買えばいいのか、合理的に決める上では機械学習や計量経済学的アプローチがとても役に立つ。株式銘柄は単なるbuy & holdしつつ、ヘッジポジションのみ数学と統計の力に頼るわけだ。

同じく株式をロングしつつヘッジの仕方を変える戦略もある。2つ目の戦略はやはり [1] のFigure 7が示唆してくれる。Momentum戦略のリターン・プロファイルを見て欲しい。この戦略は成長株であるか割安株であるかに関わらず、とにかく中期的に上昇傾向にある銘柄に対してトレンドフォローする(下降傾向にある時は空売りする)という経済学的・合理的思考もへったくれもないアプローチである。しかし実は期待値が正でしかもその値が高いという優れた性質を持っている。Momentumアノマリーはこの論文に限らず種々の研究で確かめられており、効率市場仮説を提唱したFama自身がpremium anomalyと呼んでいるくらいである。

Momentum戦略に関して着目したいこととして、期待値が正でありかつ正のskewnessを持っている点が挙げられる。日本語でいう所の提灯買いにすぎないmomentum戦略もまた、バリュー投資やボラティリティ・ショートと併用してポートフォリオを組むと全体のリスクや歪度を抑える良い性質を持っている。

バリュー投資をベースとしつつ、その負の歪度を機械学習アルゴリズムやmomentumで緩和するハイブリッド戦略は多くの投資家が精神的に耐えうる良いポートフォリオを提供すると著者は考えている。ここではmomentumや機械学習はメインの収益源ではなくヘッジ手段として補助的に用いられているわけで期待値が必ずしも正でなくても良いのだが、工夫次第で期待値を正にすることも可能である。

  • なお機械学習はバリュー投資と時系列予測による投資と双方に適用可能である。機械学習バリュー投資のファンドは多くはないが、例えばEuclidean Technologiesというヘッジファンドはバフェットスタイルの長期投資のためのdeep learning algorithmを開発していることで著名である
  • しかし十分なサンプルサイズを提供するファンダメンタルズ・データベース (学術研究と実務ではcompustatが使われる) は個人投資家にとっては利用料が高すぎるため、個人投資家が機械学習バリュー投資を実践することは現実的ではない
  • そもそもdeep learningやgradient boostingを全く知らなくても長期的にworkするバリュー投資は可能である。シンプルな方法で十分なリターンが出るのに何故複雑な方法を行う必要があるだろうか

バリュー投資ではなく、ヘッジ手段としての機械学習アルゴリズムを用いる場合、その学習データは単なる価格時系列になる。これについて著者の意見は以下の通りである。

  • ファンダメンタルズを用いずに時系列特徴量のみを用いた短期株価予測だけだと、期待値がプラスの投資アルゴリズムを作るのはものすごく難しい。多くの荒くれ者がこの世界に挑戦してきたが、あまりに大きなノイズによって大量のPh.D.ホルダーやデータサイエンティストが見事に討ち死にしている。
    • 未熟者はover-fittingに殺され、経験豊かなものは難しさのせいでこの世界から逃げ出してしまうようだ。広告ターゲティングビジネスなら簡単に予測できて儲けられるのに、なんで難しい株式市場で戦わなければいけない?
    • (しかし広告ターゲティングに自己資金を投下しているデータサイエンティストもまた見かけたことがないが; サラリーマンとして会社の金を利用しているだけである)
  • しかし期待値がゼロ or 負で バリュー投資との相関が低い戦略を機械学習させることはそこまで難しくない。いつもputオプションでカバーするよりも実効的なコストが安い戦略を見つけられるわけであり、統計学的・人工知能テクノロジーがコスト削減に貢献していると言うことができよう

昨今、怪しいAIファンドが次々に出てきているが、上がる株式を予測できる旨のメッセージを見かける。そう主張すること自体反対はしない。実際、注意深く特徴量と学習アルゴリズムを設計するとそれが可能であることは著者も確認している。しかし機械学習がヘッジを助けてくれる旨を主張しているファンドは少ないように感じている。2008年の再来を想定した、暴落時の緩和がつきつつも長期リターンがバリュー投資に近いファンドがあれば、それは多くの個人投資家のメンタリティでもホールドが可能なのではないだろうか。

Reference

[1] Y. Lempérière, C. Deremble, T. T. Nguyen, P. Seager, M. Potters & J. P. Bouchaud, “Risk premia: asymmetric tail risks and excess returns,” Quantitative Finance, 17(1), 1-14, 2017.

問題と事業は選べる(そして選びなさい)

半年ぶりの投稿である。ブログは滞っていたが仕事や私生活では多くの学びがあって、それなりに充実した半年間であった。毎回数式やグラフを書いていると執筆が滞りすぎること(つまりこのブログは去年ダッシュしすぎたということだ)を考慮し、文章だけで良いからもう少し頻度を増やそうかと考えている。そう考える理由は、ここ最近良い研究トピックに出会って趣味レベルの数式をブログに書くよりもpublish or monetizeに集中しようと考えるからだ。本日書くのは、3年くらい前からずっと感じていることで、研究テーマの選択と事業領域の選択に関する共通性である。

問題を解くのではなく発見する

研究者の世界では、新しい問題を発見してかつ自力で解いた人が大きく評価される。既存の問題の新しい解法を発見した場合でも背後の数学や実験がきちんとしていれば論文にはなるが、どうしても後追い・インクリメンタルな改良として次点の評価になりやすい。改良型の論文が評価されにくいことを嫌がる人もいるようだが、第一人者を最大限賞賛するこの文化を著者個人は正当だと考えているし、これこそが研究にギャンブル性を持ち込む面白い点だということで気に入ってもいる。

他人の定義した問題を改善する研究は数式を不必要にこねくり回すことが多い。著者のように、数理的・統計学的アプローチの研究では特にそうだ。たとえば既存の研究に調節が難しいハイパーパラメータ (この単語の意味がわからない読者には、アルゴリズムのふるまいを調節するバルブだと思っていただければよい) があったとしよう。そのハイパーパラメータを合理的に決める方法 or 最適値の解析解もしくは近似解は、その導出が厳密なら一流論文誌や国際会議でpublishできる。大概、その厳密な導出の背後は複雑な積分値と、その上界 or 下界を与えるための不等式 (それどこから持ってきたの? と言いたくなることが多い) の山になる。

導出までシンプルな研究成果ならいいけど、難しい数式の山を見ると (かつては著者もそういうものにのめり込む傾向があった)、こう思ってしまうのだ。

  • その難しい数式に納得できない人は、その研究成果を利用しようと思えないのでは?
  • その数式をさらに展開させられるような一部の数学エリートでないと、この研究の先が発展しないのでは?

もしあなたが研究成果に関する全てを支配したいなら、複雑数式論文もありだ。けれど、あなたの研究目的が小さな世界での独占ではなく、社会全体の発展に寄与すること、そして第一人者としての名声 or 金銭をいくばくか得ることなら、研究成果はむしろ単純な方がいい。単純な事実と結果との対応であれば、それを応用したい人が実務家・研究者の双方で増えるだろう。そこであなたのフォロワー (Citationの増加を含む)が増えることで、あなたの目的が最大限に達成される。

そういう背景事情があるからこそ、すでに大枠が決まってしまった問題で数式をこねくり回す人より、社会的意義があるが皆が気づかなかった新しい問題を発見・わかりやすい解法を見つけた人が評価されるのである。解法の難度としては、あらゆる人間が理解できなくてもよいが、ある程度素養がある人が十分理解できると素晴らしい。更には、トリッキーなアイデアに支えられていて、盲点で気づかなかったが言われて見れば当たり前な方法は良い評判が得られる。コロンブスの卵である。

で、今日コメントしたいこと。研究の世界では多くの研究者仲間で広く合意があるこのカルチャーは、ビジネスの世界に全く共通のものがあっておかしくないはず。しかしビジネスの世界では、これと逆をわざわざやって不必要な茨の道を歩む人が沢山いるように思えるのだ。Amazon社のように最初にわざと困難(e.g., 赤字続き)な道を歩くことで圧倒的シェアを確保し、あとから独占を謳歌する戦略ならまだわかる。でもこの2年間くらいで著者が見かけた人々は、このような長期戦略があるわけじゃなくて、「ただ痛みしかない茨の道」を選んでるように見えた。


ジェフ・ベゾス 果てなき野望-アマゾンを創った無敵の奇才経営者

投資家は事業を選べる

もしあなたがプロの雇われ経営者で、ヘッドハントされてある会社のCEOになるよう説得された場合。そのオファーを受諾すれば、あなたが個人的にどんな事業に興味があるのかに関わらず、その会社のコア事業をまずは何とかしなくてはならない。それが株主や顧客・従業員に対する責任であって、それが嫌ならCEOになってはいけないのである。そしてこの選んだ事業が、どんなに優秀な経営者であっても構造的に復活させようがないということは実際にある。Warren BuffettがBerkshire Hathawayを買収したとき、最初は繊維産業を復活させようと悪戦苦闘したが結局断念したことを思い出して欲しい。

しかしBerkshireは投資会社としてその後劇的に成功しており、Buffettの経営者としての能力は高いものであった。問題は当時の繊維事業のほうである。投資は経営者ではなくて事業に賭けなければならない。Buffettは「馬鹿でも経営できる会社を選びなさい。いずれそういう人が経営につくのだから」と言っているし、投資の世界では「競馬と逆で騎手ではなく馬に賭けろ」と言われる。なお競馬では騎手に掛けるべきなのかどうかも著者は知らないので、もしかしたら「競馬と同じで騎手ではなく馬に賭けろ」かもしれない。著者の友人には尊敬できる経営者もいるし彼らの成功を願っているが、彼らのビジネスに対する率直な評価は経営者個人の資質よりも彼らがどのような事業を行うのかの方に常に向けられる。

世の中には構造的に参入障壁 (堀) が気付きやすく安定したキャッシュフローが得やすい事業形態と、参入障壁がなくて過当競争で延々と苦しむ事業形態との区別が厳然としてある。この点に関しては世の中は全く公平に出来ていない。あなたが人生全体を自虐に捧げる気がない限り、投資は前者のタイプの企業を選ぶべきである。キャッシュフローが予測しやすい会社は株価の妥当値が計算しやすいため、株価が下がったときにそれが本当に割安かどうかも判定しやすいのである。

ではどのような事業が深い堀を持っているのか。この点について述べた参考書はいくつもあり統計的分析と絡めた良書が著者のお気に入りである。しかし統計分析まで行かなくても、たとえば下記のパット・ドーシーの著書は良い知見のオンパレードである。あまりにオンパレードで覚えきれないので、ときどき読み返している。単なるおすすめコメントだけだと納得しないであろうから、一例だけ抜き出そう。アメリカの場合、プロパンガスを集合住宅に供給する会社は安定して利益率が高いのだ。なぜでしょう?


千年投資の公理 ──売られ過ぎの優良企業を買う

その一つの理由は、建物の大家がガス会社をいちいちスイッチするのが面倒くさいからである。そしてこの面倒くささは、プロパンガスのタンクが買取ではなくリースによって運営されていることで強化される。業者を変える場合、自分の保有するタンクをそのままに単に補給源だけスイッチするというわけにはいかず、ガスタンクの設置・撤去などで高い手数料を取られるかもしれない。スイッチコストの高さからガス会社を変えないという大家は多いようで、プロパンガス会社は大したイノベーションがないにも関わらず高い利益率を延々と享受している。無論のこと、この高いガス代は大家および居住者が結局余計に支払わされることになるのだが。

一方で、おなじエネルギー関連産業でも石油精製企業は利益率が低い。なぜだろうか。その答えは、石油精製物はプロパンガスと違って軽く、パイプラインで容易に他の地域から運ぶことができるからである。その結果、顧客は絶えず遠方の石油精製会社からより安い精製物を運んできてコスト削減しようとするそうだ。この場合、規模の経済によって独占状態のグローバル大企業が勝つか、または価格競争で全社共倒れになる。プロパンガスは石油精製物と違って輸送コストが高く、ローカル企業が生き残りやすい。これだけ書くと読者にも想像がついてくると思うが、物理的に重いものを扱うビジネスではローカル企業がグローバル企業に勝てるケースが散見される。砂利会社などもそうだ。

他の儲け方としては、銀行が引き落とし口座を変えたがらない顧客が多いのを悪用してATMの手数料を毎年値上げしている構造などが紹介される。顧客満足度が高い企業は将来大きな利益をあげられるという考え方が盲目的に信奉されているが、おそらく「価格をインフレ率以上にあげても顧客の満足が変わらないこと or 顧客が逃げないこと」というのが本質的なビジネスの強さだろう。Berkshire傘下のSee’s Candyというチョコレート会社があるが、この会社は驚異的でインフレ率+数%のオーダーで20年以上コンスタントに値上げをしてきたにもかかわらず顧客が離反しなかった。著者はSee’sは甘ったるくて全く好きでないのだが (スイスのLindtの方がずっと好きだ)、著者がマズいと思うチョコレートでも中毒になる消費者がいるのだからこのビジネスは大成功である。それ以外の、価格を割り引いてあげたから顧客が満足しているというのは、トラックすべき顧客満足度とは違うのである。どうもこの点が我が国では総体として理解されていないように見える。

起業家と就活生も事業を選べる

さて、投資家は構造的に不利な業種を避けて選択が可能であるが、家業を継いでしまったなどの特殊事情がない限り、他の立場の人も実は事業を選べるのだ。その筆頭は起業家である。起業家の成功の80%は選んだ事業で単に決まっているのではないかとさえ思う。社員が少ないうちは事業のピボットは可能であるものの、勝ってもほどほどのリターンなのに負ける可能性が高すぎる事業は始めから無視すべきではないだろうか? あなたがわざわざやらなくても他の、おそらくはあなたの代わりに犠牲になる起業家や、もしは既存の企業がやってくれるのではないか?

更には、単に就職・転職する立場の一般労働者も選択が可能だ。ここで注意すべきは、構造上儲かりやすいが労働側はコモディティであり、人件費が抑圧されている業種もあることである。こういう企業は投資家として株を買うだけに留めて社員になるのはやめた方が良い。でも人件費がそれほど抑圧されていないようであれば、その会社への就職を実際に考えても良いのでは? プロパンガス会社の社員の給料がどの程度かは著者にはわからないが、もしまぁまぁの水準なら、しょっちゅう宣伝が出ているインターネット企業よりも、無名のプロパンガス企業に行った方が賢いんじゃないか?

しかし起業家も就職を考えている学生も、驚くほどに業種の選択に対して無知であるように見える。巷にはリーダーシップやシリコンバレーの文化に関する本が溢れている。そしてそれらの自己啓発的な内容に触発されて最も参入障壁のない世界に突撃する人は後を絶たない。もちろん、例えばビジネスSNSのLinkedInのように、インターネットの世界では勝者になれば、ネットワーク外部性・winner-take-all現象によって驚くほどの利益を享受できる。しかし内心勝てるか疑問視している人は、別の道を考えて良いと率直に思う。またプロパンガスはニッチ企業だがインターネットはメジャーだという意見には異を唱えておこう。先ほどのパット・ドーシーのリファレンスにはメジャーな大企業であってしかも堀をたくさん持ったビジネスの例が多く出てくる。このリファレンスの方が起業マニュアル or 自己啓発本よりずっと役に立つと著者は思ってしまうのだが、いかがだろうか。

投資アドバイスを聞いて株を買う代わりに就職先を決めたって何の問題もない。株式投資の標準的教科書は間違いなく就職活動に役立つのだが、株はでたらめな書籍が大量に出回っているため、初学者が真のテキストになかなかたどり着けないことが問題なのだろう。

知られていないが、より有利な選択

再び研究の世界に少し戻って、著者がこの10年間で観測した面白い話を一つ紹介したい。著者のメインの仕事である機械学習モデリングでは、ディープ・ラーニングが全盛を迎えていることは多くの人が知る通りである。このディープ・ラーニング技術の三大巨頭として知られるGeoffrey Hinton, Yann LeCun, Yoshua Bengioの3人はいずれもカナダの大学教授であった。このうち、Yoshua Bengio教授やその弟子の論文を著者は、意図せずたまたまであるが10年前に集中的に読んでいたことがある。ただしその頃駆け出しのひよっこだった著者はBengio教授らの深淵な計画を理解することができず、Bengio教授のやっていること (how) を知ることは出来ても、なぜこの研究をやっているのか (why) が理解できなかった。そしてディープ・ラーニング研究を先回りすることなどは全くできなかったのである。

当時読んだ論文で今も覚えているのは [1][2][3] あたりである。当時の著者は高次元空間で多峰性を持つ確率分布の精密な密度推定に関心があって、k-近傍法による局所的な主成分分析を行う [1] から読み始めた。この論文の考え方は難しくなく、著者自身の研究ではこれを上回る方法をBayesian Nonparametricsで賢くやろうと考えていた。

  • そもそもより複雑な数理手法で既存の単純な方法に勝とうという、こういう発想が二流であってアウトなのだ。他人のフィールドでプレイ失敗する愚を著者自身も経験しているからこそ、こうして後進に伝えたいと思っている。このときに書いていたWorking Paperはその後別のトピックを見つけたせいで全てお蔵入りにした。このスイッチの意思決定だけは正解であった。

しかしその後Bengio教授たちは[2][3] でニューラルネットを使った手法にこだわっていた。著者には、当時は不安定な推定手法であったニューラルネットを使う合理性が感じられなかったし、なぜ彼らがニューラルネットの道を突き進むのかも理解できなかった。今となっては、Distributional Representationの考え方とか、彼らの構想のほぼ全てが本質を突いていたことがわかる。後知恵を更に書くなら、当時まだマイナーな研究をしていた彼らにコンタクトして、その後のいくつかのディープ・ラーニング論文のブレイクスルーに参画することも可能だったかもしれない。そして、それほど人気のない彼らの一団に加わるためには当時なら競争は必要なかった。とはいえ、howしか見えずwhyが理解できなかった当時の著者にはこの選択は不可能である。

ここで更に面白いのは、この3巨頭教授たちがいずれも、コンピューター・サイエンスとビジネスのメッカとされるアメリカではなくカナダで研究していたことである。カナダの大学院はいずれも良質だが、競争の激しいアメリカのトップ大学院に進学するよりは当時は倍率が低かったのではないだろうか。Bengio教授の研究室ホームページには、「私たちはhard workする。けれどここはカナダであってアメリカではない。死ぬまで働くようなことはしないよ」と書いてあった。熾烈な競争を勝ち抜いてエリートになったけど、それとは違う傍流にいった人たちの方が後で大きく勝つなら、いったいそんな熾烈な競争とやらをする意味は何なのか? なぜハーバード、スタンフォードの難しい入学試験を受ける必要がある?

独立独歩、そしてカナダ発のディープ・ラーニングの成功は、目立つ世界で脚光を浴びることばかりに目がいって競争に明け暮れ、道端に落ちている金塊に気づかないことのバカバカしさを教えてくれる。今でこそディープ・ラーニングが脚光を浴びている存在だが、当時はニューラルネットにこだわった人たちこそがプロパンガス会社であり、他の複雑な数式に拘泥した人々は掘がなく倒産してゆくインターネット企業だったのである。

見てくれの恐ろしさ

結論は月並みである。人々は脚光を浴びることとか、儲かってそうに「見える」こと・活躍してそうに「見える」ことに惹かれすぎ、そして過大なコスト(e.g., ブランド料)を払うのだ。小さな国・村社会で育つとそういう発想が強くなるかもしれない。そんなとき、テレビやウェブサイトを閉じて家族の顔を思い出してほしい。儲かるように見える方の事業ではなく、実際に儲かる事業に参画することで、貴方は支えてくれる人たちに恩返しできる。幸せがあるのはそちらの方だろう。

Reference

[1] P. Vincent and Y. Bengio, “Manifold Parzen Windows,” Advances in Neural Information Processing Systems 15, 849-856, 2003.

[2] Y. Bengio and M. Monperrus, “Non-Local Manifold Tangent Learning,”  Advances in Neural Information Processing Systems 17, 129-135, 2005.

[3] Y. Bengio, H. Larochelle, and P. Vincent, “Non-Local Manifold Parzen Windows,” Advances in Neural Information Processing Systems 18, 115-122, 2006.

合理化途中の過渡状態と不合理を受け入れた定常状態

母校の集中講義で機械学習とゲーム理論の数理的類似性に関して話してきた。大学からの依頼で行ったものであるが、その要請はかつての自分と同様に社会人博士課程に通う学生への助言である。在学中の研究とその後の展開や、研究成果をどう実ビジネスや仕事に生かしていくかを体験談として話して欲しいというものだった。博士取得後に深めた知見の方が在学中の成果よりも大きいと著者は考えているので、学生時代の話は触り程度にして、その後の研究トピックの広がり方・掘り下げ方について、転職後に加わった視点も交えて紹介した。以下はその説明資料である。OpenOffice.org ImpressとLaTeX beamerが混在しているのは全てをbeamerで準備する時間がなかったことによる、デザイン上の妥協である。

提供した視点の中で、その拡張に将来性があると2016年時点で著者が考えているのは以下に列挙した両者の対応である。特に、機械学習側の関数近似テクニックや緻密な確率的モデリングを行動ゲーム理論に持ち込むことで、人間同士が相互作用する社会環境 (人間系) における意思決定を、もっと数値的根拠が確かな状況で行えるものと期待している。

  • 正則化のない最尤推定はナッシュ均衡の計算に類似しており、
  • 事前分布を用いるベイズ推定やJames-Steinの縮小推定は限定合理性を扱う行動ゲーム理論における、Quantal Response Equilibrium (QRE)の計算に似ている
  • 明示的な正則化項を追加する代わりに最尤推定の最適化ステップを途中で中断するアプローチであるearly stoppingはCognitive Hierarchy Theoryと似ており、これも行動ゲーム理論で使われるテクニックである

Google DeepMindはAlphaGoでDeep Reinforcement Learning (深層強化学習)を用いたが、Deep Belief Learning (深層信念学習)という社会科学技術がイノベーションを起こす、というのが著者の大胆な予想である。しかしこれは当たるも八卦当たらぬも八卦の話なので、もう少しsolidな上記メッセージに戻ると、用いた資料で最も重要な一枚は次のスライドだろう。

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与えられた特定のゲームにおける実現シナリオの候補として、ナッシュ均衡はその定義は厳密ではあるが、実社会でのゲームにおいて実際に発生するシナリオからはしばしば乖離した予測を示す。最尤推定が学習データという狭いデータセットに対しては最大の予測能力を示しても、テストデータを持ってくるとそうはならない点と似てるとは感じないだろうか。

一方、ベイズ推定は事前分布という固定点を導入し、そちらにshrink(縮小)させることで、学習データに対する説明能力を少し妥協する。しかしこの小さな妥協はテストデータに対する予測能力を大きく向上させる。QREも同様で、他のプレイヤーの合理性に確信が持てない状況で、不確実性を撹乱項として明示的に確率モデル化することで、より実社会の集団的意思決定結果に近い予測結果を返してくれる。ベイズ推定もQREも、データやゲームに依存しない固有の確率モデルを入れることで汎化能力を上げる、という思想が共通している。

加えて、実用上は、固定点への縮小戦略ないしアルゴリズムは厳密なベイズ推定解でなくても良い。要は、事前分布の中心に相当する固定点があって、そこに少し近づける方法論であれば何でもよく、その一つがDeep Learningでよく使われるEarly Stoppingである。Early Stoppingは、複雑なゲームの均衡を数値的に計算する場合に使われる Belief Learning (信念学習) を途中で打ち止めにする方法と類似しており、Cognitive Hierarchy Theoryはこの打ち止め自体を確率モデル化したものである。

機械学習研究者コミュニティの中には、統計学だけでなく認知科学の研究も行っており、行動経済学的な現象の発生メカニズムを数理モデル化している人たちがいる。著者もその端くれであると自負している。昨年、著名な国際会議のNeural Information Processing Systems (NIPS)に出席した際には、パネルディスカッションにおいてBayesian Nonparametricsの大家の教授が同様の見方を他の認知科学研究者から聞いたと言っていた。この教授が誰であるか業界人にはバレバレであるが、著者の記憶が間違っている可能性もある。後で「私はそんなことは言ってない」というクレームが発生しても責任は持てないので名前は伏せることにしておく。

講義は機械学習と行動ゲーム理論の接続に限らず、与太話も含めていろいろ話してみた。科学的根拠の薄い仮説であることを断った上で、スライドの最後のセクションには私見をいろいろ載せている。一方で全ての意見が無根拠というわけでもない。例えば、リスクは避けろ、不確実性はテイクしろというメッセージは i) 偉大なバリュー投資家たちのコアとなる考え方で、ii) 多腕バンディット問題におけるexplorationのgainがどういうときに最大になるか考えた上で 持っている意見である。すぐれた起業家や研究者がリスクテイカーだというのはおそらく嘘だ。彼らは不確実性をテイクしているのであって、避けられるリスクは極力全て避けている。製鉄ビジネスを始めるときにいきなり自力で始めるのではなく破綻した製鉄所を安く買い取って始める、とかね。

これから博士課程に通おうと思っている人や、社会人博士における研究テーマの選定で迷いがある人は参考にしていただければ幸いであるし、個人的な質問があれば twitter account @rikija に連絡くだされば話せる範囲でお答えします。