大切なことは(実は)ギャンブルが教えてくれる: 集中と分散の両取りと「良い宗教」による演繹

新研究テーマで実験に試行錯誤するうちにもう1Q 2018が終わってしまった。本当はこちらの社会での人とのつながりをもっと増やして行きたい気持ちがあるが、実験結果が出るまではどうしても一つのタスクに集中せざるを得ない日々が続く。その緩衝材というわけではないのだが、年末から最近にかけては日本や米国・東南アジアから友人が訪ねてきてくれて初めてオックスフォードを外の人に紹介する機会にも恵まれた。居住から9ヶ月以上すぎたにも関わらず実は筆者はオックスフォード市内に日本人の友人がいないという課題を抱えているのだが、彼ら長年の友人のおかげであまり寂しさを感じることはない日々ではあった [1]

一方で勤務先内では欧州の友人が増えており、ありがたい限りである。弊社の中でもdiversity & inclusionに関するイベントが最近行われたが、男女間のペイギャップが問題になっており改善を進めている一方で、社員の国籍が50種類を超えている点は賞賛されるべきだと思った。社員1300人程度の規模で50国籍というバラエティはかなり多いと思う。また筆者の所属するファンドは150人程度にも関わらず25国籍を超えている。ロンドンはおそらく世界最大の人種多様性を内包した街だ。その底力を見せつけてくれた感じがする。

今日のトピックであるが、数理ファイナンスの世界では基礎的によく知られている知見が、金融市場における狭い文脈においてではなく、様々の業種に共通して存在するもっと大きな意思決定問題にどう役立つかの好例を紹介したいと思う。ヘッジファンド・ビジネスの構造上、筆者個人の研究トピックは外に開示できないことばかりである。しかしこれを言い訳としてクローズドな世界に引きこもると、長期的には社会から隔離されたまずい存在になってしまうことも実感している。人種多様性というアドバンテージを持つ地域にいながらそのようなクローズドな存在になることは人生最大のチャンスをドブに捨てることと同義であろう。

幸い(?)なことに最近、知的財産上のconflict of interestを生じることなく自分の知見をむしろ積極的に世の中に提言できる面白い機会に遭遇した。これは経営者の友人との会話、および最近話題になっていた次の記事から連想されたものである。

友人は経営者として、直近ではキャッシュフローを生まないが将来は莫大なリターンを生む可能性のある研究開発と、直近のインカムが確実に手に入る現在のビジネスとの間でどう資本配分すべきかを悩んでいた。地方と東京との間の再配分問題も本質は似ている。経済が伸び続けるであろう東京に集中投資すべきなのか、それとも東京と違った特性をもった地方にあえて資本を分配する方が長い目で見るとリターンが大きいのだろうか。

類似の問題構造は欧州にも存在するようだ。イギリスで金融の仕事をしていると、ドイツ人やスイス人と話す機会が非常に多い。仕事以外の雑談を含めて話を聞くと、イギリスやフランスでは経済力がロンドン・パリに一極集中しているが、ドイツやスイスは連邦制国家ゆえに各地方都市の経済力がそれなりにある点が違うという話をよくされる。これはドイツやスイスに格差がないという意味ではない。1都市に完全にwinner-take-allされるか、それとも複数の代表地方都市にクラスタリングされるかの違いである。

  • なおドイツでもっとも裕福な都市はおそらくミュンヘンだが、ドイツ人の友人に言わせると、ローマ帝国の時代にローマ人が侵略して文明を持ち込んだ南側のエリアと、それより北の取り残されたエリアとでは経済力や物の見方に大きな違いがあるそうだ
  • パリの巨大さはoutlierを生み出すべき乗分布の中でもさらにoutlierである。Self-organising critical systemの研究で著名なDidier SornetteはDragon Kingという名称でパリの特異性を表現する。
  • EUの官僚機構やBrexitの今後の影響を議論するとき、イギリスのEU離脱のせいでフランスの極端にcentralisedなシステムがEUを通して波及しないか心配だ、というのが連邦制に親しんできたドイツ人がしばしば口にすることである。[2][3]

「東京で稼いだ経済余剰を地方に再分配でもっていかれて公共工事その他で浪費される」というのは都会の中流家庭でよく言われる言説である。また新古典派の経済学者はこのタイプの言説に比較的よく賛同する印象がある一方で [4]、東京人の多くは地方の何が苦境なのか理解していないという批判もよくある。上記の現代ビジネスの記事もその一つであろう。どちらの主張のどのような正当性があるかもっと数理的に理解したい場合、本ブログを読み終えた後にZiembaによるKelly criterionに関するSamuelsonへのレター [1] を読むとよい。

東京から地方への再配分は田中角栄元総理がその実行者として有名だが、その良き相棒であった大平正芳元総理の辿った道筋は非常に興味深い参考情報になる。地方への再配分が始まった時期と成長率が鈍化した時期には重なりがあるようだが、とりあえずインフラを作って需要を満たせば経済成長するという安易な選択が可能だった時代が終了し、次にどう進むべきか大学の役割も含めていろいろ苦慮していた様子がよく見える。


大平正芳 「戦後保守」とは何か (中公新書)

基礎研究も再配分も、全てポートフォリオ最適化として捉えられる課題である。金融市場でのポートフォリオ最適化の実務は、過去のリターンから推定された確率分布を用いるケースが大半だが(要は計量経済学と機械学習の塊に過ぎない)、過去からの帰納ではなくて将来の社会変化を見越してどれだけ演繹的にポートフォリオ最適化できるかが将来の明暗をわける。演繹といっても実際には全て演繹的に考えるわけではない。都市を発展させるための基礎要素に関する理解は過去の世界中の膨大な経験から帰納する。しかしこれらの帰納的ミクロピースをパズルのようにつないでマクロピクチャーを得る過程では演繹的思考がものを言う。このような社会状態は過去に経験したことがないが、これらの要素が重なれば原理的には将来こういう社会に移行するはずだというunseenだがforeseeableなものを特定する能力がいま求められている、というのが筆者の見解だ。機械学習ツールがオープンソースなどを通じて多くの人々に使われるようになるに従い、帰納的発想ばかり強くなり演繹的思考力が弱まることを実は危惧している。

今日のSummary

  • Right heavy tailがある投資は「少額資本をひたすらかけ続ける」のが正しい
    • 期待値の大きさに惑わされて巨額投下するのは破綻するギャンブラーと同じである
    • 一方で、1%の成功可能性をアウトカムの大きさを無視して0%に近似し、予算を直近のインカムゲインに全て振ってしまうのは官僚的な間違いである
  • 投資対象をクラスタリングすると良い。どのクラスターに対しても投下資本をゼロにしてはならない。しかし同一クラスター内では相対的に最も強いものに集中投資すること
  • おそらく日本の政策は全般にモーメンタムを過剰信頼している。中期ではモーメンタムが効くが長期では平均回帰的に再分配をした方がよい
  • 将来のリターンが読めない不確実な世界で効くのは実は宗教 (=事前分布)である

合理的な宝くじ

先日は先ほどの友人に下記の簡単なクイズを出した。読者諸賢はどう答えるだろうか?

  • Q. 反復可能な、ある賭けに参加したい。1%の確率であなたが賭けたお金は200倍になって帰ってくる。一方残り99%のケースでは賭けた金額は全て失う。この賭けに対してあなたはどのように自分の資本を投下しますか?

これは基礎研究の典型的なアウトカムを抽象化したものだ。同じく「低確率で巨大リターン」の政府発行宝くじ(期待値はマイナスである)とは違い、この賭けは期待値としては掛け金の2倍 (+100%のリターン)が帰ってくるというとても魅力的な性質を持っている。

しかし全損シナリオの発生頻度が高いため、期待値を最大にする賭けは決して選んではならないのである。自分の資産の10%をかければ+10%だし、50%をかければ+50%だ。なぜ+100%ではなく+10%で我慢する必要がある? 脊髄反射的に回答する人はこのように考えてしまうようである。では実際に期待値最大にすべく100%のお金を賭けたとしよう。99%の確率で破産するあなたにはnext chanceはない。質問文の冒頭にあるように、あなたはこの賭けに何度でも挑戦することができるのである。しかし財産が一度ゼロになってしまったら、次に賭けることは決してできない。0を2倍にしようがゼロはゼロである。期待値を最大化しようとした人たちの末路は1回目で99%の人は破産して終わり。極めて運良く200倍リターンを受け取った人も、また同じことをやろうとしたら99%の確率で破産する。2回連続で生き残れる人は0.01%しかいない。賭けの回数が増えると全がけした人たちの中の生存者は誰もいなくなることが容易に想像つくだろう。

直近の期待値を妥協することは悪いことではない。この賭けが本当に美味しいのは、賭けのリターンが複利で増えていくところにある。$1の資本しか持たない人が期待値2倍を受け取っても+$1されるだけだが、$100の資本を持つ人は期待値2倍で+$100受け取る。つまり、直近の期待値を最大化することではなく長い目で見て資産が確実に増大し、挑戦の後半で劇的な資産増価額を享受することが重要なのである。

反復可能でmultiplicativeな賭けを最適化するには、ギャンブルと金融市場双方の世界で著名なKelly Criterionについて学ぶとよい。その本質は、期待値ではなくて対数の期待値を最大化することにある。たったこれだけの本質が、Summaryに述べたような広範な知見を生み出すことになる。このような性質を議論するのに別にビッグデータは必要ないのだ。対数期待値を最大化するという、トリッキーだがとてもシンプルな本質は、最後に述べるように筆者の人生を大きく変えた。それくらい学ぶ価値のある規範だと言っておこう。

ある賭けのリターンを確率変数Xとしよう。例えば1.3倍 (+30%)のリターンは X=0.3と表現する。上記の1%で200倍, 99%で0のケースでは確率質量関数 p(X=x)を形式的には以下のように書けるだろう。

p(X=x)=\begin{cases} 0.01 & \mbox{ if }x=199\\ 0.99 & \mbox{ if }x=-1\\ 0 & \mbox{ otherwise } \end{cases}

この確率変数Xに対して、自分の資本を\alpha\in [0,1]の割合だけ投下する賭けをn回行うことを考える。初期資産を1とすると、n期後の資産はX_n(\alpha)=(1+\alpha X)^nである。Xが確率変数なのでX_n(\alpha)も確率変数であり、結果はランダムネスを伴う。しかし確率分布p(X)が定常であるゆえにその性質を解析することができる。

注目すべきは 資産増加率の対数 \log X_n( \alpha )=n \log (1+ \alpha X)である。掛け算の反復は対数領域では足し算の反復である。nが大きいと対数の法則によって\log X_n(\alpha) \to n {\mathbb E}_{p(X)}\left[\log (1+\alpha X)\right]となり、一回あたりの平均対数リターンが{\mathbb E}_{p(X)}\left[\log (1+\alpha X)\right]に収束していくことがわかる。この指標を最大化する\alphaこそがあなたが賭けてよい最大額なのである。また、nが十分に大きくない場合にはn期対数収益率 \log X_n(\alpha)自体にも大きな分散や歪度が乗ることがわかるだろう。このブレ幅も考慮した上で\alphaを決めなければならない。

簡単な方程式を解くことで、先ほどの1%200倍シナリオでは\alpha=0.005025という最適解が得られる。つまり手持ち資金の0.5%だけ賭けて99.5%は現金としてreserveすることというのが答えなのだ。この結果、一回あたりの期待値そのものは+1%に過ぎない。

数式が直感に響かない人のために簡単なシミュレーションを図1に添付した。1%しか成功確率がないような賭けの場合は、違いがはっきりわかるためにはn=10,000回くらいの施行が必要である。基礎研究のような超長期の賭けはこれくらいのスパンで見るべきということである。

\alphaをある種の最適値0.5%に対して、その半分の0.25%だけ賭けた場合、逆に2倍で1%賭けた場合、そして賭け過ぎで5%賭けた場合を横軸施行回数、縦軸(対数軸)資産で表示してある。対数期待値最大の賭けの半分だけ賭ける戦略はhalf-Kellyと呼ばれ、これでも3/4の資産増加率を期待できる割にボラティリティを大きく減らせるので好まれる戦略である。full-Kellyの0.5%の場合、half-Kellyよりもさらにでかく儲けるシナリオもある一方でダウンサイドがかなりある点に気づくだろう。しかしKelly基準やその亜種にしたがって賭けている限り破産はせず長期では資産が増加していくのである。一方でKellyの2倍賭けてしまったケースでは増えるのか破産するのかハッキリしないし、賭けすぎの5%では長期では一切資産が残らないことが確認できる。

bet_alpha0.0025bet_alpha0.005bet_alpha0.01

bet_alpha0.05

図1. 超長期 (n=10,000)で見たときの賭け割合の違いによる資産シミュレーション

図1は仮想ギャンブルを用いて簡単な数値例を示しただけだが、一般に、低い確率で大成功するようなタイプの賭けはものすごく少額だけを賭け続ける必要がある。大リターンに目がくらんで賭け過ぎればあっさり破産する一方で、0.005と0は同じだからなどといって特殊な基礎研究部門をリストラすると、資産1は10,000回分の時間が経っても1のままである。前者の二流ギャンブラーになってはならないし、かといって後者のように可能性を捨てた人間になってもいけない。この意味で強い規律が必要なのだ。

筆者がはじめて民間企業に就職したころは就職氷河期で、短期利益のためにどれだけ他人を解雇したかによって人事評価が上がり、それを武勇伝にするような輩がたくさんいた。この人たちの発想は、直近でキャッシュを生まなければゼロにしてしまえというnaiveなものであった。一方で、研究開発には夢があるのだからと過剰正当化を行ってKelly基準を超えた研究予算を求めるのも頂けないと筆者は個人的に思う。この少額だがゼロではない投資の世界における意思決定の専門家が、日本社会にも求められているように思われる。

クラスタリング的なポートフォリオ

最初の例は賭けの対象が一種類しか無かった。しかし基礎研究といってもほとんどお金のかからない数理科学的な分野から、材料科学や生命科学などハードウェア・実験環境に多くの予算がかかる分野までいろいろある。複数の投資対象が存在する場合に、長期的に見て我々の社会が発展していくためにはどのようにしたら良いのだろうか?

研究対象 i \in \lbrace 1,\ldots,m\rbrace のリターンを確率変数X_iで書いたときに、我々が気にするべきはポートフォリオの資産増加倍率である。研究対象 i に対する賭け金額を\beta_iとしたとき、我々は次の最適化問題 (1)を解く必要がある。

\max_{\beta_1,\ldots,\beta_m} {\mathbb E}_{p(X_1,\ldots,X_m)}\left[\log (1+\sum_{i=1}^m \beta_i X_i)\right]  (1)

\mbox{subject to} \sum_{i=1}^m \beta_i \leq 1,  \forall i~\beta_i\geq 0

最適化問題 (1)はいくつか面白い性質を持っている。その重要なものは

  • 凸最適化問題であり、山登り法で大域最適解が求まる
  • 解は一般にsparseになる。つまり、いくつかの研究対象 i については最適割合はゼロとなる。ゼロになりやすい対象の性質は以下のとおりである
    • 期待値そのもののオーダーが低くて絶対的な魅力が乏しいもの
    • i と相関の高い(似ている)他の研究対象の方が期待値が高い
  • しかし期待値が最大の研究対象に割合1を振るという結論にはならないのも面白い点である。相関が高いもの研究分野同士ではもっとも強いところに予算を集中させるが、離れた研究分野間では、たとえば生物学と地質学との比較で期待リターンが後者の方が低かったとしても後者にそれなりのウェイトを与えるようになる

といったことである。強いものに集中するという性質と、分野が違っている限り必ず分散するという一見相反する性質を兼ね備えているのである。いわば、投資対象の絶対的な魅力を考慮しつつ、分野をクラスタリングしているということができる。

クラスタリングという単語はアルゴリズム上も実はそのまま対応する。最適化問題 (1) は、2007年に著名機械学習国際会議NIPSで発表された convex clustering [2]と呼ばれるアルゴリズムの定式化とidenticalである。確率変数X_iが資産リターンではなく、カーネル関数 iからの確率密度関数または確率質量関数に変わっただけのものがKelly criterion最適化の代わりにconvex clusteringと呼ばれている。

何の奇遇であろうか、当時は金融知識については赤子同然だった筆者も、このconvex clusteringに関わっていた。将来の布石に結果論としてはなっていたのだ。アルゴリズム自体の高速化やカーネル関数を変えた場合の最適化結果に関しては2年ほど研究しデータマイニングの応用論文にまとめていた [3, 4]。先行文献から知ったこととして、convex clusteringはoptimal compressionなどとも呼ばれて、機械学習とポートフォリオ最適化の双方でよく研究されてきたようである。k-means法と違って単に大域最適解が求まるというのが興味のきっかけに過ぎなかったのだが、当時はわざと人工データをいろいろ生成してどういうカーネル関数がどういう結果をもたらすのか相当に調べたものである。地味なアルゴリズムでも、深く性質を考えるとときどき面白いことがあるものだ。

  • 今考えると明後日の方向の実験をかなりたくさん行ってしまったのだが
  • もし許可されるなら今の知識でより洗練された投資論文を出版したい気持ちもある

ここまでの議論では、背後の確率分布は定常であり、かつパラメータが既知であるという仮定をおいていた。実際の意思決定においては、確率分布は時間変化するしそのパラメータは推定されなければならない。確率分布の時間変化は金融市場においてはモーメンタムファクターやバリューファクターを用いて抽象化できるが、昨今の基礎科学予算配分の誤りはどうやらモーメンタムへの過剰信頼から来ているようなので、後段ではモーメンタム効果について特に述べる。また推定行為のほうであるが、過去のデータから取得するという機械学習的帰納発想に凝り固まってしまうと判断を間違えるであろう。

  • なおそれでも帰納的アプローチを取る場合、得られた分布にはestimation errorが乗るのでそれをベイズ法などでmitigateするのが良い
  • たとえばfractional-KellyポートフォリオをJames Steinの縮小推定の観点から正当化した[5]あたりが良い参考文献である

話を研究予算配分政策や地方への再配分の話に戻そう。基礎研究の世界では「選択と集中」政策こそが日本の科学技術力が衰退した原因だという主張がある。

 

これは日本の役所が行う「選択」行為がモーメンタム投資に似ているから起きてしまうことであるが、モーメンタム効果については次章で議論することとして、まずは時間定常な確率分布が背後にあった場合のケースだけを参考に議論しよう。直近のリターンに過剰に集中する行為は期待値がもっとも高いところに割合1を割り当てて、それとは異なる分野をアンダーウェイトしてしまうことに対応する。このアンダーウェイトは長期的に見ればコストが高くつく。なぜなら分散投資効果によるボートフォリオのボラティリティ削減メリットが得られないからだ。違う研究分野の双方にウェイトを割り当てることで、一つの分野がうまく行かない期間のドローダウンを抑えることができ、複利効果ではこのリスク削減が効いてくる。

分散投資の背後にある根本思想は、金融工学で著名なMarkowitzと筆者が紹介しているKellyとでは大きく異なる。Markowitz的な思想に基づくと、分散投資はリスク削減手段に過ぎない。もしリスクを気にしないリスク中立投資家がいた場合、期待値最大のところに全額つっこむべきであるという発想が出てくる。一方でKelly的なポートフォリオでは、分散投資はあくまでリターン最大化の追求で貪欲さの産物として生まれるものである。分散投資は複利によるリターンを最大化するために導入されるのであり、過剰集中したポートフォリオはむしろ資産増加率が足りない。Kelly criterionでも短期のリスクを減らしてはいるのだが、長期的に見た場合にはあくまでリスク削減ではなくてリターン最大化のために分散投資が必要であるという思想がMarkowitzの信者とはずれている

  • なお、実は面白い裏話として、当のMarkowitzはむしろKellyの方法を賞賛していたのだがSamuelsonは批判にいたったという違いが存在する

加えて、相関の高いアセット同士ではもっとも強いものに集中するという点にも大きなインプリケーションがある。研究室AがConvolutional Neural Net (CNN)の何らかのアーキテクチャを研究していて、研究室BがやっぱりCNNのちょっとしたバリエーションを研究していて、などという事態が発生した場合、研究室A&Bの双方にお金をさいてはならない。AかBのより強い方、またはAもBもできるようなもっと優れた研究室Cに集中投資すべきである。研究室BがAよりも研究成果が弱く見えたとき、研究室Bへの予算割り当てを正当化できるのはBがAと大きく違う分野に舵をきったときでしかない

要は、世の中のトレンドと似たり寄ったりの分野に力を注いでいるかぎり、そのような研究者には消えてもらわなければならないのである。この意味でKelly criterionは厳しい競争淘汰を要求する。しかし同時に、多様性の確保に腐心する研究者に対しては、たとえ彼らの既存研究実績が悪くてもとても寛容なのだ。とてつもなく大きなpositive skewnessを持っているような確率分布では、empirical meanは真のmeanを過少推定するためであり、既存実績が悪いから研究予算を削減するというのは長期で見たときのリターンを削減してしまう。

ともかくこれらの、競争と福祉、アメとムチのバランスを対数期待値最大化というシンプルな原理で解決するわけである。

東京と地方の資本配分にも同様のことが言える。もし、地方で東京とは大きく違った産業が育つなら、たとえその絶対的なGDPが東京より劣ってみえても再配分は大きく正当化される。個性の高い産業は、東京が特定のショックにやられて慢性失業状態のような状況になったときに日本全体の存続に役立ってくれる可能性が高いからだ。たとえば筆者も多少の縁があるポーランドは2008年のリーマンショックによるダメージがもっとも小さかった国の一つである。それまでの彼らは、建設業など「古い産業」に集中していたことが幸いした。一方で金融危機後のワルシャワはここぞとばかりに産業シフトを図り、むしろ中欧・東欧の金融セクターの中心地として劇的な発展を遂げてきた。今年2018年秋にポーランドはRussellによる分類で途上国から先進国に分類され直される。大きなファンドin-flowが見込まれる。

地方の意思決定者が金融バブルに浮かれる昔の欧米と東京を類似の存在とみなし、ポーランドのように合理的にチャンスを待つ姿勢をもっている限り再配分は正当化される。一方で彼らがメディアによる洗脳から来る東京への羨望を捨てられず、東京コピーを地元に作ろうなどと考えはじめたら、予算配分担当者はこのようなcopycat思想をとる地域に容赦してはならない。

筆者は日本の産業セクターの地域間分布に詳しくないが、少なくとも水産業や林業、あるいは未来のエネルギー産業などは東京より地方の方が産業ポテンシャルがあるだろう。金融機関やITソフトウェア会社は都市への過剰集中状態である東京の方に分がある。より理想的には、東京の金融・ITセクターのエンジニア・数学者たちが物理資源を利用した地方ビジネスにチャンスを見出してくれると良い協業ができる。彼らの多くはデジタルをデジタルのままで完結させてしまっていて、本当のprofitableなビジネスモデルがなかなか作れずにいるためだ。そのような理想的な誘致のためには、東京のような経済的ベネフィットが地元にないと嘆くよりは、東京人の目が節穴なうちに違う分野で一山あててやる、と山師のように意気込む方が健全である。

  • テキサスの人々がサンフランシスコのカルチャーに呑まれたりしないのと同じことだ
  • 地方から優秀な学力をもって東京に出て来た人たちが関東圏の私立校出身者の不甲斐なさに驚くことがあるようだが、その直感は決して間違っていない。ただ都会の問題点を熟知している関東圏の人もたくさんいるので都会人も決して侮らないように。いつだって未来に良い仲間ができるチャンスはある
  • 関東圏出身の筆者のまわりを見れば、キャリア上で大変お世話になった方々には地方出身者が多くいるし、彼らは独自性の追求を実際に日本国内・海外の双方で今も実践している

非定常化での動的配分

さて定常環境下での最適配分と比較すると東京への過剰集中や研究分野の『「選択」と集中』は合理的最適解からかけ離れていることを指摘した。だが、これらの過剰集中を一時的に正当化しうるファクターが存在し、金融市場ではそれはモーメンタム効果と呼ばれている。モーメンタムを考慮すると、どの程度現在の政策が正当化されうるか議論しよう。

Naiveな政策担当者が、「東京が今の所最も優れた都市だからもっと東京に資本投下しろ」と発言する場合、彼はモーメンタムの存在を仮定している。モーメンタム効果を都市開発にあてはめると、最近経済成長率の高かった都市は今後も経済成長率が高いという意味であるが、この効果の実態は、金融市場の性質と実態経済や基礎研究のあるべき姿とで適用されるべき時間スケールが違っていることに注意すべきである。

まず金融市場では、過去にあがった株価が今後もあがりやすいというのは、過去半年から最大で2年くらいのリターンに対する現象である。5-10年では平均回帰し、過去5-10年間にリターンが高かった銘柄は今後の5-10年はむしろリターンが低いという現象が多くの市場で観測される。モーメンタムに着目する場合は1-2年くらいで機動的にポートフォリオを入れ替えなければならない。過去5-10年の成功を当てにして投資するとむしろ惨めな目にあう可能性が高い。


ウォール街のモメンタムウォーカー

個人的考えでは、この時間スケールは企業活動に対する投資家のunder-reaction / over-reactionの速度に起因するもので、東京という街の強さを評価するにあたってはもう少し長い時間スケールが適用されるべきだろう。風水害に対して非常にrobustであるという特性を徳川家康が高く評価した時点で、東京には金融市場の心理的熱狂に起因するモーメンタムではなくmoatとなるべきファンダメンタルズが存在する。東京の強さはこの5-10年で出てきたような短い一過性のものではない。しかし一方で、どんな経済現象もいずれは平均回帰の波に飲み込まれるということは覚えておいた方が良い。5-10年という時間スケールでは、金融市場では平均回帰がおきるが、地域間の再配分に関してはむしろモーメンタムによる東京への一時的重点配分が正当化されるかもしれない。しかしそれでも、もっと長期の20-100年スパンでは東京もドローダウンに苦しむ日々がやってくる。そのような状況で日本全体のポートフォリオを存続させるには、東京とは異なる産業基盤が地方に育っている必要があって、20-100年単位の再配分は忘れてはならないように思われる。無論、top-downの政府からの再配分よりも情熱ある起業家が地域を変えてくれるbottom-upアプローチの方がより良いのではあるが。

事前分布としての文化資本・宗教

さて再配分しようにも単に金をばらまくことが投資ではない。再配分自体はしなければならないが、何を配分すればいいのか多くの人には分からないのである。数理的な表現で言い換えると、おそらくは地方にも複数の面白い投資候補はあるのだが、地方の中のどのアセットに資本を投下すべきかがわからない・リターンの確率分布がわからないのである。見かけ上の帰納的アプローチだけで意思決定することの限界が顕著なように思われる。

たとえば、冒頭のブログ著者の指摘にあるように、文化資本の欠落は地方の大きな問題であろうが、ではその文化資本を対象地域にどうやってinstallできるだろう? あるいはそれはtop-downの政策で介入主義的にinstallするべきものなのだろうか? 文化資本をtop-downに”installする”ことのリターンは、自律的にbottom-upに市民の学習関心・自助努力に任せることに比べてどれだけupsideがあるのだろうか? top-down政策に由来するupsideの限定・downsideの拡大になったりはしないだろうか?

筆者は地方出身ではないが、「文化資本の欠落」はフラクタル構造であることを幼少期より身にしみて感じている。筆者の最近の身の回りでいうと、東京と地方の格差と同様に、日本のエリートとイギリスやヨーロッパのエリートとの格差を顕著に感じる。それはオックスフォードに来たから感じるわけではなくて中学生の頃からずっとおかしいと感じていたことをオックスフォードの地で再確認しただけなのだ。

たとえば、日本社会は移民を単なる労働力としてしか認識せず、コミュニティとして受け入れることを頑なに拒絶しているように見受けられる。これはたとえBrexitが決まっても多様な人々が共生するロンドンとは極めて大きな違いである。イギリスも島国ゆえに日本と同様にシャイな人は多いし、xenophobiaに取り憑かれた人々もそれなりにいる。しかしそれでも大多数の人は相手の幸福を考える心 (これは日本人も多く持っているはずだ) を他人種との共生にうまく適用できているように感じるし、シャイな人こそ大体の場合親切である。

(余談だがこちらの望月さんは筆者の前職時代の同僚で大変に尊敬できる人格の持ち主である)

東京とロンドンの差は、エリートの卵である東京大学の学生とオックスフォード大学の学生との差からも読み取れる。筆者の実感では、数学的能力・アナリティカルな能力に関しては東京大学とオックスフォード大学の若者とで大きな差はない。計算能力だけ見れば東大の方がはるかに上手かもしれない。しかしこちらの学生は、未知の分野を学ぶこと・自分たちと違う社会の人たちについて学び交流することには、おそらくは大きな喜び・リターンがあるだろうという、未知への可能性に賭ける信念・ベイズ統計学でいうところの事前分布を持っているように思われるのである。

ここでのポイントは、個々の学生は、過去に外国の歴史や異なる宗教について学んだら嬉しいという体験があったからまた学ぶことにしたという、経験 (= 観測値)に基づいて意思決定しているわけではないという点である。未経験の状態で学習をはじめられることが本質的に優れているのだ。個人にとって詳細は非観測であるが、自分の知らない世界でもっと長い間ワークしてきた信念にはそれなりの意味があるであろうという演繹的思考によって事前分布を設定することが彼らの知的好奇心・学習意欲につながっているのである。

そしてなぜこのような事前分布を持つことができるのかと問うとき、筆者は宗教の偉大な力に感服せざるを得ない。観測が足りない不確実な世界ではデータよりも事前分布がものをいうことは機械学習研究者には容易に想像つくことである。

たとえば、大学にいっても対して人生変わらないかもしれないし、自分にとっても面白いかどうかわからないけど、何も理由がなければ行かないより取り敢えず行ったほうがよいという信念も一つの優れた事前分布である。とりあえず事前分布として大学に行くことを前提する。大学にいってみて、たとえばBill GatesやLarry Ellisonのように、大学の講義や議論よりも信じられないくらい没頭できるものを見つけてしまったなら別に中退してもよい。それは観測によって事前分布が事後分布にupdateされたからである。この事後分布は個人とキャリアの相性といったより詳細な情報を取り込んでいて事前分布よりも優れた予測能力を持つ。しかし重要なのは、観測が手に入ってから判断するのではなく、観測がない段階で良い事前分布をもとに一定のギャンブルをする能力なのである。

地方産業育成で何が良い将来リターンにつながるかは筆者にもわからない(というと正確にはちょっと嘘で、水産業その他で日本の地方の投資で面白そうなものはいくつもあるのだが、あまりここで書くと金融機関上の規制に引っかかってしまうのでここはご容赦ください。一見デジタルでないものに旨味がある)。しかしこのような良い事前分布を人々にもってもらうことは長期的には有益だろう。もし、大学に行くことは無意味で時間の無駄であるという、誤った信念 – より正確には、一部の例外(e.g., Gates, Ellison)にとってはtrueになりえるがたくさんの事例をかき集めてきて汎化したときには悪い事前分布とみなせるもの -がどういう過程で広まったか、どうすれば覆せるかわかるならそれは良い投資になるだろう。この場合、top-downで無理やり信念をinstallすることはあまり答えではないように思われる。地域社会から世界に羽ばたいた先輩といった身近な接点の方が、ある日東京からやってきた計画主義の人々よりもずっと適切な答えを提供してくれるはずだ。

  • これらのコメントは過疎地域に住んでいた人には奇妙にうつるかもしれない。もちろん筆者は基本的には都会地域出身の人物でありこれは外野の意見に過ぎない
  • しかし文化資本の欠落という現象だけに関しては筆者も個人的体験に起因する意見をそれなりに持っている。筆者が中学2年まで住んでいたのは千葉県流山市という地域であったが、東京からさほど離れていないはずのこの地域では、校内暴力やそれを抑えるための異常な管理教育が常態化していた
  • たとえば、すぐ近所の鉄道高架下のトンネルでは通り魔が金属バットで子供に殴りつけるなどという事件について聞かされたし、ゲームセンターにはあまりに恐喝魔が多いのでとにかく娯楽施設に行くなという生活指導ばかりされた。加えて、校内暴力と管理教育のせいで近所の高校で校長が自殺したなどというニュースを聞かされたことを覚えているのだが、Wikipediaが読める現代にいたってそれが事実であったことを再確認させられてしまった! これらの環境から、中学や高校というのはどれだけ怖いところなのだろうと子供のときは怯えていたものである
  • しかし私立中学に進み、その後神奈川のもっと裕福な市民が住んでいる地域に引っ越すことでこれらの殺伐とした環境とは無縁になった。神奈川で最初に発見したのは、本屋さんのラインナップが千葉よりも面白いというものであった。筆者にとって最初の読書体験の楽しさは中学1年のときに親から東京八重洲ブックセンターを教えてもらって訪れたときであるが、八重洲ほどではないものの神奈川・東京多摩の地元で結構いろいろなものが見つかるなと、流山との格差を実感したことは覚えている
  • つまり東京近郊でも見えない格差があり、そういった再帰的構造にどうアプローチするかが問われているのだろう

地方により良い信念を持ってもらうための方法論と、アナリティカルな能力は少なくとも優れている東京大学の学生たちに広い意味で世界を知ったリーダーになってもらうためにはどうすべきなのかといった方法論は共通だろう。ただ筆者の本音としてはやはり、壁はかなり厚い。ある程度年齢を重ねた読者諸賢なら気づいていると思うが、キリスト教やユダヤ教・イスラム教の力は本当に偉大だし、アジアでもジャイナ教徒がなぜ優れたダイヤモンドディーラーになったかの経緯などを知ると、優れた宗教とは優れたビジネスそのものなのだと痛感する。日本でも仏教に由来する優れた実践的思想があるが、宗教的実践を一見非合理なものとして棄却してしまう発想(それ自体が一種の宗教だが)が人生の幅拡大を妨げるケースが多いように見受けられる。オウム真理教の事件などを通じて、宗教に関して社会がtraumatiseされることで、人々が自分の内側にもっていた宗教の合理性・非合理性を自覚できていないようである。

今すぐ役に立たないものの長期リターン

最後になるが、Kelly Criterion由来の意思決定は筆者の人生を大きく変えたという個人的経験をお伝えして終わりとする。7年も前に2年程度の時間をかけたに過ぎなかったconex clusteringまわりの応用とアルゴリズムの挙動分析は、当時は単に筆者個人の興味からスタートしたに過ぎなかった。筆者よりも確率論に詳しい一流研究者から見たら、ある意味でどうでもいい問題を扱っていただけに過ぎないかもしれない。あるいは筆者ではなく彼らが同じ研究分野に従事したら遥かに優れた研究成果を短時間で出したかもしれない。実験内容を思い出しても、人工データとカーネル関数の差し替えによる実験はビジネスに直結するものとは言い難かった。人工データではなく実データを見ろという批判は機械学習では昔から常につきまとうものであったので、まさに筆者は他の有識者から批判されやすいことをやったと言える。

しかし数年後、convex clusteringとKelly criterionが本質的に同一の最適化問題を解いていることに気づいた時期と、そして演繹的な意思決定と帰納的な機械学習アプローチのintersectionがおもしろい境界領域であることに気づいた時期とが幸運にも重なったのである。そこにヘッドハントまでやってきたことで、金融ビジネスとは無縁であったはずの筆者に突然イギリスでの仕事機会が舞い降りることとなった。このような複合的組み合わせによるチャンスは、数学力のような単一のスキルで勝負するのではなくいくつもの見えない個人的投資が重なってはじめて結実するものである。

今、とてもノイズが多く帰納的アプローチによって容易に間違った結論を出しかねない環境の中で、当時の実験経験はrobustnessを確保するための様々なプロセスに役立っている。また保守的なincome投資のビジネスと革新的な基礎研究開発によるcapital gainとの間に横たわる溝にどうアプローチするか考える上で、より広いレベルでのポートフォリオ構築にも役立っている。このような今のリターンはそれまでの筆者の「業績」とか「伸びそうな分野」に基づいた帰納的判断だけによる意思決定では得られなかったであろう。未知のものには果敢に学び、飛び込んでみるべきであるという宗教だけが将来を変えてくれるのだ。

今回久しぶりに簡単な数式をブログに載せる機会を設けた。本当はもっと紹介したい気持ちもあるが、そこから先は筆者のproprietaryな研究内容につながってしまうためこれ以上書くことはできない。このように限定された情報公開であっても、Kelly Criterionとconvex clusteringの示唆することから自分たちの社会のあり方を見つめ直す人々が多く出てきたら望外の喜びである。とくに、普段incomeがすぐに入るタイプのビジネスかまたはpublic sectorでの仕事に忙殺されており、基礎研究のようなpositive skewedな確率分布からのリターンに馴染みが薄い人にとっては、自分と研究者との間のコミュニケーションになぜ大きなギャップがあるのかを理解する手助けになると思う。

少額でいいがゼロではいけないという規範の合理性を、確率論に詳しくない市井の人々が理解しはじめたら世の中は大きく変わると思う。願わくば、基礎研究における予算配分政策に携わる人たちにこのような規律が浸透していくことが、twitter等で同業者の嘆きを日々観測している筆者の望みである。

References

Footnotes

  • [1]なお、これ読んでる地元の方で研究トピックの雑談交換に興味持たれた方いましたらぜひご連絡ください。一応、St Antony’s CollegeのNissan Institute of Japanese StudiesのKeijiban mailing listには登録してもらったのですが積極的に活用していない状態です。
  • [2]フランスの極度にcentraliseされたシステムを批判するドイツ人たちは一方で、EUという共通通貨のせいで南欧諸国の自動車産業が苦境に立たされた経緯をよく理解していないようである。南欧諸国は怠慢だから経済成長力が低いという誤認は比較的典型的なようだ。ある意味で、誤った長時間労働信仰から抜けられない日本と似ているかもしれない。共通通貨が南欧諸国の経済を傷つけるメカニズムを実際に説明してみると、ある程度の学がある人であれば彼らも気づくようなので、わかってて悪意ある通貨統合をしているというよりは、純粋に無知から来ている様子である。ドイツは過去のワイマール共和国時代のハイパーインフレーションが今もトラウマとして残っていると彼らはよく言う。この状況で緊縮財政のドグマを捨てることは彼らには難しいだろう。トラウマから来るインフレパラノイアが、時には財政出動を必要とする南欧諸国との考え方の違い・緊張状態の根本要因になっているように思われる。この価値観の違いを見る上で、どうやら、EUの成立理念のである、二度と戦争をしないというコミットメントの維持には通貨統合が大事だとの思い込みが相互理解を妨げているように思われる。よく考えてみれば、言語の違う欧州各国をアメリカのように単一国家とするのは無理があるし、通貨統合などなくても貿易関税をなくすだけでも十分な相互恩恵・戦争抑止効果がある。ドイツが過剰にEU大国幻想にとらわれることが、例えばBrexitを主導したボリス・ジョンソン(著者はこの政治家を尊敬できないのだが)の言説に一定の説得力を与えてしまった面は否定できない。
  • [3]南欧諸国がドイツの追求を振り切った例として、左派と右派の合意のもとにトロイカ3国への返済を遅らせて自国投資を優先したポルトガルがある。ポルトガルはこの7年で劇的な経済成長を遂げた
  • [4]経済学者の言説は、SamuelsonやMarkowitzの研究成果をもとに期待値が高いアセットに極力betするのが合理的だと考えるところから来ているせいではないかと思う。これはレバレッジを無限にかけることができてどれだけダウンサイドがきても破産しない状況では正当化できるが、資本が有限のときは本質をついていない。著者はKellyの方が本質をついていると考える側であり、Kelly的にポートフォリオを組む場合は再配分は正当化される。SamuelsonはKellyを批判したのだが、Ziembaも指摘するように時が経てばたつほどやはりKelly criterionは本質を突いているように思われる
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2017年お疲れ様でした

2017年末であるが、今回は特にまとまった議論はなく、かわりに年末をしめくくる娯楽投稿をさせて頂く。2017年は大変に収穫の多い年であった。2016年からわずか一年で心持ちもこれほど変わるものかと個人的には感嘆するところだ。環境を移したことはとても大きい。所属企業を変えたことによる恩恵と、居住国を変えたことによる恩恵と双方ある。移住後に学んだことは適宜整理していきたいが、一つの記事をまとめるのに時間がかかる点をご容赦頂きたい。

著者は本日12月29日で仕事を納めた。同僚たちの多くはクリスマス以降は年末休暇をとっているが、著者は代わりに12月初頭にポルトガルで2週間ほどリラックスしてきた。年を締めくくる仕事は半年間の研究成果をアカデミックな形式に沿って社内論文にまとめることであった(ひとまず年内に執筆完了してほっとしている)。世間では同じく研究で生計を立てる研究者たちがジャーナル論文や査読付き国際会議論文の執筆に忙しいが、著者の勤務組織で要求される社内論文は、世間的にはジャーナル論文と体裁が近い。この社内論文は社員のみが参照できるもので、提案された投資アルゴリズムが厳しい市場で本当にworkしうるかどうか、同僚たちがレビューするために使われる。従ってバイアス低く品質を判断するための必要材料を明確に掲載する必要がある。ジャーナル論文と同様形式の社内論文は、研究成果を宣伝すること以上にプロダクト品質確保のために非常に有効である。これは実際に研究プロセスに深く関わった人でないと想像がつかないらしいのだが、論文にまとめることでアプローチを全て明確に言語化かつ定量化することになるので意思決定の品質は大きく上がる。論文を有効活用した組織運営については、学んだことをいずれ日本企業の方に伝えていきたい。アカデミックという単語を強調したのは、その形式が最終的にrisk-adjusted returnの向上につながるからである。この運営形態は大学で行われる基礎研究と民間企業で行われる商業研究との違い・それぞれのあるべき姿について深く考えるきっかけになった。大学で作られた基礎研究成果をビジネスに応用するのが商業研究、というような安易な説明は理想形とは全く違うのだ。

関連して最近、回り道の効用について考えている。前回の投稿で通常の学びに加えて「学び方を学ぶ」利点をお伝えした。この方法論では、人から言われたとおりに学習を進める以外に余計な試行錯誤の時間が加わるため、学習の初期では他人より非効率に学ばざるを得ない。その代わりに将来の学習速度が加速してくる。時間を入力、累積報酬を出力とした関数のconvexityが上がるわけだ。回り道の多い方法論ほどconvexityが強くなるのだが、このことを研究開発や投資戦略の根本に据えるアプローチについて次回は議論したいと思っている。

このconvexityに関連して、また年末企画として、今年読んだ中のベスト一冊を紹介させていただく。2013年の出版だが、Mark Spitznagel の The Dao of Capital である。もし中央銀行による介入がなかったら、金利がどのように決まるべきなのかオーストリア学派の考え方がよくわかった。いわゆるリバタリアンの考え方に賛成の人、同意しない人の双方にお勧めである。そしてこの本は株式から研究開発までありとあらゆる投資の本質を議論していると思う。

 


The Dao of Capital: Austrian Investing in a Distorted World

年の終わりにオックスフォードや他の欧州都市の魅力の一部をお伝えして締めくくろう。ポルトガルでの休暇以外にも、今年は週末を利用してポーランドとアイスランドを訪れた。実は著者は最初の大企業に勤務していたころ、ほぼ毎年外国で2週間以上の休暇を取っていたため、馴染みのある地域がこちらにも沢山ある。それでも週末に都合の良いフライトを見つけてふらっと遊びにいくと、用意周到に長期休暇を計画するのとはまた違った面白さを味わえる。

近所のBlenheim Palaceでチャーチル像と。Blenheim Palaceはウィンストン・チャーチルの生家であり、観光地としても有名である。

同じくチャーチルつながりで、こちらはポルトガルのマデイラ島で高級ホテルBelmond Reid’s Palaceでアフタヌーンティーをしたときのもの。Reid’s は第二次世界大戦後にチャーチルが滞在した場所として有名で、館内もチャーチルとその妻クレメンタインの写真がいろいろな所に飾ってある。このホテルの最高級スイート(金額的に著者には全く手が出ないが・・・)はその名もChurchill Suiteである。

Reid’s館内のチャーチル写真とグッズ一例。

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オックスフォードに戻って、Jericoエリアの運河を。鉄道駅から来た場合、この運河の先に著者の勤務する建物が近づいてくる。水は緑色に染まっているものの、朝散歩すると気持ちよいエリアである。

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著者の居住するエリアから市の中心部に向かうと、観光客がよくボートを漕いでいる落ち着いた小川にたどり着く。ハリー・ポッターの撮影で有名なChristchurch Collegeの近くである。

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小川はテムズ川につながっている。テムズ川上流の落ち着いた姿は特に夕刻ごろが美しい。

Christchurch collegeとその内部。その他のCollege訪問として、会社とオックスフォード大学との共同研究関係のおかげでBalliol collegeで特別ディナーを頂く機会に恵まれたことがある。写真は載せないが、お世辞ではなく美味であった。

著者の家の近くにはCowley Roadという通りがあり、このエリアは北アフリカや東ヨーロッパ、アジアからの移民が多くレストランやカフェを開いている。日本の食材も韓国スーパーで揃い、国際色豊かなエリアで助かっている。一番上は日本食レストランの「食べる」。オックスフォードの日本食レストランではEdamameと並んで評価が高い。シリア料理のThe Pickled Walnutや通り一つ隣の Cuttlefish などもお勧めである。

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こちらは歴史の深さと建物の美しさがオックスフォードと共通するポーランドのクラクフである。著者が前回クラクフを訪れたのは2003年で実に14年ぶりであったが、駅前の巨大ショッピングモールには心底驚いてしまった。ポーランドの経済発展は本当にめざましい。イギリス滞在中に、まったく進歩していない著者のポーランド語も改善した方が良いのだが・・・

ポーランドはGdańskも訪れた。イギリスのBirmingham空港に格安航空便が飛んでいる日がある。Birminghamはオックスフォードからのアクセスが良く便利である。

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ポルトガル, Taviraの綺麗なビーチ。Algarve地方では他にLagosも訪れたが、Taviraのビーチは白砂でもっとも美しかった。冬場の避寒にお勧めである。

最後はおまけで、移民手続きの忙しい最中にやりくりして訪れたネブラスカ州オマハでのValue Investor Conferenceの風景、および3日間のExecutive MBAプログラムで頂いた盾。当時のレポートはこちらにまとめてあるので興味ある方は読んでみてください。

今年一年お疲れ様でした。皆様もよい新年をお迎えください。

遅い社会と早い個人のLearning to Learn

人工知能による失業増大はよく議論されるが、その実態と個人レベルでできる対策について掘り下げてみたい。書き下してみたら非常に長くなってしまったので分けようかとも思ったのだが、これらのトピックが一連でつながっていることを強調したかったため、あえて一投稿とすることにした。後日分割して同内容を再投稿するかもしれない。

AIにより失業する可能性の高い職業と、逆に需要の増える職業について議論した論文が2013年に発表されて話題になった [1]。その著者の一人であるMichael A. Osborne教授は、オックスフォード大学において著者と同じ建物に勤務している。紅茶を常にloose leafで丁寧に入れる穏やかな方だ。どこまで論文の予想を信じるべきかについて、Gaussian Process (GP)を使ったこの論文のメソドロジーを聞いたりもしたのだが、最近正式なジャーナル論文になっていたので最新版をReferenceに載せておいた。

  • 著者が個人的に思う彼の論文の良いところは、予測だけでなくその予測がまちがっている可能性のある不確実性についても評価しているところである: GPの強みだ

論文の中身には立ち入らないが、内輪のワークショップで彼が楽観的にコメントしていたことを強調しておく。AIにより失業する職種はたくさんあるが、人の心や日常生活に寄り添う仕事といったカテゴリーの中に増える仕事もたくさんある。若い世代にとっては、単に親の職業と類似した職業を選ぶという愚を犯さなければ良いだけのことで、自分の興味を持ったことがらを突き詰めて楽しんで学んで行ってほしいとのことだ。我々の世代が職業選択/キャリア構築の際に採択していた規範は、メタレベルでは未来でも有効なのである。

  • もし著者があえて批判的に見るなら、論文内の予測が外れる可能性が高いのは芸術家に関する楽観部分だろうか。ただ具体的予測の一部が期待値がずれるのは確率的予測の宿命なので、これは批判ですらない。そしてこれはOsborne教授の意見ではなくて、学習データとなったアンケートに答えた人たちがそのような考えを持っているというだけである
  • 芸術的才能をもった人たちの需要は増えると答えた人が多かったが、たとえばAlgorithmic Compositionの今日の発展 (実はこれは不連続な変化ではなくてXenakisなりDavid Copeらから脈々と続いてきた活動であるし、12音技法の開拓以降はある種必然であった)を見るに、AIがある程度の創造性を提供していることを忘れてはいけない
  • この「ある程度の」創造性は、他の過去の芸術家の様式模倣という、Recurrent Neural Network / Convolutional Neural Network等が得意なものもあれば、
  • 過去の様式上今まで聴いたことがないが、生成されたものが芸術的に高い価値を認めうるという様式レベルの汎化能力を獲得するものまで幅がある
  • どちらの場合も作曲家にとっては職業上の脅威になりえる。一方で、作曲家もAIに教えてもらいながら独自の作品を創ることで、人間の創造性が拡大される可能性も高い
  • 囲碁AIの生んだ新しい戦略によって人間棋士が学びやすくなっている現象と似ている


Algorithmic Composition

さて、著者が今日議論したいことは、本当の脅威はAIそのものなのだろうか? AIが脅威とリンクしやすい今日の社会構造の方ではないか? という問いである。どちらが真実なのかという答えは著者個人は持っていない。しかし最近、後者の考えをいくつか発展させてみたので、読者諸賢のキャリア上の参考として、書き下したいと思う。

今日の要旨

  • すべては新環境に適応する速度の問題である
  • 速度をゆるめる政治的圧力をかけるか、個人が学習速度を速めるか、選ぶ必要がある
  • 一般的には、社会変化速度を出来るだけ抑えつつ、個人の学習速度を最大化するのが良い
  • ただしAIに関しては社会が低速に進むことを期待できない
  • 個人にとっての学習速度を最大化するために、「学び方について学ぼう」
  • 安心せよ。次第に学習速度が加速し、経験ある人は初学者より早く学べるようになる

予測できる人 / 早く学習する人

優れた起業家は自分の作り上げたビジネスを、他社にdisruptされる前に自分自身でdisruptできる。Amazon.comが紙の本で確固たるビジネスを作り上げた後にKindleで書籍部門の利益を少なくとも最初は容赦なく食べていったのは良い例である。真実かどうかはしらないが、Jeff Bezos氏は電子書籍の担当者にお前たちの使命は紙の書籍部署の連中を首にすることだ、とハッパをかけるという噂もある。このような自己否定的傾向は、Christensen教授による有名な「イノベーションのジレンマ」を避けるために不可欠である。

起業家レベルまでいかなくても、柔軟な思考回路を持った労働者はうまく担当事業を変えて行く。例えAIによって自らの現在のビジネスがdisruptされる日が来るとしても、その審判の日が訪れるまでにはタイムラグがある。彼らはこのラグ期間に新しい分野を学び、Nextビジネスを見つけ出す。専門領域の滑らかなシフト・拡大を測っている人たちは、時間とともに変わるビジネスフィールドのどこにおいても充実した人生を送っている。

  • 著者が、撤退オプションを残しつつも、マーケティング・広告領域からファイナンス・投資領域に移ってきたのもこれと関係がある

さらに話は起業家・労働者にすら限らない。政府レベルでこの思考が徹底している国もあるのだ。代表的なのはスウェーデンである。衰退産業と新産業との間における労働力配分最適化という課題において、スウェーデン政府は衰退産業を切り捨てることに躊躇がない。有名な例はVOLVOとSAABからの救済申請却下である。スウェーデン政府は過去に船舶事業会社を救済した結果、長期間低成長率に苦しむという痛い目にあった。過去の失敗から学んだ彼らは、ゾンビ企業を容赦なく切り捨てる方針を採用した。しかし同時に、福祉国家が長年提供してきた社会安定の維持に腐心した彼らは、代わりに包括的な職業訓練プログラムを提供し、労働者に新しい産業への適応時間を与えた。著者が見る限り、この方法論は福祉の源泉となる経済利潤の確保と社会不安の回避という二つのバランスをとる上で、現実解の中での理想に近い。

  • ムチ (厳しい市場競争) とアメ(福祉予算による訓練プログラム)のうまい組み合わせである
  • もちろん、ターゲット先の産業を間違えたらどうするんだ、職業訓練プログラムで本当に現在ではなく未来役立つスキルがつくのかという詳細点は議論がある
  • しかし自動車工が3年訓練でバイオマス発電技術者として転職したケースなどを見るに、
  • 単にレッセフェールで失業者放置 or パターナリズムでゾンビを延命するよりは実践的にworkしているとは言えるだろう

スウェーデン・パラドックス

さて、このような機動的なシフトができる起業家・労働者・国家とそうでないところとの間にはどのような差があるのだろうか。確実に忘れてはならないことは、タイムラグを利用したシフトには当然のことながら期限があるということである。この期限内のシフトを成功させるようなメソドロジーが、社会のどの意思決定階層においても必要である。ゆえにどうやったら早くシフトできるんだ? というのが真の問いであるべきだ。加えて、シフト先を間違える(起業家の場合は参入市場の選定、職業訓練の場合はターゲット産業)と巨大な損失につながるので、少なくともランダムよりはましな確度で次に伸びる場所を創る or 特定する必要があるように思える。しかしながらもう少し考えると、後者は実は優先順位としては2番目で、早いシフトさえ達成すれば細かいことは忘れてよいことに気づく。

  • 最優先である早く学習する能力が身についていれば、選定を間違えて失敗してもまたquickに別のことにtryすれば良いだけだからだ
  • また社会的な未来予測というものは、過去にてんで間違って予言ばかり提供してきた。そういった不確実性の高すぎる予測を信頼して行動するのは理にかなっていない

本当の脅威はAIではなくてhyper-connectivityかもしれない

なぜAIによる失業が、過去の技術革新による失業よりも深刻に捉えられているのか、読者諸賢はどう受け止められているだろうか。ITはあらゆる事務職員を危機に陥れた。インターネットは小売業や証券会社を危機に陥れた。こういった過去の創造的破壊と、AIによる創造的破壊は何が違うのだろうか。

一つの答えは、機械学習および強化学習 / 一般的な最適化アルゴリズムを学んでいるとはっきりわかるが、AIの適用範囲・役立つ範囲が広すぎるためである。Amazon.comが出てきたとき既存書店は彼らの存在をある程度認識していただろうが、家電量販店は書店ほどには当初脅威とは思っていなかったのではないだろうか。しかし書店で橋頭堡を作ったAmazon.comは全てのRetailerの脅威に変わった。想像していなかったところからやってきたダークホースが自らのビジネスを脅かす、というのが広範囲に使える技術がもたらす社会現象である。そして弱いAIにせよ、AGIにせよ、AIはこのような性質を広く持っている。ロンドンの変わったスタートアップ (注: Googleに買収される前のDeepMind社のことだ) がATARIのビデオゲームを自動で解くおもちゃを作っていたと思ったら、その背後にある技術がいつのまにか銀行家にとっての脅威になっていた、というようなことだ。脅威が 迫ってくるまでの時間が以前より短くなっているため、人間側の準備が間に合わなくなっているのである。

通常はローカルコミュニティに閉じているはずのクラスター化された社会ネットワーク構造において、その汎用性の高さゆえにクラスター境界を想定外の高速度で超える技術がいくつかある。機械学習に基づいたAIはその波及速度が人類の歴史において最速にあたるだろう。古いエキスパートシステムには人間が予測器を設計することに由来する顕著なボトルネックがあったが、機械学習はこのボトルネックをはるかに減らしてきた。

そしてネットワーク化された経済ではwinner-take-all効果が高まる。世界最低の調達コストを実現した一部の企業が全ての利潤を独占したりする。以前紹介したバリュー投資の分析で、グローバル企業によるwinner-take-all現象を逃れて生き残る数少ないローカル優良企業は、砂利運搬業のように物理的に重いモノを仲介していたことを思い出そう。物理的な制限のないアイデア: 例えばアルゴリズム上のイノベーションは物理的なものよりも早く普及し、その利得分布におけるheavy-tail性を強める。一部の強い人だけに富が集中してしまうのである。


千年投資の公理 ──売られ過ぎの優良企業を買う

一つの技術変化が急速に全てのノードに影響するような社会システムは、hyper-connectedネットワークであると言えるだろう。グローバリゼーション・IT化で準備されていたhyper-connectivityに対してAIという燃料が投下されたわけである。

さて、hyper-connectivityによるダークホースの脅威にいつも晒される社会では、守る側の立場は何が自分の脅威になるのかを絶えず監視していないといけない。そのためには、自分にとって馴染みのなかった新技術が自分のビジネス領域をどう変えてしまうのか、優れた仮説立案能力が必要である。AIに限らず、自分のビジネスと新技術の組み合わせによる正/負の影響を客観的に考えるだけの頭脳が必須となるが、技術的詳細に立ち入らずにこれを行うのはほとんどの人にとっては困難であろう。確実な方法は技術的詳細も含めて学ぶことである。その結果、端的にいって複数の新しい技術を早く学べない人は仕事がなくなるのである。

新技術の恩恵を広く行き渡らせつつも、hyper-connectivityに由来する脅威を緩和するにはどうすべきか。一部の人が解だと思っているが実際にはworkしないアプローチが1つあり、現実解は2種類あると著者は考えている。変化を拒絶するという態度はWorkしない。何故なら自社が新技術の採択に臆病になっていても、外国の競合他社は非常に積極的であることが大半だからである。変化を拒絶するのはその経営者の勝手だが、遠からぬうちにその企業が倒れるだけだ。では現実解の2つは何かというと、1つ目は普及速度を社会的にゆるめることで、2つ目は個人が普及速度に追いつけるよう早く学習することだ。それぞれの方法の利点や可能性については歴史が教えてくれるので、分けて議論しよう。

1. 普及速度を緩める: 過渡状態の重要性

実はhyper-connectivityはインターネットに限ったものではない。グローバリゼーションと金融自由化という過去の波はいくつもの教訓を提供しているのでそちらを紹介しよう。

社会が状態Aから状態Bに移行するとき、たとえ状態Bの方が長い目でみれば望ましいものであったとしても、AからBへの移行速度が早すぎると多くの問題が生じる。これを顕著に見せたのが1997年のアジア通貨危機やソビエト崩壊後のロシアにおける急速な民営化であった。保護主義や統制経済から自由主義市場経済への移行が最終的に望ましいとしても、急激な自由化は急にやってきてバブルを引き起こし急速に引き上げるたぐいの国際金融資本を惹きつけてしまう。マレーシアで当時のマハティール首相が採用した一見不合理な資本統制が、過渡期を上手に乗り切るという観点ではタイやインドネシアよりも賢かったことは今ならわかるだろう。だからといってマレーシアは別に外資の参入をずっと拒絶し続けているわけではないし、資本主義国としての道をきちんと歩んでいる。理想状態だけではなくそこに至るための過渡的なパスを熟考すのが大事なのだ。Amazon.comが最終的にはなんでも売るつもりであっても、最初は書籍からスタートしたのと同様である。


世界を不幸にしたグローバリズムの正体

この過渡期の設計を間違えると、長期間たった後でさえ目標未達の貧しい状況になりかねない。たとえばチリのピノチェト政権時に行われたような、南米で行われた急速な右派的自由化は大資本の支配を通じて反米的反発の拡大をもたらしてしまった。今でも南米では共産主義がworkすると信じる層が残っているようである。資本主義が、急速な格差拡大でなく多くの広くの層への恩恵につながるという実感を、少なくとも西ヨーロッパや東アジアと同レベルで南米市民が享受していたならば、ポピュリズム由来の誤った信仰は今日の南米のようには強くなかったはずである。ボリビアやベネズエラは誤った信念によって悲劇的な失敗の道を辿った。

  • 著者の個人的考えでは、亡くなったウゴ・チャベス元大統領は、少なくとも経団連のクーデターから救い出されて大統領に戻ったころはそれなりの高い理想を持っていたと思う
  • 彼は別に資本主義のシステムに詳しい経済畑の人間ではなく軍人であって、石油利権の恩恵に預かれない貧困層を救済する方法だったら何でもよかったのではないか
  • しかし制限のない自由化と隣り合わせの外国オイルメジャーとの利権闘争においては、社会主義に走る以外の選択肢は、少なくとも彼の頭脳では無理だったのであろう
  • そして絶対的な権力は絶対的に腐敗する。憲法を改正して禁止されていた3選を可能にした時点でベネズエラの暗黒未来は決まっていたようなものだ
  • そして彼の死後、同様に経済に疎いことに加えて、チャベスよりもさらに強権的で人望に劣る今のマドゥロ大統領になってはお察しの通りである


The Open Society and Its Enemies : the spell of Plato (Routledge Classics)

逆に速度やタイミングに慎重であったことで大きな恩恵がもたらされた例もある。政治の世界で著者が思い当たるのは、南アフリカ共和国のフレデリック・デクラーク元大統領である。アパルトヘイト推進側からキャリアをスタートした彼は、ある時期からアパルトヘイトの廃止に関心があったようであるが、ネルソン・マンデラへの歩み寄りというアクションを起こすためにソ連の弱体化を待った。これはマンデラ率いるANCがソ連との協力関係があることで、ANCとの和解が共産化を引き起こす恐れがあったためである。マンデラは当時はアメリカ合衆国からテロリスト認定されていた。

  • このあたりの経緯は著者も思春期に目の当たりにしたことを思い出しつつ、後日の解説をあやふやに理解しているだけである
  • もっと興味のある方は自分で調べてみていただきたい。著者にとっては、たとえばこちらの解説は包括的で学びになった。

マルタ会談からたった10日後にマンデラに接触を図ったデクラーク大統領に、著者はただひたすら感銘を受けざるを得ない。明らかにこれは周到に機が熟するのをまった結果であり、かつ条件が満たされたならば電光石火で動くべきであるという、手本の中の手本を示している。

デクラーク大統領がソ連の弱体化を待ったように、マクロな経済政策レベルでは最終状態までの遷移をわざと遅くすることで社会的な恩恵が増えることが多々ある。議論は次回とするが、待つ戦略は中国の老子の「無為」などにも見られて孫子につながっているほか、数理モデルのレベルでも過渡状態の分析は多くのインプリケーションを生む。ピノチェト大統領の背後にいたフリードマンやルーカスたちが、均衡への着目だけでなく過渡状態のダイナミクスにもっと気を使っていたならば、ピノチェトの評価も違っていたかもしれない。

一部の読者諸賢は、ここで議論した遅い行動の利点は、政治家レベルの社会的意思決定において発生していることに気づいているだろう。そしてAIの普及におけるインプリケーションを取り出そうとしたときには、過去の成功例の背後にあった前提条件を理解しなければいけない。マハティール首相やデクラーク大統領の英断は、自国だけが遅い変化を選択し他国がもっと高速な変化を選択したという短期的不利状況が、長期間の損失にはつながらなかったために成功した。デクラーク氏の場合、そもそも南アの白人社会が国際社会からの制裁を受け続ける覚悟をもっていたということで、経済ダメージはあっても政治資本が残ったという背景もある。

AIの急速な普及はグローバルな法人税値下げ競争と似ている。自分たちだけ抜け駆けして値下げするタックスヘイブン国家がいる限り、妥協してどの国家も下げて税収を圧迫せざるを得ない構造が原理的に存在する。同様に、失業による社会不安を危惧した政府が規制によってAIのより緩やかな浸透を考えたとしても、他国のもっと優れた企業がそれぞれの産業領域でAIの急速な活用により独占状態にいたるリスクを排除できない。政府がよほど愚か者でない限りは、AIの活用はビジネスパーソンのみなさん他社に負けず頑張ってくださいとしか言えないのだ。

  • それでも強引に規制をかけると、おそらくは過去に強い金融規制と不透明なコーポレート・ガバナンスを嫌って東京から香港やシンガポールに金融機関のアジア拠点が流出したのと同様の問題が、AIをフル活用した企業の間に発生するだろう
  • 政府が規制政策としてできるのは、せいぜい兵器開発や遺伝子操作にAIを用いる際の倫理上の問題について歯止めをかけることだけだ。そのような問題が大きくないもっと一般的な商取引においては、規制を入れた国の企業は単に衰退するだけであろう

そのようなわけで、遅い行動の利点を散々に紹介しつつ、AIに関してはこの利点があまり享受できそうにないという結論が得られる。それでも漸進的な変化を選択した先人たちから現代の私たちも大いに学ぶべきである。本題である個人レベルの意思決定の前にやたら前置きを置いたのは、例えばデクラーク大統領の英断から著者個人が受けた感銘を共有したかったためだ。

  • 政治レベルでの漸進性という観点では、近年の政治ではこれが顕著にまずくなっていると著者は感じている
  • サダム・フセインやムアンマル・カダフィが「独裁者だから」という理由で排除してしまった結果がどうだろうか
    • そもそもカダフィ大佐はインターポールにオサマ・ビン・ラディンの逮捕状を請求した最初の人物であった
  • ワッハーブ派の影響を受けたテロリスト達を世俗的な独裁者が押さえつけていた構図について、西側諸国の指導者たちはどの程度の事前理解があったのだろうか
  • もちろんサダム・フセインもムアンマル・カダフィも冷酷で恐ろしい独裁者だった。ただしそれが単に悪だから除去しようというのは、First-order effectしか考慮していない極めてnaïveな判断である
  • 彼らがいなくなった場合のワッハーブ派の活動というSecond-order effectを考慮していない限り、拙速な判断は大体の場合、災害につながるのである。

 


ぬりつぶされた真実

2. 「学び方を学んで」学習速度を早める

社会レベルでは遅い行動には利点があるがAIの文脈だとあまり利点を享受できそうにないという結論を一旦得た。もちろんこの結論はさらなる論考や実証で将来覆るかもしれないが、とりあえず是として進もう。個人レベルの行動、政府は一旦放っておいて私たち個人ができる行動についてはどうだろうか。こちらの結論は極めて明確で、出来るだけ早いことが望まれる。ロジックはこういうことだ: 社会ができるだけゆっくり動く一方で、個人がその変化に先回り or 十分に余裕を持って追いついていれば、過渡期につきものの混乱を最小化した上で良い移行が達成できる。個人が社会よりも早いことが大事なのである。

前回のブログではゆっくりと漸進的に研究を進めてシグナルを取り出せと書いて、これは相反するメッセージのように移るので先に明確にしておく。インプットを高速に、アウトプットを低速・品質重視で個人は動こう、というのが鍵である。他者や先行技術の理解には広範な範囲をできるだけ早くカバーする必要がある。自分の独創性を加えたオリジナルワークは、自己否定的・懐疑的な検証によって品質を最大化すること。

他者から学ぶとはどういうことだろうか。具体例を想像してもらうために、最近著者のもとに届いたヘッドハンターからのスキル要件をあげてみよう。著者はこの要件に関するスキルセットが不足している上に現職に満足していて行く気もないのだが、データサイエンスや機械学習などの今の著者のスキルに加えて、Fixed income securities (債券や優先株などの一定収益を期待する証券)に詳しい人物を探しているそうである。著者の所属するファンドでもFixed income securitiesは取引対象であるが未熟者ゆえ著者個人はこれにはまだ習熟していない。それを習得している者にはさらなる上のステージがあり得るということである。FinTechや決済ビジネスにおけるイノベーションでは、どうやって一般ユーザーの負担するコストを安くしつつ沢山の人にそれを使ってもらうかが大事であるから、確率的なアービトラージ等を通じて決済用のフロントエンドと、コスト or リスク分散のバックエンドとを出来るだけ統合した形で実現するのは大事であろう。少し拡大すれば、Machine Learning + Blockchain + Fixed Income Businessという3分野統合スキルセットの持ち主には飛躍的な将来がありそうである。

  • Fixed income securities に詳しい人は銀行やヘッジファンドにいくらでもいる
  • Blockchainの基礎技術とそれがもたらす社会変化を熱心に追っている人も最近は多い
  • 機械学習については大学か産業界で2-3年の経験がある人には一定スキルがあるだろう
  • しかし3つ全部のスキルを要求される仕事では、急に競争相手がいなくなるのである。そして3つを習熟するにあたって、あなたがフェルマーの最終定理を証明できるような天才である必要は全くない

これら3つを学ぶといっても、昭和の日本企業で推奨されていたようなゼネラリスト、全部が70-75点程度の理解である人材には声はかからないであろう。理想的には、3つの分野全てにおいて、サクセスフルなビジネスを一つ手がけたことがあるか、またはトップ国際会議 or ジャーナルに論文を通している、といったどれも90-95点という状況が望ましい。そのような人材はGeneralistではなくてVersatilistと呼ばれる。Versatilistになるのが不可能ならSpecialist+リテラシーで対処するしかなく、一つだけ120点で他が80点という状況を狙うことになる。

このような複数スキルセットを包括的に学ぼうとしたときに、長時間労働・勉強にも限界がある。一見異なる3分野間の共通性をどうやって見出し、早く学習できるかどうかが、長期的に効いてくるだろう。そのような効率的な学習法で自分個人にあった方法論を見出した人にはすごいボーナスが来るが、それ以外の人は仕事を失う創造的破壊が起きているのだろう。

効率的な学習法とは、予備校の教師が教えるような効率的勉強法よりも一段階メタレベルのアプローチを指している。あなたが三角関数という新しい概念を高校で習ったとき、あなたは三角関数について学んでいたのだろうか。それとも何か未知の概念を習得するときにどうすべきかという規範を学んでいたのだろうか。あなたは前者を学んでいたつもりだったのに、当時は冴えなかったクラスメートの一人が実は前者と後者を学んでいた可能性を考えたことはないだろうか。そしてそのクラスメートは大人になってから突然大化けした。実は、前者と後者をともに学ぶことについては、機械学習の先端に大きなヒントがある。

機械学習の最近のトレンドの一つに learning to learn アルゴリズムというものがある。Learning to learnタスクでは、どのような学習アルゴリズムが同じサンプルサイズでもより予測精度の高いモデルを生み出すかのメタルールを自動学習する。予備校教師の例で言えば、学習法Aを勧めた教師と、その学習法とは違うBを勧めた教師と、どちらのアドバイスに従うべきかを、学習サンプルを収集して判別するのである。

人間が新スキルを得るための学習法というものは、その学習法自体の良し悪しを統計的に比較検討できるはずである。例えば、Blockchianのど素人である著者がこの分野を勉強しようと思ったとき、次の複数のアプローチのどれが有効だろうか。

  1. 新分野の中で興味をもった論文からはじめてその参考文献を追って行く
  2. 新分野の代表テキストを最初から最後まで読む and/or 課題をやる
  3. 新分野において信頼できる専門家の書いた一般書を読み、その中の参考文献を追う

この3つのどれがより著者にとって有効であるか調べるためには、理想的には、Randomised Controlled Trial (RCT)を行う必要がある。RCTする場合は、著者と似たようなアカデミックバックグラウンド and 実務経験を持った人をたくさん集めてきて、方法1, 2, 3をランダムに割り当て、例えば1年間勉強を続けてもらう。1年後にスキルテストや実在課題を解かせてみて、1-3のどの集団が優れていたか比較するのである。古典的A/B/Cテストだ。

しかしこのようなRCTは実際には実行不可能である。厳密に同じバックグラウンドを持った人をたくさん集めるのは不可能だし、各人に貴重な時間を消費させて選択を強制することもできない。まぁ因果推論関係の統計学を使えば自然選択状況からある程度の推定は可能であるが。

なので読者諸賢には、このような選択的トライアルを自分個人で一人でも実践していくことを勧める。著者の体験例を出してみよう。著者がゲーム理論やマルチエージェント・システムについて学んだ際には1の論文スタート・アプローチを取った。著者が作曲における和声法・対位法・管弦楽法を学んだ際は2のテキスト網羅アプローチを取った。そして著者が行動経済学を学んだ際は3の一般書スタートアプローチをとった。

  • 一応白状しておこう。和声と管弦楽法は定めたテキストをきちんと全てこなしたが、対位法は未完であり、こちらは今後きちんと補間していかないといけない。

Tonal Harmony

Materials and Techniques of 20th Century Music

Counterpoint: The Polyphonic Vocal Style of the Sixteenth Century (Dover Books on Music)

The Study of Orchestration

Agent-Based and Individual-Based Modeling: A Practical Introduction
Generative Social Science: Studies in Agent-Based Computational Modeling (Princeton Studies in Complexity)

その結果、著者にとって新分野学習において有効だと結論されたのは以下のシーケンスを重視した方法論である。1-3のどれかを選べ、ではなかったのだ。このシーケンスが採用された理由は、それぞれの学習法の利点と欠点を身をもって味わったからである。

  • まずはその分野の一般書を読みReferenceをたどる
  • 続いて興味をもった論文をいくつか読み漁り、すでに自分が知っている数学的知識とのアナロジーから学習をはかる
  • 最後に、当該分野のテキストを最初から最後までやって網羅的に全体像を把握する

1-3のどの方法にも利点と欠点がある。論文drivenのアプローチは興味を追っているので効率が良い一方で、カバレージにかけ教養の欠落を招く。Exploration-exploitation trade-offのある状況においてexploitationしすぎるのだ。一方でテキストdrivenのアプローチは、特に和声課題のときに感じたことであるが、いつになったら一人前になれそうかゴールまでの感覚がつかみにくく、動機付けが弱くなる。その結果、平均的な学習速度が遅くなる。とはいえ、このカバレージはいずれは必須である。なので、効率的に取れる60%の範囲をまずは論文drivenで学び、その後にテキストで網羅することが良いと結論した。とはいえ最初のとっかかりが何もない状態で論文をあさるのもまた非効率なので、好きな読書の延長としてまずは一般書からスタートする、という組み合わせに落ち着いたわけである。

  • 著者の友人の複数のPhDホルダーを見ても、カバレージをきちんとしているかが学位保持者とそうでない人の一番の差で、それが長期的に効くということはお伝えしておく

著者の採択したアプローチが合致する方はデータサイエンティスト以外にもたくさんいると思われる。しかしながら、これはあくまで著者個人にとっての準最適解だ。読者諸賢個人に対してあうかどうかの精査は大事である。新分野を開拓するときに学習法を意図的に変えてみて、自分の中で学習法を比較できるようなサンプルを創り出すことはお勧めである。

自己サンプルだけではおそらく比較には不十分であろう。そこでサンプルサイズの増大 or 信頼できる事前分布の設定のために、身の回りの人の学習結果もこっそり利用すると良いかもしれない。他人の成功と失敗から学ぶのである (優れたバリュー投資家がよく口にすることだ)。あなたの身の回りでは、環境変化への適応が早い人と遅い人がいてそれぞれ異なった戦略を採用しているはずだ。彼らを観察して良い戦略の事前分布を作ろう。事前分布といっているのは、これは人間一般にとって良いと仮説されているだけで、あなた個人は他人と大きく違っているかもしれないためである。多くの他人による事前分布と、自分自身の経験によるサンプルのmixtureで推定するのは、ベイズ推定である。ベイズ推定のアナロジーで汎化されたリアルlearning to learnは、あなたのキャリアを大きく広げて行くだろう。

機械学習に限らず、数理的な最適化アルゴリズムというのは何も仕事のデータだけに使う道理はないのである。そこから学べる規範を自分の人生そのものに役立ててみてはどうだろうか。リアルな日常生活においてベイズ推定 and/or 強化学習しよう。

長時間労働は勤勉革命のせいだけではなく、不確実性回避のせいかもしれない

さて、個人が時間を浪費せず新しいスキルを学ぶことの重要性について説いているわけであるが、多くの人はなかなかこれが出来ない。その理由として著者が想像しているのは、新しい分野を学ぶのに想定外に長い時間がかかってしまったらどうしよう or いつまでたっても理解できなかったらどうしようという恐れではないかと思っている。(新たに得たスキルの利得) マイナス (所用時間による機会損失) という打算において、後者の不確実性に対するリスク回避を重視した意思決定をしてしまっているのである。

このリスク回避現象は、なぜ長時間労働が減らないかの理由の一つになり得る。もちろん長時間労働の主たる要因は江戸時代の勤勉革命 (Industrious Revolution)から、顧客による無償労働の脅し(株主によるコーポレート・ガバナンス不足の結果としてのpricing powerの弱い事業から経営者が撤退しないことが本質的要因)まで種々ある。しかし副次要因としてはこのリスク回避性も作用していると思う。現場レベルで、例えば次のようなことがおきるのだ。

  • 財務担当者がExcelで作業をしているが、いくつかの数値入力部分は毎回同じステップであるので自動化して他の仕事に集中するか早く退社したい
  • しかし彼はプログラミングに馴染みがないので、過去の.xls or .xlsxファイルをコピー&Editする以上の作業時間短縮が現在のスキルではできない
  • 今回の作業を完遂するにあたり彼は二つの選択肢から選ぶ必要がある
    • 1. 今までと同様のやり方をする。所用時間は3週間で確実にこの時間で終わる
    • 2. pythonまたはVBAを追加で学び、プログラムの自動出力を利用する。他に財務で新たにプログラミングを学んだ人の経験から推定するに、学ぶのに期待値では10日かかり、その後最後に残る手作業は4日で終わるためトータルで2週間である
    • 2.は期待値としては1.よりも早く終わるが、学ぶのに想定外の苦労があって、10日かかる学習時間が20日か30日になってしまうかもしれない
  • このような状況において、彼はハードデッドラインを過ぎてしまうリスクが怖いので選択肢2を選ぶことができない。もし2を成功裏に今回終えれば、今回の短縮に加えて来期の同一作業における所用時間は劇的に減るにも関わらず

同じ財務担当の中でも所用学習時間にはバラツキがあることが観測できるだろう。加えて、そのようにプログラミングを習得した他の同僚がいない場合には、サンプルサイズの不足による不確実性(統計学ではestimation errorとかconfidence interval or credible intervalのことをさす)が増大する。このリスク+不確実性を短期的に回避し続ける結果、彼は長期的にいつまでたっても長時間労働から逃れられないのである。


退屈なことはPythonにやらせよう ―ノンプログラマーにもできる自動化処理プログラミング

このようなトラップは、締切ドリブンのカルチャーが緩和されれば回避できる。経営者の方は社員のコントロールにおいて参考にしてみて欲しい。一度のチャレンジでは想定外に多くの時間がかかって一時的な生産性低下を被るかもしれないが、明らかに最初の段階で学習に取り掛かる方が累積コストは低い / 累積リターンは高い。実は企業がR&Dに投資する際の基本を、ここでは単にExcel処理という小さな例に当てはめて議論しているだけである。

結局のところ、キャリア構築・スキル習得においても、短期のリスクは不可避であると腹をくくって長期リターンを最大化するだけなのだ。世界的に見て、社会人が会社を辞めて大学院で学びなおしたりする際の正当性も、そのような短期損失を覚悟したリスクテイクから来る。

学習速度は逓増する

不確実性に惑わされて二の足を踏んできた人たちに最後にメッセージしておきたい。安心して欲しい。本当にゼロから学習を始めて恐ろしく時間を無駄にするケースはまれである。そして著者が今までの体験から自信を持って言えることとして、今までの蓄積が多い人ほど、新しい概念の習得も早まる。学習の複利効果とでも言おう。直感的には、n 種類の見かけ上異なる学問分野があったとしても、それら全てを学ぶのにかかる時間は log n くらいで済むだろう。見かけのサンプルサイズや次元に反して、実効次元やクラスター数はもっと小さいのだ。その根拠は、先人のたちの知恵のおかげで異なる専門領域も元をたどればシンプルで強力なファンダメンタルズから成り立っていることが多いためである。

  • 著者の場合、有名な「藝大和声」の課題をやっている間は、このよくできてはいるが疲れる禁則を体に無理やり叩き込むのが非効率に感じられて仕方なかった
  • しかし本業の機械学習研究においてbias-variance trade-offの扱いに関して理解が進み、五度圏による分析法の習得など他の知識が混じってきた段階にいたると、よりメタレベルでの法則理解が得られたため、課題の遂行が容易になったのである
    • それでも初学者には先に挙げたStefan Kostka氏のテキストの方を勧めるが

和声―理論と実習 (1)

和声―理論と実習 (2)

和声―理論と実習 (3)

見かけ上の学問領域の広さに圧倒されて、自分の既存知識範囲に固執し過ぎてしまう傾向は、若い人が資産運用において複利効果を軽視してしまうことと似ている。一回一回はリスクある意思決定であっても、長期的には本来あるべきcapital growth rateに近づいて行くのだ。複利効果を理解しない人は、期待値 ➗ ボラティリティのS/N比を上げる代わりに単にボラティリティの高い一か八かのギャンブルをやってしまう傾向がある。しかし若い人は残された時間がもっとも長く、長期資産運用が本当は向いた立場にいる。彼らは期待値としてのcapital growth rateを上げるような、複利効果のあるキャリア開発に全力を注ぐのが最適である。

若い人だけでなく、40歳や50歳の人にとってもこれからの社会ではimplicationが似てくる。平均余命が伸びていることと、年金の支給開始年齢が上がることでシニアも先々のキャリアは想像以上に長いからだ。

残り期間が長い前提においては、今更新しいことを学ぶなんて難しい、という嘆きこそが最大の敵なのである。今回の投稿は俗に言う「文系的」知識を総動員しつつ、著者の専門から言えることを定性的に結びつけて論じてみた。読者諸賢のキャリア上の触媒になれば幸いである。

Reference

シグナル抽出にはゆとりと漸進性が必要である

今回は異文化交流や民主主義といった大きなテーマからは少し離れて、日常的な仕事のスタイルについて議題提起する。著者が現職場に移って再認識した大事なことの一つは、飛躍的な成果が求められる基礎研究であっても、急進性ではなくゆとりのある漸進性が大きなアドバンテージをもたらす点である。イノベーションが非連続におきることを根拠として、不連続なプロセスを奨励する輩が散見される昨今だが、連続的かつ「のろま」であることが最大の競争力になる場合があるのだ。そして漸進性のもつ優位性は、Karl Popperが述べたpiecemeal social engineeringを例えば正当化する。民主主義における、保守的で非中央集権的な意思決定プロセスが、スピーディーだがハイリスキーな独裁者の意思決定よりも、長い目で見ると生き残るのかが何故なのかが示唆される。ただし今回は仕事スタイルに話を限定し、民主主義と漸進性との関係については次回以降のトピックとする。


The Open Society and Its Enemies

本日のインプリケーション

  • 不確実性の大きいビジネスではゆとり/漸進性/品質を重視したものが、スピードを重視したものに勝る
  • 競争相手に先を越される悪夢を見るのが嫌なら、とても難しい課題を要求される仕事につこう
  • 保守的にリスクを取り続けろ。リスクフリーを求めてはいけない。逆に最適水準を超えたリスクも取ってはいけない

計画と無計画の寓話

ある高山の頂上に、大量の金が埋まっているという情報がもたらされた。もちろん普通は山の頂きにそんなものはない。これはフィクションだ。さて、3つの登山グループが金鉱発掘に名乗りを上げ、登山装備の資金を援助してくれるスポンサーを募った。3グループはそれぞれ異なる登山計画と、スポンサーへの依頼を持っていた。

最初のグループAはその山の詳細な地図を入手し、その地形情報を生かした精密な登山計画を作り上げた。スポンサーに対するメッセージは、自分たちの最適化された計画なら一週間で金鉱にたどり着くので往路一週間+復路数日分の資金を援助して欲しい、というものだった。グループAが要求した金額はもっとも低かったので、あっさりとスポンサーが決まり彼らは意気揚々と入山していった。

次のグループBは山の詳細な地図をあまり見なかった。その理由は、地図に間違いがあるかもしれないし、どうせ壁にぶつかったら計画を変更しなければいけないから事前の計画にあまり意味はないということだった。彼らはその代わりに、現地に入ってからの試行錯誤を努力すると主張し、そのために往路に二週間の資金が欲しいと言った。二週間で見つからなければ我々は撤退するだけなのでスポンサーのロスは限定されており良い投資機会だと主張した。資金グループAほどすぐではなかったがスポンサーが見つかり、彼らもまた入山していった。

最後のグループCはスポンサー獲得に難儀した。彼らはグループAと同様に地図を入手し、登山計画も練った。しかし地図の正当性をグループBと同様に怪しんでいたので、グループAほどには各チェックポイントに詳細化された計画は作られず、高度ごとに装備を見積もる程度の計画となった。頂上までの所要期間を三週間と見積もったがスポンサーには往路に九週間の資金を要求した。彼らはこう述べた。「我々は現時点の計画に自信がありません。現実と地図との間に想定外の食い違いがあるかもしれないし、突然クマに襲われて装備や食料の半分を失うかもしれないから保険が必要です。三週間をターゲットにしますが、六週間たった時点で金鉱を見つけられなければ下山し撤退します。また下山にも想定外のコストがかかり得ますから最低九週間分の往路資金がなければこの計画は開始しません」このグループCに対する大半のスポンサー企業の対応は芳しくなかった。「冒険家たるものリスクを恐れるとは何事か」「そんなに金のかかるプロジェクトに資金は出さない」云々。しかし彼らはスポンサーが現れるまでは決して入山はせず、また他グループに金塊を取られたらそれまでとして競合も意に介さず、後日たまたま手を挙げた一社からの資金拠出を頼りに遅れて入山した。

その後何が起きたであろうか。

グループAは登山途中で、実際の地形と地図とが食い違っていることに気づいた。そして彼らの立てた計画では、間違いが存在するエリアに関して特に誤った過剰最適化が施されていた。入山後に彼らは過ちに気づき、下山かルート変更を試みようとしたが、装備と食料が足りなくなり進退極まった。その主因は最小限のコストしか請求しなかったためである。彼らのその後は分かっていない。

グループBはグループAほど地図の誤りの可能性に無頓着ではなかったが、彼らのルートは行き当たりばったり過ぎて頂上に近づいている様子が見られなかった。その時間浪費の結果二週間が過ぎ、当初の予定どおり下山した。彼らは無事ではあったが、登山金鉱探しは割に合わないと主張し、その後二度とチャレンジしていないようである。

グループCのその後は数奇であった。最初の登山においては、彼らもある高度までは達したがその後はグループB同様行き詰まり、下山せざるを得なかった。ただ下山のタイミングを前倒しした。撤退は六週間目と事前に通知していたにも関わらず、四週間の時点で下山を決断した。その代わり下山をゆっくり行うこととして余裕資源を環境調査に当てた。そして敗残報告後、次のスポンサーを募った。次の資金繰りは初回よりずっと難儀したがそれでも一社現れ、二度目の登山がはじまった。二度目の登山は前回よりも効率よく進行した。その主因は、経験と追加調査によって、地図と実際の地形との一致部分と不一致部分とがある程度識別できるようになっていたためである。しかし高度が上がるにつれそのような識別能力も役立たなくなり、二度目の下山タイミングが来てしまった。今回も彼らは下山開始を前倒しし、余裕資源を使って地下鉱脈のサンプリング調査を行った。

グループCはまだ諦めなかった。しかし、資金を一番ふんだんに二回も使って失敗した彼らに対する企業の目は冷たく、三度目のスポンサーはほぼ現れそうになかった。彼らは最後に風変わりな富豪から関心を持たれた。その富豪はたった三つの質問をした。1. 今までの下山において、早期撤退を決めた理由は何か? 2. なぜ余剰資源を使って余計な調査をしたのか? 3. 往路三週間の見積もりに対して、なぜ今まで九週間しか資金を要求しなかったのか。なぜ十八週間や三十週間とは言わなかったのか?

グループCは撤退計画というのは最大まで待てる期間であってその一線を超えると常に死に近くこと、そのため自分たちはいつも保守的に計画を立てることを説明した。調査は後日の分析に不可欠であり、調査のない登山は行わないことを説明した。九週間という見積もりについては、実はそれすら内心は少ないと思っており、スポンサーの顔色を伺って誤って金額を小さく要求してしまっていたことを認めた。彼らは何より、ゆっくり一歩ずつ登れる計画しか採用しないのだと言った。どれだけ他者から臆病だと言われようと。

富豪は、三週間すら内心は少ないと思っていたという彼らの回答をむしろ喜び、三十週間ぶんの資金拠出を提案した。その代わり山頂で本当に金塊が見つかった場合にはその70%を自分に渡すことという条件を要求した。登山の成功そのものが目的であったグループCは度量の大きさと強欲の混じったその条件を受け入れ、最後の登山が始まった。今回は2回目よりもさらに効率的により高い高度まで来ることができたが、案の定ある高度以上から予測が効かなくなった。しかしこの予測が効かない主因が、彼らがこの山が単峰であると思い込んでいた点であることに気づいた。過去の地形・鉱脈サンプルから推測するに、資源の眠っている頂上はみなが思っているよく見える頂上ではなく、別のより小さな頂にある可能性が高いと彼らは判断した。最高地点に達した栄光と、資源を掘り当てて富豪に資金を返す真の成功とを比較し、彼らは後者を選ぶことにした。小さな頂に向かい彼らはついに鉱脈を見つけた ただしそれは金ではなくてプラチナ鉱だった。彼らは契約を臨機応変に判断して富豪に相当額を渡した。

最後に大笑いしたのはこの富豪である。彼はリスクを過小評価した不適格者たちが失敗するのを見るにつれ、企業スポンサーたちの性急な成果要求よりも、自分の「待つ投資」に最大のアドバンテージがあるという自信を持った。そして彼は、自分の無知さ加減を的確に理解しているリスクテイカーが現れて彼の代わりに貴金属をごっそり取ってきてくれることを、ただじっと待っていたのだ。

シグナルだけ or ノイズだけ or ?

極めてまわりくどいストーリーで申し訳ない。著者の脚本力の弱さが露呈する作文であり、いくらでも変更の余地があるだろう。無論これは単なるフィクションである。しかし多くの脚本と同様、示唆を含めてある。

読者諸賢はすでに想像されている方も多いと思うが、グループAはソ連型思考をする人を揶揄して描いたものである(実際のソ連の官僚はもっと賢いので誤解なさらぬよう)。理性の暴走を象徴している。不確実性のもたらす帰結を無視し、理性や計画を過度に信用することの問題点を明らかにしている。ある種の大企業勤務サラリーマンの思考もこれかもしれない。

グループBはその対極に位置するもので、リバタリアンの一部に代表されるような反知性主義者をイメージして設定した。無知の暴走という表現もできるが、より正確には、反知性主義を積極活用するあまり知性の利点を捨てすぎてしまった人たちである。一部のベンチャー企業経営者もこういうところがある。彼らは、無意味な学問権威や過度な計画主義に騙されないだけの自立した頭脳を持ってはいるのだが、自分の対極に位置する人たちを馬鹿にするあまり計画自体の利点をも無視してしまうことがある。すでにあるデータは積極活用すべきなのだ。完全な計画に問題はあるが、無計画にもやはり非効率性の問題があるわけだ。


アメリカの反知性主義

グループCはどこかに存在するであろう中庸としての人格を想定して描いたものだが、一番注意してもらいたいのは彼らの思考プロセスにおける以下の特徴である。

  • 彼らは自分自身の思考や身の回りのあらゆる情報が、一部間違っていると仮定する
  • それでも彼らは計画を立て、観測された情報の中でシグナルとノイズとを識別しようとする。シグナルと判定された情報なら計画に使っても良いのだ
  • 彼らはゆっくり仕事を進める。彼らの日常業務では、成功を手に入れる最終目標に向かってジャンプすることではなく、成功と失敗とを分ける識別器を作ることに多くの時間が割かれる。この漸進的で着実な分析態度は、早い成功をよしとする人々からはのろまかつ臆病だと思われている
  • 彼らは保険を最大限にかけ、保険を提供しない資金源とは契約しない。このコンテクストではNo deal is better than bad dealである

複雑で不確実な環境においては、何が成功の要因となるのか分析自体に長い時間がかかる。真の要因は限られた少数であっても、高いノイズのせいであらゆる要因が結果に結びつくようにも、全く結びつかないようにも錯覚する。ただ確実に言えることは、この長い時間と漸進的な分析を許容してくれる資金源としか協力関係が成立しないということである。

漸進的に進む組織の巨大な優位性

著者は現職に移って以降、はっきりとした確信があるのだが、仕事をゆっくりやることで、注意力の最大化という強力なアドバンテージが産まれる。バイサイド金融のように極めてノイズの高いデータを扱う世界では、この注意力こそが、己の知性を過信した匹夫の勇よりもずっと大事なのである。

高い注意力は多くのインサイトを生み出すため、結果的には効率的に最終的なゴールへと私たちを導いてくれる。ハードなデッドラインを先に設定されてしまい期日を守ることに主眼がいった結果、統計的に効用の疑わしいアプローチに飛びついてしまうという、近視眼思考がもたらす破綻は、ゆっくりした思考と高い注意力のもたらす果実からは対極に位置している。

著者や友人の過去の職場では「締切ドリブン」の仕事カルチャーが多く散見されたが、これはおそらく多くの企業で生産性悪化の主因になっている。効果が疑わしい方法を実際にマネーが動くビジネス現場で実践しても、長い目で見れば結局は時間と金の双方を失うだけだ。現実は楽観的想定よりも遥かに残酷である。Progressが早く出るに越したことはないが、疑わしい結論を急いでだすアナリストよりも、時間をかけて信頼性のある結論を出せるアナリストを信用すべきである。「70点で良いから早くレポートしろ」というカルチャーは、不確実性の高い世界に移るほど悪く作用する、と申し上げておこう。ただしこれは最終的なプロダクトに関しての話である。社内ミーティングなどの内輪の進捗報告は1つ小さな実験を進めるたびに1つ持つくらいでちょうど良い。70点の内部報告を30, 120点のプロダクトを1回という感じだろうか。多くの内部報告をテキストとして明文化された資料に残すことで、いくつもの努力の中で何が大きなターニングポイントになったのか、どの知見が他の未来のプロジェクトにも転用可能か、メタレベルで後日分析することが可能になる。この120点になってから出すという方針はおそらく、シリコンバレーで主流の「早くプロダクトを出せ」というメッセージの逆に映るだろう。後述するが、最適スピードが不確実性の関数であることを理由として、反転した結論のどちらもがTrueになり得る。

また自身の漸進的態度に加えて、ゆっくり確実に進めるプロセスを尊重してくれる資金源/意思決定者を上位に持つことが大事である。本日の寓話は、日本の多くの企業で本来必要なレベルの余裕が失われ、破綻に向かう三流ギャンブラーのような意思決定者が増えつつあるのではという危惧から思いついたものである。ヘッジファンドのように不確実性が高くしかも極めて多くの競合他社がいる世界でさえ、いやむしろそのような環境だからこそ、遥かに高いレベルのアウトプットを出すための十分な余裕を社員に与える必要がある。

クォンツ投資をかじった人間なら知っていることとして、賭け事を行う際には超えてはならないリスク水準というものが存在する。著名なケリー基準はその一例である。この水準をちょっとでも超えた賭けを行うと、破綻確率が急速に高まる。そのため、長く生き残る実務家は、限界リスク値に対して常に保守的な量の賭けしか行わない。たとえばギャンブルでは半ケリー基準というものがよく使われる。同時に覚えておいて欲しい点は、保守的に賭けるが賭け行為自体は止めずにずっと続けるという点である。リスクフリーな環境ではなく、保守的リスクテイクを継続する環境に身を置くとよい


天才数学者はこう賭ける―誰も語らなかった株とギャンブルの話

最近の日本の労働者の多くは、臆病でのろまな態度だと競合他社に抜かれてしまうという、保守性のアドバンテージを無視したメッセージを経営者から口酸っぱく聞かされてきたのではないだろうか。しかし実は、性急を急ぐ意思決定者こそが競合他社の結果を待つまでもなく先に自滅していくというのが困難なビジネスにおける実態なのだ。もしスピードが最優先事項だと言われたら、自社のビジネスはwinner-take-all効果が働く世界かどうか、そしてwinnerとなるプロダクトが明確であるかどうか問い返すか自問自答すると良い。もし明確な回答が出なかった場合、スピードが最優先というstatementはおそらく間違っている。目的関数がわからない時点で、あなたは不確実性の高い環境に住んでいることが示唆されているから。

最適速度は不確実性の単調減少関数

より正確には、最適なスピードと信頼性のトレードオフは不確実性とノイズの関数として表すことができる。不確実性が高ければ高いほど、着実性を重視しゆっくり進めるものが最後に生き残る。ノイズ項が極めて大きく、かつたった一つのノイズ因子でも容易に挑戦者を破綻させる環境の場合、信頼性を確保する前に次に進むあらゆる挑戦者がノイズによって墓場送りにされるためである。難しい課題にチャレンジすることは常にお勧めだ。敵に先を越されるリスクをあまり考えなくてよいからである。もし信じがたい速度で先を行っている競合がいるように見えた場合、ほっておいてもその競合はおそらく自滅する。

したがって逆説的ではあるが、不確実な環境に身をおけばおくほど、競合他社が自滅する敵失を期待できるために、かえって自分の本来の競争力強化に集中できるのである。著者がときどき想像することの一つに、Amazon.comJeff Bezos氏が大成功したことと、彼の最初の職場が著名ヘッジファンドのD. E. Shaw & Co.だったこと、彼がNassim Nicholas TalebBlackswanを愛読書かつ自分の部下に強く進めていることには強い関連があるのだろう、というものがある。D. E. Shawでの経験はBezos氏にとってBlackswanのメッセージをごく理解しやすいものにし、そして自らがPositive Blackswanになるにはどうすべきなのかの指針を多く提供したのではないだろうか。


ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質

反対に、不確実性が低い場合にはスピードを最大化したものが勝つ。これは少ないサンプルサイズで十分な信頼性が得られることに起因するためで、ラフな分析や直感でも勝利手段がすぐわかる環境である。石油利権にいち早く群がるとか(そのアドバンテージがあまりに明白だ)、コンピューター産業の黎明期には、一部の領域で品質よりもスピードを重視したベンチャー (e.g., MS-DOSや初期Windowsを開発したころのMicrosoft)が大勝利した。これらのケースでは明確な目標(e.g., Operating SystemOffice Softの独占)を最初に達成したものがwinner-take-allすることが明らかであり、その成功確率はほぼ単にスピードの関数である。Bill Gates氏やPaul Allen氏の類稀な才能ももちろん勝因ではあるが、Microsoftの成功とヘッジファンドの成功要因はおそらく異なっているのだろう、というのが著者の見立てである。

著者個人の仕事についても、三ヶ月立ったこともあり(日本時代の仕事ではこれはコンサルティング・プロジェクトを一つ終えるくらいの期間であった)、大きな成果に対するプレッシャーを毎日感じてはいる。しかし同時に、インサイトの確実性・信頼性を重視しスピードの優先順位を次点にしてくれる職場環境をありがたく感じている。そしてこの信頼性重視の企業文化が、実際のところ著者自身が入社前には想定していなかったレベルの高品質なトレーディング・モデルの開発に結びつきつつあり、いよいよ仕事が面白い領域に入ってきたと感じているところだ。読者諸賢の職場環境はまた違うことと思うが、企業文化の改革に関して何かきづきを提供できたならば幸いである。

特権ではなくハイリスク投資としての名門学校

イギリスに移って三ヶ月が過ぎようとしている。移民としての生活に感じるところについてはまた後日書くこととして、今日は移住後に見かけた日本のニュースについてコメントしたい。国立大学附属学校の入試をやめて抽選による選抜に変えることで平等性を担保すべきという議論を見かけた。国立附属学校のOBとしてこれは大きな愚行であると考える。加えて、教育政策を立案する人々が何か勘違いしているのではないかと感じる点があるので持論を書きたい。勘違いという表現は、国立大学附属学校への進学は100%の成功を保証する切符であるという誤認を彼らが持っているのではないか、という著者の疑念から来ている。今回、移民後の依然として慌ただしい中で拙論を書いてみてエビデンスとなるデータを揃える時間がなかったため、今後機会のあるときに本稿をupdateしようと思う。

Disclosure: 著者は国立大学附属学校の一つである筑波大学附属駒場高校の出身である。

他の国立大学附属学校OBは日本の国力を維持するために、国立大学附属学校をむしろエリート養成機関として積極活用すべきである、という論陣を張っているようだ。ある程度バックグラウンドの知識がある人にはこれが正論であることがわかる。しかしエリートに搾取されているという被害妄想を持った人々にエリート教育のリターンを解くことはおそらくムダであろう。そこで本稿では他のOBとは違う視点から議論を展開しようと思う。

  • 他のOBの論陣は2つの意見が混合していることが多い。1つ目は日本の国力没落をエリート教育の不足に求めるものであり、2つ目の主張は国立附属学校は別に受験エリートの養成などしていないというものである。
  • 1つ目について。顕著に没落した日本の基礎研究成果や、スタートアップの成功度合いでもイスラエルや米国になかなか追いつけない日本の現状を彼らは危惧している。
    • 基礎研究の没落については、投資に対するアウトプットの比率で見ると日本は意外と悪くない(それでもイギリスやフランスの方が優れているが)
    • 後段の拙論と関係するが、ビル・ゲイツのような偉大な起業家は別に教育されたから出来上がった訳ではないことを考慮すると、エリート教育なるものが本当に必要かも実は怪しい。しかしエリートの卵を単に集めて濃縮するだけの介入には意味がある。これも後述する。
  • 2つ目については、それがTrueであることを著者自身の体験によって知っているので後述する。しかし自らがそれを体験しておらずしかも自分の人生に満足していない人というのは、被害妄想による疑念をやめようとはしないものだ。そこで以下では、教えないにことにこそ真髄があるというその実態を体験談として書いてみた。外野の人にももう少しリアリティが伝われば幸いだ。

存在しないリスク回避手段を求める人々

抽選推進を持ち出している人々は教育委員会のポスト保持者と一部の大学教授のようである。彼らの考えを総括すると、以下のように考えているように見受けられる 著者の誤認も含まれているだろうが、まずは本稿を一通り読んでから評価を下してくだされば幸いである。

  • 国立大学附属学校では、私立学校とは違って、安価な授業料で良質な教育が受けられる
  • この良質な教育が、本来授業料の安さを必要としていない富裕層に独占提供されている
  • その理由は、難しい入試問題を突破できるのが受験塾に授業料をつぎ込める富裕層の子弟だけだからである
  • ついては、諸悪の根源である入試を抽選による選抜に変えることで、このチャンスを富裕層の特権から庶民の資産へと転換することができる

著者の人生を振り返って感じることであるが、このような考え方は公立学校の教員や公務員に特徴的である。彼らには二つの顕著な特性がある。

  1. 彼らはリスクをとにかく嫌う。自分がリスク回避的なだけならまぁ仕方ないが、社会は誰かが他人のためにリスクを取っていかないと成り立たないのだ。私たちの今の落ち着いた生活を実現するために、過去にリスクを取って犠牲になった先人に対するリスペクトだけは忘れないでいたいものだ
  2. 彼らの頭は線形なメカニズムの仮定に支配されているため、常にinterventionismにとらわれる。彼らはsecond-order effectというものを理解していない

まず指摘したいことだが、別に国立大学附属学校に入っても安泰への切符は手に入らない。むしろ自分の今後の人生に対する危機感が発生し、そして実際彼らの多くはその後の人生で否応なしにかなりの危険に晒されるようになる。

内心はとても不安定な名門学校生活と多様性

実態はこういうことである。まず難しい受験問題をくぐり抜けて選抜されて来た子供達は、ほとんどの他の子供達よりも数学や社会的教養の点で優れている。その結果、別に学校の勉強ができてもちっとも尊敬の対象にならないという強烈なピアプレッシャーが発生するのである。もしある子供がアイデンティティを学力テストのスコアの高さに求めていた場合、彼の自我はとても危険な状態に落ちる。そこで子供達は、自分と他者との違いを大きくするものは何か、どのようにして自らのユニークネスを確保することができるのか自問自答し、その試行錯誤に6年もしくは3年の時間を費やしていくことになる。著者の母校の場合は、スポーツで良い成績を納めることはかなりの賞賛対象であったし、音楽活動に勤しむものも同様である。スポーツが賞賛されるのは特待選抜されるようなスポーツエリートが著者の母校にいなかったからで、そのような不利な環境で全国大会まで行くような努力家は尊敬の対象になる。

このユニークネスの追求と独自の価値観構築は、その後の職業人生に大きな影響を与える。それはユニークな研究テーマの選択であるとか、競合他社のことなど意識せず顧客の問題に集中するビジネス上の姿勢といったものだ。彼らは、逆風が多かろうと、他社の真似ばかりしている人々の対極に座ろうとする。他人と違っていることはとても良いことだという、多様性への賞賛を国立学校や多くの私立学校は育んでいる訳である。著者は市立の公立学校にも通ったからはっきりわかるのだが、多くの学校教員や教育委員会の監督者は、poorで独善的な教条を子供達に押し付けている日々について猛省して欲しい。なぜこのような共産主義シンパのまがい物みたいな人々が日本の教育機関にたくさん生まれたのかは著者にはよくわからない。歴史をさらに調べる必要があるだろう。ただ言えることは、英国や米国・カナダのような移民社会では当たり前のように是とされておりかつそれが経済的にペイしている価値観が、残念ながら公立学校でそれを伝えられていない日本においては、国立学校と私立学校が多様性確保に一役買っている訳である。

生徒には実はハイリスク・ハイリターン

さて、思春期に培われた独自人生への探求心だが、これは大人になってもずっとついて回る。自分の人生が平凡であることが恐ろしくなってくるのだ。そして彼らの多くがハイリスクな意思決定を行うようになる。最近10年ぶりに再会した親友を例にとると、彼はNGOの仕事でアフガニスタンにも行っているし、ワシントンD.C.滞在中には後頭部に銃を突きつけられてその時の貴重品を全て盗られた。その際に彼が強盗から英語で言われた言葉は次の通りだ。「顔を見たら殺す」これを正確に聞き取れずに、「えっなに?」などと言って振り返ったらあなたはもうこの世にいない。

要は名門学校に入ることは、ハイリスク・ハイリターンの投資をすることなのだ。もちろん名門学校に入ったあとでも、大学進学くらいの時点で諦めれば、極めて平凡な人生を送ることも不可能ではない。しかし思春期に培われたその価値観を捨て去ることは、自分をどこかで信じている子供達には難しい。結局のところ、名門学校への入学はハイリスク・ハイリターンの株式にほぼ全財産突っ込むようなものなのだ。一応はput optionもあるとは言えるものの。

先ほどの強盗にあった彼は今では欧州で息子を育てている。実はさらに驚きのstruggleがもう一つあるのだが彼のプライバシーを考慮しここでは書かない。彼のハイリスクな人生は、名門校通学をリスクフリーのフリーランチとして考え、抽選制でばらまいてポピュリスト的人気を取ろうとするような人々の人生観とはどう考えても対極にある。

役所の人々の人生はリスクレス・ミドルリターンと言えるだろう。著者が所属するヘッジファンドの世界では、リスクを取らずに追加で期待値が高められるような戦略にはalphaが存在する、という言い方をする。Alphaが存在すること自体は悪いことではないが、それは個人の並々ならぬ努力と忍耐の対価によって手に入れるものであって、努力をしない一部の人にただで配ってはならないのである(選択的にただでばらまくと市民社会の相互信頼を傷つける)。実際、Alphaの取得の難しさは経済学で言う所の効率市場仮説と関係しており、それは市場の公平性を一定量担保している。

もしAlphaが何の追加の痛みも伴わずに容易に、しかも一部の人にだけ与えられている場合、それは特権と呼ばれる。リスクレスでハイタリーンが手に入る特権が放置されている状況は社会的不公正である。雇用を公的に保護されている人たちは、純粋な親切心から、その特権を他の人にもちょっと分け与えてあげようと思ったのかもしれないが、そういう特権の存在が放置されること自体が、公正の観点から問題があるのだ。

名門校に入ることは少しくらいは期待値を高めるかもしれないが、大きなボラティリティを伴うため、これはAlphaを取っている訳ではなくてBetaを高めているだけだ。ハイリスク株式が万人に進めるべき資産クラスではないように、名門学校への通学も別に万人に勧めるべきものではないわけである。多くの名門学校は入学試験を課しているが、その後の人生の波乱に比べたら入学試験などというものはとても小さな試練である。その程度の小さな試練突破に対するcommitmentができない子供達を無理に名門学校に入学させるとむしろ人生に暗い影を落とすであろう。

今となってはオックスフォードにゆかりのできた著者としては、ここでノブレス・オブリージュについても言及しておきたい。第二次世界対戦時、オックスフォード大学やケンブリッジ大学に通っていた貴族の師弟は真っ先に戦死した。戦死したからといって貴族の特権が正当化されてはならないのだが、少なくともこちらのエリートはハイリスク・ハイリターンの人生を送っていたということだ。そのハイリスクには株式投資ロスのような金銭損失だけではなく、命の損失も場合によっては含まれているのである。

社会全体へは: 低コストでハイリターンのバフェット流投資

さて、ハイリスク株式を若くして取得した子供達が将来社会に何を残してくれるか考えてみよう。ここで重要になるのは国立大学附属学校が何をしているかである。著者の記憶を披露させていただくと以下のような感じだ。

  • ともかく異様にポテンシャルの高い同級生だけは集まった。なまじ頭がいいので、誰も他人の命令なんか聞かない。公立学校で行われているような、道徳的正当化からの説得は彼らには無意味である。どうやって何か新しいことを協業しようか?
  • 机はボロい。ファシリティは老朽化して汚い。校舎の保全は県立高校の方がマシなのではないか? 箱物公共工事建設業者泣かせであろう。国からの我が校に対する投資金額の低さだけは他校の生徒に自慢できそうだな
  • 母が保護者向けのガイダンスに出席してきたが、たった一本の鉛筆を持ち帰らないように教官から強くお願いされたそうである。数が極めて限定されているため、それがないと業務が滞ってしまうらしい 鉛筆一本だって?
  • 教官たちは、教養は確かにあるのだが、生徒の意向も意に介することなく勝手な雑学講義をdeepに進めているように見える
  • 生徒たちは、他の生徒の奇抜な行動には気が気でないようだが、教官に対する関心はてんで薄いようである。この人たちが何を「教えて」くれるというのか?

最近は文科省のスーパーサイエンスハイスクール(SSH)といったシステムも導入されているので以前より少し介入的な投資もしているだろう。しかし、国の「エリート養成機関」とやらの実態は、優秀な子供を集めて単に一箇所に放り込んだだけだった。しかしこの生徒たちが将来、社会的には大きなリターンを生んでいることは日銀の黒田総裁 (著者の高校の先輩である)がもたらした日本経済の変化や、後輩たちの起業成果を見ての通りである。生徒個人個人にはハイリスク・ハイリターンの人生でも、生徒を集めた集合体で見ると低コストでハイリターンの理想的ポートフォリオになっていたのだ。Warren Buffettに言わせれば、資本がかからず無限に利益を生み出すような企業の所有が理想の投資である。コストをかけなくてもハイリターンが出ているのに、なんでお役所の人たちはわざわざコストを増やしてROIを低くしようとしていたのだろう?

人材濃度の希釈化に対する脆弱性

この理想的な社会投資はしかし常にワークする訳ではない。この投資機会のeconomic moatはとても小さく、役人の変な介入によって容易に消滅してしまう危機に瀕しているのだ。

子供達をハイリスクな冒険へと駆り立てるものが、「座学勉強ができても賞賛されない」ことだった点を思い出して欲しい。もしここに抽選で、相対的に学力の不足している子供が放り込まれると以下のような事態が起きるであろう。

  • 元来の学力の高かった生徒たちは、座学勉強ができるだけで抽選組に対する優位性を確保してしまう。その結果、今まで保持されていたリスクテイクへのインセンティブが失われる
  • 高いcommitmentを示す前に大人の都合で抽選で入れられた子供たちの将来は全く不確実である。極端に言えば、このハイリスク・ピアプレッシャーで自我崩壊したりしないか?

このように双方の集団にとって、そして子供達への投資からリターンを得ようとしている我々市民全体にとってもおそらくはリターンを低める結果にしかならないであろう。そもそも日本では義務教育が保証されているのであって、他の子供達も普通に都立/県立高校へ進学できるのだ。それを差し置いてわざわざ国立学校を設ける正当化には、この国立学校が他の公立学校と違っていることという条件が必須である。

単に違ってさえいれば良いという視点からは、今の国立学校のバラエティが不十分である、という主張ならば一定の説得力があるだろう。学力の高さだけでかき集めた国立学校があるなら、芸術センスの高さだけでかき集めた国立学校があっても良い。これなら主張として成り立つ。その場合、芸術センスの高さで集めた生徒たちに対して芸術の講義はしない、という政策が要求される。この観点からすると、私立学校の一部で行われているスポーツ特待生にスポーツエリート教育をするというシステムは介入主義の幻想から抜けていない、と言えるだろう。スポーツエリートを集めるなら、スポーツができるということが何の自慢にもならない、という危機感を生徒に抱かせることが社会的投資の秘訣なのである。

介入/設計主義の不毛

最後に、なぜこのような議論が出てくるのか、日本のみならず世界中の公的機関に意識的 or 無意識的に内在する介入主義へのバイアス傾向について論じたい。中学時代、著者を耐えず不快にさせていた教員たちは、子供をスイッチのついたパネルか何かと勘違いしているようだった。例えるとこういうことだ。

  • 生徒には英語、数学、国語といったボタンがついている
  • 教師がそのボタンを押す(授業を通してやり方を教える)。子供は対応するボタンの機能を習得する

こんな現象は現実には存在しない。教師が英語指導をXポイント追加すると、子供は英語能力が0.3Xポイント向上する、というような線形システムが頭の中に埋め込まれている人々は、常に介入を正当化する。子供の英語力が足りない? じゃあ英語の授業をもっと増やそう。子供が非行に走る? じゃあもっと道徳の授業を増やそう。日本の大学しか卒業していない著者はオックスフォード大学のそばに置かせていただいているだけだが、著者がオックスフォードの入試問題を見た限り、こんな単純な線形社会システムを頭に描くような人物はオックスフォードの入学試験には絶対に合格しないと言える。

線形システムが頭にある人の特徴は物事を足し算していって複雑化させる点だ。本日、いったい教師の独善のためにどれだけの無駄な授業と説教が行われているのであろうか? 過去には、才能ある子供たちのポテンシャルをどれだけ潰してきたのであろうか?

一方、国立大学附属学校の低予算システムは、意図されたものだったかはわからないが、少なくとも引き算が有効に働いている。これらの学校では介入をせずただ放置しただけだった。才能ある人たちを集めて、その才能を自己否定させるような場所を提供するという、逆説的アプローチによって人材輩出に成功してきた。数学を教えたら数学ができるようになった、というような介入主義的発想はfirst-order effectばかり見ているが、否定によってリターンを得るこのアプローチはsecond-order effectを利用しているのである。

Second-order effectについて補足して本稿を終えることとしよう。ホメオパシー(代替医療)の効用について考えたことがあるだろうか? これはレメディと呼ばれる謎の物質を、その物質が1原子も含まれない濃度に水で希釈して投与するというものである。

まず伝えることとして、過去の膨大な実験によって、ホメオパシーには医学的な効能が全くないことがほぼ確実である。ここでnaiveな介入主義者は、「非科学的なホメオパシーをやめさせるべきだ」などという。もちろん、正当な治療方法が判明している病気に対してホメオパシーを施すのはよくない。しかし、その治療方法が不明かもしくは既存の方法が有害だったら?

ここで覚えて欲しいのが、ホメオパシーが有害であるという仮説も十分に棄却されているという事実である。つまりホメオパシーは人体にプラスもマイナスも何も及ぼさないのだ。

この結果、有害な過剰医療の代わりにホメオパシーを施された患者は長期的には自らの自己治癒能力で回復していく。ホメオパシーは、有害な医療行為から患者を遠ざけさせることで結果的に患者を回復させるのである。first-order effectの医療しか考えられない医師は肯定的材料だけを探して過剰医療をするが、ゼロがマイナスよりはマシであるというホメオパシーの結果に着目した医療行為はsecond-order effectを利用していると言える。

Second-order effectの効用は他にも色々ある。医療技術が未熟だった過去にはお祈りばかりしている宗教の多くがその役割を果たしたし、今でもある種の呪術行為はアフリカでインチキ医療行為やあるいはもっと過激派の宗教から患者や信者を遠ざけるのに役立っている。

介入行為の不毛に関する指摘はハイエクやポパー以来のオーストリアの伝統である。少なくとも民主主義国家をまだ自認している日本においても、彼ら偉大な哲学者に習ってみたらどうだろうか。国立大学附属校ではsecond-order effectを利用した「何もしない」「否定の」教育をもう少し続けてみるということだ。最安の設備投資で最良のリターンが待っているのだから。

オックスフォードに移ってファンドで働きます

突然の告知であるが、いわゆるヘッジファンドからオファーを頂いて機械学習クォンツ研究者 (投資アルゴリズム開発者) として働くことになった。勤務地はイギリスのオックスフォードである。民間企業のポストではあるが、オックスフォード大学の一流教授陣 (統計学, 金融経済学, 機械学習の著名教授と同じオフィスビルに入る) やPhD students, postdocsと日頃からコミュニケート可能な、特殊な研究環境で働くため非常にエキサイティングである。

読者諸賢には想像していただけると思うのだが、金融業は種々の規制の下に存在する。まずはイギリスの Financial Conduct Authority (FCA) の規則にのっとり、そして多くの内部統制に従う必要がある。著者も渡されたCompliance上のガイドライン数百ページを今日も読み進めているところである。本ブログは数理科学を用いた社会課題解決全般について記述することを意図しているが、最近は投資のための分析が多かった。今後も数理的な民主主義の発展アプローチについては議論していくが、金融市場に関する発言は抑制された注意深いものに留める可能性が高いことをご留意いただきたい。今日以降の発言はCompliance上の制約下にある。

パフォーマンスのランダムネス

多くのヘッジファンドではローパフォーマーは大きな解雇リスクに晒される。著者の雇用契約書にも会社側がdiscretionaryに解雇できる条項が入っている。単にローパフォーマーを解雇するのは英米系の会社では勤務地問わず当たり前のことだが、問題はヘッジファンドの場合は本人の能力とは無関係に誰もがローパフォーマーになりえてしまう点である。極端な言い方をすれば、あなたの首が切られるかつながるかは、あなたの努力や才能ではなく、単なるコイントスの結果で決まってしまうのだ。

単にお金に惹かれて何の勝算もなしにヘッジファンドに入社することが何を意味するか、最近はカルチャーも変わってきてはいるものの、たとえば10年以上前のこちらの記事を参考にしてみて欲しい。この記事は、金融業界の人よりも、いささかAIバブル気味のIT業界の人にこそ、自分たちの向かう方向を考える上で参考になると思う。市場の効率性は100%ではないが現代の金融市場では極めて高く、かつ大きな予測不可能性によって一流のポートフォリオ・マネジャーが特定年にアンダーパフォームしてしまうことが容易に起こる。自分は過去の実績があるから首にはならないだろうと思う労働者は、おそらくsignal to noise ratioの高いビジネスで働いてきただけである。数年単位の長い目で見れば一流ポートフォリオ・マネジャーとそれ以外との差、つまりAlphaを稼ぎ出す能力ははっきりしてくるものの、雇用継続を決定づけるもっと短い期間でのパフォーマンス変動に関しては神仏にすがるしかないのである。

著者の場合も入社後のプレッシャーは強烈なものになることが容易に想像できる。しかし大きなリスクを負ってでも、知的に吸収できるものが間違いなくたくさんある職場なので、雇用が続く限り多くのことを吸収し、また世の中にも還元していきたい。著者の場合、投資を本業にすることに対して昔から関心はあったが、業界の過酷さを考慮して踏みとどまり独学を続けていた。マーケティングや広告の機械学習アルゴリズムで一通りの実績を作ったから今回チャレンジを決意した次第である。したがって効率市場仮説に敗北して夢破れた場合には、またマーケティングの世界に戻ってくることになるだろう。不恰好ではあるが、よくも悪くも保険を作ってからの、中年としての挑戦である。

  • まぁこれは実際にはちょっと大げさに書いていて、著者の場合、データサイエンスという言葉から想像つく範囲の仕事もそうでない仕事もプランBやCを用意してあり、そういったプランが描ける理由は、結局のところ多くの人とのゆるいつながりのおかげだ
  • 基本としてコミットすべきプランAの実行に入る前に、プランB, C, Dを作っておけるかどうか、それぞれのシナリオの将来への進み方に関して動的計画法的な異時点間最適化をある程度できるかどうかが、成功するキャリアの鍵だろうと思う

解雇の話ばかり書くと後ろ向きに見えるだろうから、前向きのアッパーサイドの目標も書いておく。マーケティング、広告、金融市場すべてに対する機械学習モデリングを通じて、実際の資本の流れに関する統計的アプローチを確立し、経済学・経営学の教科書を部分的に書き換えること、それも経済学者の視点ではなく統計学者・コンピューターサイエンティストの視点から書き換えることが著者の長期目標である。

さて今回の記事では、著者の体験を元に転職に関する所感を書く。転職を意識している方への参考情報も記載した。昨今とくにシリコンバレーへソフトウェア・エンジニアとして移住する日本人が増えている。なのでそちらの情報は多くブログが散見されるのであって、日々参考にされている方も多いだろう。著者の場合は米国ではなく英国を選択したし、業種もバイサイド金融でいわゆるITとは少し異なる。金融業ならばスイスのチューリヒも非常に良い環境で魅力的だったのだが、著者の専門とつながる仕事がイギリスにあったという経緯である。

  • なお著者の選択はヘッジファンド転職にしては特殊で、他の労働者とはずれている
  • オックスフォードで働きたい・研究に近い場所に留まり続けたいという意思を優先させたためにサラリーはかなり妥協した
  • 友人からの参考値を見るに、単にサラリーだけを見ればウォール街の方が著者の2-3倍の値をオファーするだろう。これは誇張ではない
  • この業界に興味がある方でキャッシュがメインの目的である人(それは全く悪いことではない)はNew YorkやChicagoでオポチュニティを探すことをお勧めする
  • 著者の場合は価値観がサラリーに留まらなかった(もちろんお金も欲しいのだが)。1,000年近くの歴史に裏付けられた地政学的バックグラウンドのある場で学ぶ経験は、お金には代えがたい。マンハッタンの無機質な高層ビルの間で働くのか (著者は直方体外見の、センスなき建物が嫌いである)、それとも歴史ある建築群の中で働くのかの違いも大きい

外国の雇用情報に機敏な方はすでに十分情報収集をしているから著者の助言など無用である。したがって本稿は、エキスパートではなく転職を意識しはじめたビギナーの人を補助する前提で書かれた。ソフトウェア・エンジニアに関する情報も巷に大量にあって著者が言う必要などないので、ソフトウェア・エンジニアのカルチャーから離れた部分について書いてみた。

CVは整備しておこう & 英語をきちんと書こう

日本企業の人・外資企業だが新卒以降ずっと一社で働いてきた人の一部と話して驚くのが、自身の履歴書を整備していない and/or LinkedInにprofileを公開していない点である。履歴書とここで言っているのは、米国でResume, 英国でCurriculum Vitae (CV)と言われる英文書類のことだ。著者の考えでは、全ての労働者はこれを整備すべきだ。転職する気があるかどうかは関係ないし、転職先が日本企業であっても同様である。一部の読者は、LinkedInを整備することで現在の雇用主から罰せられることを恐れているかもしれない。参考情報として伝えると、英国でもLinkedInで積極的に転職活動していると思われるアピール文が見つかるとその社員を罰する企業が確かに存在するようだ。しかし文面は一定の倫理基準を守れば良いのであって、LinkedInのアカウントを取得して基礎情報を載せること自体を罰する話は聞いたことがない。加えて、LinkedInに仕事内容を書かなくてもCVに書いて個人として管理しておくことには何の問題もない。そもそも外向けのCVはconfidential情報を書くものではない。

CVを書くことで、自分が今までの仕事で何を計画し、何を達成してきたのか整理される。また定期的に履歴を振り返ることで、自分が次にどのようなキャリアを進むことで労働市場での競争力が強化されるかも、明示的に考えやすくなるであろう。頭の中でなんとなくイメージしていることと、文章に書き出したことの違いは大きいのである。CVを書く主目的は、転職とは独立したものであって、自分の仕事の品質と目的意識を高めることにある。著者の最初の職場では、履歴を入力するとCVのpdfファイルをビルドする専用システムが社内にあった。もっとも著者はそのシステムには頼らず自分でレイアウトを設計したCVを管理していた。社内システムは他の社員が参照するためのものだから、プロジェクト内容をconfidential情報も含めて比較的長文で正確に書くことになる。そのため外に公開可能なCVはやはり自分で作る必要がある。

CVで用いる英語には一定のルールがある。外国の企業に転職しない限り関係ないと思う方もいるだろうが、後述するように転職先が日本企業であっても英語CVの整備はとても役立つ。Writingルールに乗っ取って簡潔かつ強力に書くことで、アピールすべき自分の強みが何なのかはっきりしてくるだろう。CVの書き方に関する参考書はいくらでもあるが、たとえば著者の本棚には6年以上前から次書が入っている(著者がもっているのはこの本のVer 2.0である)。


英文履歴書の書き方Ver.3.0

LinkedInのprofileはCVのsubset or supersetにすると良いだろう。LinkedInのアカウントである程度まともに記述されたprofileであれば、ヘッドハンティングの誘いは頻繁にくる。外国の仕事、日本国内の外資、日本企業のいずれも来るため、日本企業に移るつもりの人もアカウントを取得すべきだ。日本企業であれば他の転職サイトでも移れるかもしれないが、日本語サイトでしか活動できない候補者と、日本語でも英語でも活動可能な候補者と、日本企業採用担当者から見てどちらが魅力的に映るか考えてみてほしい。

希望の職種とは無関係に、何に関しても重要なのは英語のWriting skill である。アカウントを持っているがあまり誘いが来ないと言っている人を見かけたことがあるのだが、著者と近いエリアで仕事をする彼の仕事は本質的には需要がある。しかし彼の場合は英語の書き方に問題があるのと、そもそも英語をきちんと書けという指導を前職以前にされてこなかったように見える。日本にヘッドクォーターがある彼の前職企業では、おそらくproject proposalやresearch proposalを提出して国際的にfund獲得のための競争をする機会がなかったのだろう。多くの日本人はListeningとSpeakingの能力に問題があると自分で思っているようだが、著者に言わせるとWritingがどの外国語習得でも一番難しいのであって、Writing skillを上げることにもっと労力を費やすべきである。Writing skillを持っている点で、まともなdefenceを通過したPhDホルダーは極めて有利な状況にいる。一流論文誌 or 国際学会誌に何度も通している研究者は、最小分量で最大メッセージを伝える英文の書き方を理解している。また作曲経験のある著者の観察では、多くの作曲家もWriting skillが高い。彼らは西欧の著作におけるpyramid principleに従ったwritingスタイルが論文・楽譜問わず一貫していることを知っているため、一流の作曲家に英文を書かせると洗練されているのだ。作曲家の友人の言葉を借りるなら、Writingができる人は、英語のスキーマと思考法が頭に整理されている結果ListeningやSpeakingの能力も自然に身についている。この意見に著者も100% agreeする。

LinkedInを通じてコンタクトしてくるハントの多くは読書諸賢の眼鏡にかなうほど面白い仕事ではないと思われるが、打率100%を狙ってはダメだ。そもそも返事しなければ打率の分母にすら入らないから気を落とすこともない。変な誘いが来ても無視するだけだ。忘れないで欲しい事は、多くのしょうもない誘いに加えて一部は確かに面白い仕事の依頼がくる点である。100種類の無意味なハントがきたとしても、あなたの望む仕事が1つ追加で勝手に飛び込んでくるなら、こんなにありがたいシステムもそうそうないだろう。LinkedInのアカウント取得は基本的に無料だし、著者は有料のサービスは特に何も使っていない。

著者の場合は、今回の雇用主からの誘いは一年以上前にあった。いきなりそれに飛びつくのではなく、自分がどうしたいのかをよくよく考えて昨年末から面接を開始し、今回の転職に至った次第である。なお面接に時間がかかっているのは、この会社の慎重な審査と著者自身が現職で残りの仕事のために期間調整した部分との相互作用結果であって、一般の転職はもっと短いスパン (1.5-2ヶ月くらい)で決まることが多い。

晴れて面接に通って転職を決める場合でも油断大敵である。CVの書き方とは別に、新しい職場での仕事の心構えについては、例えばこんな本でも参考になる。次書は少し労働者を脅しすぎに書いていて最高品質とは言い難いと個人的に思うが、何もないよりは読んでおいて損はないだろう。これより良い参考書を読者が持っているならそちらを参照して欲しい。


外資系キャリアの転職術―採用担当者があなたに教えない44の秘密

電話に慣れろ & Video chatに甘えないこと

これも昭和の親父の小言みたいなコメントだが、知らない人のために補足しておく。シリコンバレー界隈の仕事はSkypeやGoogle Hangoutなどの相手の顔が見えて高品質なオーディオで最初の面接を受けられることが多い。これはとても有難いことなのだが、この面接環境を与えてくれるのは世界的には一部の企業だけだ。加えて多くのベイエリア在住者は、外国人に優しくしようと努めているのか、かなりゆっくり喋るように見受けられる。これは英語に苦手意識をもつ外国人にとっては朗報であり、特に日本人ソフトウェア・エンジニアが率先して西海岸に渡る傾向と無相関ではないように思う。

他業種の企業だと面接は単なる固定電話 or 携帯電話からはじまり相手の顔は見えない。米国でも著者の知るNY / Boston界隈では電話だけで全てを済ます人がかなりいる。著者は今回の転職活動で複数の企業から経験したのだが、今回オファーを頂いた企業も含めて電話の音質がかなり悪かったりする。しかも面接官はそんなことを気にせず、少なくともベイエリアより早口で喋る。著者の場合は、電話がローパスフィルター気味で高周波がカットされてしまう点が、基本周波数がアメリカ英語よりも高いイギリス英語と相性が悪く、ヒアリングはそれなりにハードだった。技術的に知らないことがあるのをhumilityとして認めることは面接結果にそこまで悪く寄与しないと著者は思うが、そもそも英語が聴き取れませんだと問答無用で落とされる可能性が高い。ヒアリング問題については相当ハラハラした。

著者個人に関していえば自分の身の程を再確認したということでもある。もともと高校生や大学学部生のときは全然英語ができなかったのだが、外資での業務を通じて米国英語にはそれなりの自信をつけてきた。イギリス英語もデービット・キャメロン前首相やトニー・ブレア元首相の演説などで慣らしてきたつもりだが、しばしばBBC Englishと揶揄される彼らの英語は誰にでも聴き取りやすいように計算されたものであって、一般イギリス人の会話にそこまで期待してはいけない。コックニーまでいかずとも多くのイギリス英語に対処するにはまだ著者のヒアリングスキルは足りないということである。入社までの猶予期間である今現在もイギリスのテレビを使って耳を慣らしているところだ。

さて、対応策としてここで伝えたいのは、普段から業務で顔の見えない音質の悪い英語に慣れておくことである。聞き取りの面倒なテレコンになぜ参加する必要があると思うかもしれないが、むしろそれをさせてもらえる業務はスキルアップのチャンスだと思って今の雇用機会を積極的に利用しておいた方が良い。あなたがお金に少し余裕があるなら、(外国側の通信はどうしようもないのだが) 高性能で音質の良い電話機を買えば少しはマシになるかもしれない。著者はケチだったので8年も使い込んだ安物電話機で第一面接に挑んだ次第である。オファーで手に入れるサラリーのことを考えると、ここでケチった著者がとても非合理的であることが明白だからマネしないように。そして電話面接を何回か通過すれば後段の面接ではSkypeや専用のビデオ面接機器も使われるし、それらを通過すればon-site interviewだ。しかし電話面接通過以降であっても、事務連絡事項などは全て電話で飛んで来るし、現地のヘッドハンターとのやり取りも電話のみである(彼らは街中からふらっと日本まで電話をかけるのだ)。コミュニケーション手段の基礎が世界的には依然として電話にあることは忘れないでほしい。

独創性や非典型的である強みを活かそう

さて面接の心構えについて最後にコメントしよう。多くの企業では口頭による会話で面接が進むが、著者のような研究職の場合はそれに加えて1時間程度の自身の研究プレゼンテーションを課される。このプレゼンテーションでは、なぜ自分がその課題を解こうと思ったのか、prior workは何があってどのような欠陥があるのか、本質的なあなたのcontributionは何か、といった内容を事前に資料にまとめる必要があり、その内容は当日に全方位から審査される。要は国際学会発表や講演と同様である。著者の職務は投資アルゴリズムのソフトウェア実装も含まれるため、ソフトウェア・エンジニアには馴染みのあるcoding interviewもさらに課された。

  • ただ正直に申告しておこう。著者のcoding interviewにおける回答は他のソフトウェア・エンジニアほどは優れていないと思う
  • 著者の場合、そもそも決定的アルゴリズムの完璧性を競う世界にあまり興味がないのでcoding interviewテキストなどは演習したことがない。しかしソフトウェア・エンジニア職を狙う場合は時間をかけてこれを行った方がよい
  • 著者の実際のcoding interviewでは、面接時間に制限があるため、これだとerror処理がされていないなと思う状況でも課題提出しなければならなかった
  • ただ研究職では他人が思いつかないアプローチの発見とそれにより提供されたプロトタイプの有用性が重要なので、悪いcoding成績は大目に見られたということである
    • Topcoder的な短時間解決能力は二流であったが、Apache Sparkを使った分散機械学習アルゴリズムの実装や複数のプログラム言語の使用など、これまでの経験からカバーされる部分も評価の対象に入った
    • 一方で前職の経験を一切考慮しないポリシーの企業もあるから、応募先をよく調べた方が良いだろう
    • 基本的にソフトウェア・エンジニア職では、完璧に動くコードの提出を要求される

イギリスから日本の著者に直接ハントが来た背景はランダムではない。著者よりも前に半年から1年ほど該当職務に従事できる人材を欧州で探したものの、見つからなかったらしい。事前募集告知はイギリスでTier 2 (General) Visaで外国人を雇う場合の必須条件である。金融市場において、機械学習がAlphaを生み出すと主張する仕事のほとんどはi) over-fittingを理解していないか、ii) over-fittingを避けるよう設計したつもりだったが実は最初の仮説がテストデータから来てしまっていた眉唾物である。問題の難しさを正しく理解し、かつそれでもチャレンジしてみようと考えるデータサイエンティストがいなかったということなのだと思う。

  • i) をやるのは本当の二流だが、ii)は一流の人でも犯すミスである。ノイズが少ないデータならこれでもだいたいうまく行くが、資本市場ではうまく行かない

何がオファーの鍵になったか、無論のこと著者には正確にはわからない。しかし著者が独自で開発していた投資アルゴリズムが大きくプラスに寄与したことは確かである。この中身についてはそのPrior Workやすでに認識している欠陥など広範な質問を受けた。もちろん質問はこれだけではなく、機械学習PhDホルダーが持っているべきアルゴリズムの全般理解についても質問が飛んでくる。日本国内で著者と交流のある機械学習研究者はほぼ全員これらの質問は通過できると思う。一方で単にRやpythonの機械学習パッケージを使っています、だと面接突破は難しいだろう。日頃からきちんと基礎を学ぶことには報酬があるのである。

逆に面接をする側から物事を見つめてみよう。著者は伝統的な日本企業のやり方を積極的に高く評価している。むしろシリコンバレーのソフトウェア・エンジニア職におけるそれを無批判に真似することの方が問題がある。通常はCoding interviewと課題への熱意や相性の重ねがけで採用判断すると思うが、たまに前者を極端に重視する会社がある。著者の考えでは前者は単なるフィルターであって、やはり後者が重要だ。前者だけで雇われる人材というのは、極端な言い方をすれば単なる「お勉強ができる人」だし、会社側も昔の工場労働者を雇うときのように部品として画一的な人材を雇っている側面がある。原理的に解けることがわかっている問題で完璧さを争うスキルよりも、解けないかもしれない不確実性の高い課題にある程度の解決法を与えるスキルの方が実社会では重要だ。たとえ一流大企業の開発したメソドロジーであっても、現在のソフトウェア・エンジニア採用トレンドには疑問符がつくことがある。悲しいのは、これらの大企業の名声ゆえにその採用ポリシーを真似するフォロワー企業が後を絶たないことだが。

英米では多様な人材がものすごい数応募してくるので、全ての候補者に対して人間的に対応することができない。よって学歴などCVに書かれた内容で機械的にフィルターする傾向が強い。その点、面接を最初から重視する日本企業は柔軟だと思う。面白いのは、Amazon.comのすごく高位の職位の人から聞いた話で、Amazon.comではCVの重要性が意図的に低くされており面接を重視するそうだ。ある意味で日本企業のスタイルに似ている。真に合理性を重視する企業はこのような柔軟性を大事にしているのだ。私に話をしてくれたその研究者はもともと米国の有名大学のtenure professorである。彼は他企業および大学の採用ポリシーと比較した上でAmazon.comのユニークネスを伝えてくれた。日本企業のこれからの採用戦略における鍵は、いかにこの柔軟性を保ったまま移民も含めたより多くの候補者に網をかけるか、という点にある気がする。人事にデータサイエンスが適用されつつある最近では、人間的な採用には統計的再現性がないことにも注意する必要があるだろう。

面接をスキルセットの確認プロセスだとみなすのは大きな間違いだ。それは相性の確認であり、熱意と倫理の相互理解プロセスである。現在どの企業で働いている人であっても、その人の職務のnon-triviality に由来する独自性が将来強みに変わりうる。世の中の流れに逆らうかのように、シリコンバレー採用ポリシーに著者が批判的になるのは、彼らのサラリーがとても大きいためだ。この2年くらいで「とりあえずTopcoderの問題集を頭に叩き込んでおけば無理に世界初を研究しなくてもたんまり金が入るんだろう」といった受験勉強突破テクで人生なんとかなるといった昭和の嘆かわしい思想に類似した風潮をtwitter等で散見するようになった。リスクテイクしなくても金が入る、と考える人がたくさん出てきたら大災害の予兆である。現在のtech industryへのtailwindはもちろんAI技術のおかげでもあるが、FRBの金融緩和の影響が相当ある。今の浮世が今後も続くと考えるような軽薄な態度はいずれ罰につながるだろう。レミングス的な行動に対する報酬には負の歪度が付随するのである。

逆にいえば、なかなか研究成果が出ず研究室で悩んでいる貴方や、無理難題をふっかけてくる顧客に対してどのように交渉を挑むか悩んでいる貴方の報酬分布には正の歪度がある。確率的にではあるが将来大きなリターンがあるということであり。あなたこそが良い方のblackswanになるのだ。Madness of Crowdsに乗せられてcopycatを続け、大災害たる悪い方の blackswanを引き起こす衆愚性の集団とは逆の存在である。外国からわざわざ声をかけてくるのは、自国で良い社員を調達できなかったときであって、あなたが依頼国の他の従業員と大きく違っていることはとても強みになる。非典型的であることが大事なのであり、それは民族由来のものだったり、非自明な(習得層に負の相関があるような)スキルの組み合わせだったりする。i) 西欧と違う視点をもち、かつ ii) その視点の背後にある合理性を欧米人にわかるように噛み砕いて説明できる人には、とても大きなチャンスが存在することになる。i) を持つ多くの日本人労働者にとって課題は ii)であるが、ここをクリアできれば彼らの可能性はとても大きい。

ゆえに今苦しい立場を感じている読者諸賢にこそ、むしろ自分に強く自信をもってほしい。著者の転職体験談など所詮1サンプルに過ぎないのであって一番伝えたかったことはこのような人知れず zero to one を目指している人へのエールである。今回はここまで読んでいただき、ありがとうございます。

Integrityと資本配分と高ROCからの再投資

先日のBerkshire Hathaway Inc. Annual Shareholder Meeting出席に関してもう少し話を続ける。著者はOmahaへの渡航時には Value Investor Conference (VIC) 及び併催されるSummitに出席している。昨年はPhilanthropy Summit, 今年はCorporate Values Summitが開催された。VIC本会議が投資手法や経済環境そのものについて議論することが多いのに対して、Summitは投資における価値観 (values) を議論する。技術者の人たちには価値観を議論するカンファレンスというのは馴染みが薄いかもしれない。しかし実は技術よりも価値観と哲学こそが不確実性の高い時代を生きていくにあたって最も大事なものだと、著者は自信を持って伝えたい。本稿では価値観が投資基準にどう影響し、そしてビジネス上の意思決定にどうつながるのかについて議題を提供したい。

Robert P. Milesへの感謝

VICに加えて、2017年の著者はGenius of Warren Buffett  (GOB)というバリュー投資家のためのExecutive MBAのクラスに出席した。VIC, GOB共にインストラクターの Bob Miles (Robert P. Miles) が作り上げてきたプログラムである。

彼と話していると、そしてプログラムに出席していると、Bobのintegrityの高さが伝わってくる。WarrenやCharlieのvaluesがそのまま彼にも共有されていることがよくわかる。VICやGOBの講師はBobによって本当に注意深く選定されており、講演者と受講者のいずれからも信頼されている。米国では彼は著名人なので宣伝目的で近づいてくるファンドマネジャーが大量にいるのだが、彼はそういった人々を避け、正しい価値観の元で投資が続けられるように受講生や出席者を助けてくれる。

Bobは作家として認知されていて、彼の著者の一部は日本語にも翻訳されている。The Warren Buffett CEOの邦訳を紹介しておくが、Warren Buffet Wealthもお勧めである。

最高経営責任者バフェット~あなたも「世界最高のボス」になれる (ウィザードブックシリーズ)

Warren Buffett Wealth: Principles and Practical Methods Used by the World’s Greatest Investor

著者はGOBコースの日本人修了生第1号だそうであるが、第2号以降が読者の中から現れることを願っている。たった3日間の受講で、日本の国立大学授業料の半年分くらいの費用がかかってしまうのだが、この講座で身につけた倫理観と規律はこの後の人生においてずっとあなたを助けてくれると思う。リターンを追求する投資だけではなく、投資による資本配分がリアルのビジネスにどう影響するのか、なぜintegrityがmatterするのかがよく分かるのだ。

ここではGOBおよびVICに来てくれた講演者の中で特に印象的だった2人をピックアップしたい。1人目はNebraska Furniture Mart (NFM)の前CEOであるBob Battである。2人目はInvesting Between the Linesを出版したL.J. Rittenhouseである。彼ら以外にもWarrenの長女であるSusie BuffettやNational Indemnity Company (Berkshire傘下で大変な利益をあげている保険会社である)のCEOであるDonald F. Wursterといった豪華スピーカーと身近に話すことができて大変貴重な時間であった。

Integrityと再投資との関係

Bob Battは慎重さとリテール・ビジネスにおけるあらゆる知見、そして何より次世代に対する思いやりを持った、尊敬できる老人の代表みたいな人である。バフェットの専門をCapital AllocationからRetail Businessに変えると全てそのまま彼になるかのようだった。彼はcandorのある人物で、オンラインのe-コマースや消費にお金を使わないミレニアル世代など、自分たちのビジネスに現在吹いている逆風についても率直に語った。NFMはMrs. Bとして知られるRose Blumkinが創業した。Bobは彼の家系がMinsk (今はベラルーシ、当時はロシア)からどうアメリカに渡って来たのか話してくれた。

NFMは巨大な一店舗にあらゆる家具とアプライアンスが置いてあるblock and mortal storeである。実際のところAshley (たまたまであるが著者の自宅の近所に日本支店があって知っている) など質の高い家具がかなり安く買えるので、インテリア好きの人はアメリカ中西部に行くチャンスがあったらぜひ訪問してみることをお勧めする。Bob自身はNFMからは引退して今は子供たちを助ける慈善事業に全力を注いでいる。リテール・ビジネスにおけるインサイトは慈善事業の経営や政府の運営など公益の追及にもとても役立つそうだ。

NFMや同じくBerkshire傘下で宝飾品の販売を手がけているBorsheimsなどは、他のリテールビジネスとは異なった性質を持っている。店舗数がものすごく少なくて基本的にはsingle-storeで全てを提供するのだ(注: NFMは全米で4つしか店舗がなく、そのいずれも巨大である)。多くのbrick & mortal retail businessでは、小さな店舗をたくさん建設するfranchiseの形式を取る。NFMやBorsheimsは逆である。しかし、たった1店舗にものすごい在庫があってなかなか買い物が楽しく、しかも価格も競合より安い。日本で言うと、東急ハンズが定価販売ではなく量販店と同じ値段で売っているようなイメージだろうか。

このsingle-store policyはWarren Buffettの注意深いcapital allocation能力によってもたらされたものである。彼は合計売上高を増やすのではなく利益率を増やすことを傘下企業に強く求めるそうだ。もし店舗数の増大がコストの増大か顧客の低価格志向によるマージン低下につながるようであれば、Warrenは傘下CEOたちにむしろビジネスの拡大を避けさせるのである。

NFMでは比較的安いNebraska州での流通コストや人件費を武器に低コスト優位性を維持している。販売価格も安いがコストがそれよりさらに安く高い利益率が維持される。他者がこれを真似ようとしても同レベルの低コストが実現できないので、高価格販売して顧客からそっぽを向かれるか無理して値下げして破綻するかのいずれかになる(日本の量販店は後者の道に向かっている印象がある)。Bobは”We are conservative.”と率直に語っていた。政治の世界でのconservativeは色々議論があるが、このビジネスに関するconservativeは著者には心地よく聞こえた。低コストを武器にするのはAmazonのe-Commerce部門も同様だろう。自称高付加価値ビジネスは競合が参入するとあっさりと値下げの妥協を強いられるが、流通網の強さによる低コスト優位性は競合が真似できないのである。Amazonの場合は直近の利益率を犠牲にして世界中で低コスト状態を実現するべく拡大を続けているが、NFMは高利益率を維持する代わりにNebraskaから外に出ないのである。そして全米中から消費者をOmahaに連れてくる

Growthとかbig businessといった言葉に踊らされている人にはNFMのpolicyは奇妙に映るかもしれない。しかし資本の効率性を最大化する観点からはこのアプローチが正しいのであり、しかもこのやり方だと雇用を最大限守ることができる。どういうことだろうか。

Buffettは複数のビジネス領域に極めて通じた投資家である。彼は同じ1ドルを追加投資するならどこに投じたら良いのかが的確にわかる。NFMやBorsheimsの店舗をどこかの州にもう一つ作るのと、それとも傘下の保険会社の拡大に当てるのと、リターンがどちらが大きいのか判断できるのである。彼はdiminishing returnによって利益率がさちってしまったビジネス領域にお金を放り込む愚を犯さない。そしてNFMは店舗を増やさずとも、Omahaにとどまっている限り儲けた利益を翌年の運営のために再投資して、高い利益率を保ったまま安定的に売上も拡大することができる

テストステロンに心を支配された愚かな経営者は店舗を増やせばビジネスが短期間で飛躍的に増大して利益もうなぎ登りかもしれないと楽観サイドだけを考え、短期間で急激な拡大を狙うが失敗して多額の負債を背負う。従業員も急拡大して大量に雇ったと思ったら急に大量に解雇する(人の人生をなんだと思っているのだ)。NFMのやり方だと、circle of competenceを守ることで持続的雇用を提供できる。もちろん絶対的な雇用人数が大きく増えるわけではないが、やっと仕事が見つかったと思って働き始めたら急に解雇されて今までの時間はなんだったのだと、せっかく働きに来てくれる従業員を途方にくれさせるような事態を賢明にも避けているわけだ。実際、Berkshireではlay-offをしないことを大事にしているそうだ。昔のDempsterの件ではBuffettは誤りを犯したと考えているらしい。

そしてこのアプローチは投資としても非常に成功する。高い利益率を維持して再投資を続けることで、長い目で見ると複利によって資本が膨れ上がっていくのである。ある時+50%で増えたと思ったら翌年から+3%しか増えなくなってしまったなどというビジネスよりも、毎年+15%がコンスタントに続き際限なく増えていくようなビジネスの方が望ましい。グロース株などと呼ばれている銘柄の一部は前者のような一発あたり市場しか取れなかったりするし、一発狙いの短期思考の人は、利益の再投資によって膨れ上がる複利を過少評価する傾向がある。アインシュタインも人間が複利の効果に気づかないことについて言及しているようだ。ぜひ後者のビジネスを探してみて欲しい。

Integrityとデータ解析

実はバリュー投資家のコミュニティでは最近、quality of investmentsが成功の鍵だと言う意見が強くなっている。財務書評から読める定量的ファンダメンタルズも大事だが(これが分かるだけでロクでもない会社をお金を放り込む愚は避けることができる)、それ以上にCEOや会社の人格・価値観こそがリターンを決めるのだという見方だ。

L.J. Rittenhouseはcandorをshareholder letterやannual reportsのテキストから分析する方法を見出してきた。良いニュースだけでなく悪いニュースも率直に伝える正直さ・自分の誤り認める態度があるとか、株主への手紙で英作文に時間をかけて丁寧に最適な単語を選ぶような経営者のいる会社は成功確率が高いのである。経済と倫理との関係を大切にしている人にとっては朗報ではないか。この世界は技術者の人にとっても面白いかもしれない。彼女らのアプローチを参考に、自然言語処理を用いて株式のリターンを予測しても良いわけだ。著者も以下の書にサインをもらった。

Investing Between the Lines: How to Make Smarter Decisions By Decoding CEO Communications

Quality of investmentsの世界には心理学者も研究フィールドを広げている。昨年のVICにはFred Kielが以下の書の紹介も含めて来ていた。Rittenhouseに興味を持たれた方はFred Kielも合わせて追いかけると良いことがあるかもしれない。

Return on Character: The Real Reason Leaders and Their Companies Win