大切なことは(実は)ギャンブルが教えてくれる: 集中と分散の両取りと「良い宗教」による演繹

新研究テーマで実験に試行錯誤するうちにもう1Q 2018が終わってしまった。本当はこちらの社会での人とのつながりをもっと増やして行きたい気持ちがあるが、実験結果が出るまではどうしても一つのタスクに集中せざるを得ない日々が続く。その緩衝材というわけではないのだが、年末から最近にかけては日本や米国・東南アジアから友人が訪ねてきてくれて初めてオックスフォードを外の人に紹介する機会にも恵まれた。居住から9ヶ月以上すぎたにも関わらず実は筆者はオックスフォード市内に日本人の友人がいないという課題を抱えているのだが、彼ら長年の友人のおかげであまり寂しさを感じることはない日々ではあった [1]

一方で勤務先内では欧州の友人が増えており、ありがたい限りである。弊社の中でもdiversity & inclusionに関するイベントが最近行われたが、男女間のペイギャップが問題になっており改善を進めている一方で、社員の国籍が50種類を超えている点は賞賛されるべきだと思った。社員1300人程度の規模で50国籍というバラエティはかなり多いと思う。また筆者の所属するファンドは150人程度にも関わらず25国籍を超えている。ロンドンはおそらく世界最大の人種多様性を内包した街だ。その底力を見せつけてくれた感じがする。

今日のトピックであるが、数理ファイナンスの世界では基礎的によく知られている知見が、金融市場における狭い文脈においてではなく、様々の業種に共通して存在するもっと大きな意思決定問題にどう役立つかの好例を紹介したいと思う。ヘッジファンド・ビジネスの構造上、筆者個人の研究トピックは外に開示できないことばかりである。しかしこれを言い訳としてクローズドな世界に引きこもると、長期的には社会から隔離されたまずい存在になってしまうことも実感している。人種多様性というアドバンテージを持つ地域にいながらそのようなクローズドな存在になることは人生最大のチャンスをドブに捨てることと同義であろう。

幸い(?)なことに最近、知的財産上のconflict of interestを生じることなく自分の知見をむしろ積極的に世の中に提言できる面白い機会に遭遇した。これは経営者の友人との会話、および最近話題になっていた次の記事から連想されたものである。

友人は経営者として、直近ではキャッシュフローを生まないが将来は莫大なリターンを生む可能性のある研究開発と、直近のインカムが確実に手に入る現在のビジネスとの間でどう資本配分すべきかを悩んでいた。地方と東京との間の再配分問題も本質は似ている。経済が伸び続けるであろう東京に集中投資すべきなのか、それとも東京と違った特性をもった地方にあえて資本を分配する方が長い目で見るとリターンが大きいのだろうか。

類似の問題構造は欧州にも存在するようだ。イギリスで金融の仕事をしていると、ドイツ人やスイス人と話す機会が非常に多い。仕事以外の雑談を含めて話を聞くと、イギリスやフランスでは経済力がロンドン・パリに一極集中しているが、ドイツやスイスは連邦制国家ゆえに各地方都市の経済力がそれなりにある点が違うという話をよくされる。これはドイツやスイスに格差がないという意味ではない。1都市に完全にwinner-take-allされるか、それとも複数の代表地方都市にクラスタリングされるかの違いである。

  • なおドイツでもっとも裕福な都市はおそらくミュンヘンだが、ドイツ人の友人に言わせると、ローマ帝国の時代にローマ人が侵略して文明を持ち込んだ南側のエリアと、それより北の取り残されたエリアとでは経済力や物の見方に大きな違いがあるそうだ
  • パリの巨大さはoutlierを生み出すべき乗分布の中でもさらにoutlierである。Self-organising critical systemの研究で著名なDidier SornetteはDragon Kingという名称でパリの特異性を表現する。
  • EUの官僚機構やBrexitの今後の影響を議論するとき、イギリスのEU離脱のせいでフランスの極端にcentralisedなシステムがEUを通して波及しないか心配だ、というのが連邦制に親しんできたドイツ人がしばしば口にすることである。[2][3]

「東京で稼いだ経済余剰を地方に再分配でもっていかれて公共工事その他で浪費される」というのは都会の中流家庭でよく言われる言説である。また新古典派の経済学者はこのタイプの言説に比較的よく賛同する印象がある一方で [4]、東京人の多くは地方の何が苦境なのか理解していないという批判もよくある。上記の現代ビジネスの記事もその一つであろう。どちらの主張のどのような正当性があるかもっと数理的に理解したい場合、本ブログを読み終えた後にZiembaによるKelly criterionに関するSamuelsonへのレター [1] を読むとよい。

東京から地方への再配分は田中角栄元総理がその実行者として有名だが、その良き相棒であった大平正芳元総理の辿った道筋は非常に興味深い参考情報になる。地方への再配分が始まった時期と成長率が鈍化した時期には重なりがあるようだが、とりあえずインフラを作って需要を満たせば経済成長するという安易な選択が可能だった時代が終了し、次にどう進むべきか大学の役割も含めていろいろ苦慮していた様子がよく見える。


大平正芳 「戦後保守」とは何か (中公新書)

基礎研究も再配分も、全てポートフォリオ最適化として捉えられる課題である。金融市場でのポートフォリオ最適化の実務は、過去のリターンから推定された確率分布を用いるケースが大半だが(要は計量経済学と機械学習の塊に過ぎない)、過去からの帰納ではなくて将来の社会変化を見越してどれだけ演繹的にポートフォリオ最適化できるかが将来の明暗をわける。演繹といっても実際には全て演繹的に考えるわけではない。都市を発展させるための基礎要素に関する理解は過去の世界中の膨大な経験から帰納する。しかしこれらの帰納的ミクロピースをパズルのようにつないでマクロピクチャーを得る過程では演繹的思考がものを言う。このような社会状態は過去に経験したことがないが、これらの要素が重なれば原理的には将来こういう社会に移行するはずだというunseenだがforeseeableなものを特定する能力がいま求められている、というのが筆者の見解だ。機械学習ツールがオープンソースなどを通じて多くの人々に使われるようになるに従い、帰納的発想ばかり強くなり演繹的思考力が弱まることを実は危惧している。

今日のSummary

  • Right heavy tailがある投資は「少額資本をひたすらかけ続ける」のが正しい
    • 期待値の大きさに惑わされて巨額投下するのは破綻するギャンブラーと同じである
    • 一方で、1%の成功可能性をアウトカムの大きさを無視して0%に近似し、予算を直近のインカムゲインに全て振ってしまうのは官僚的な間違いである
  • 投資対象をクラスタリングすると良い。どのクラスターに対しても投下資本をゼロにしてはならない。しかし同一クラスター内では相対的に最も強いものに集中投資すること
  • おそらく日本の政策は全般にモーメンタムを過剰信頼している。中期ではモーメンタムが効くが長期では平均回帰的に再分配をした方がよい
  • 将来のリターンが読めない不確実な世界で効くのは実は宗教 (=事前分布)である

合理的な宝くじ

先日は先ほどの友人に下記の簡単なクイズを出した。読者諸賢はどう答えるだろうか?

  • Q. 反復可能な、ある賭けに参加したい。1%の確率であなたが賭けたお金は200倍になって帰ってくる。一方残り99%のケースでは賭けた金額は全て失う。この賭けに対してあなたはどのように自分の資本を投下しますか?

これは基礎研究の典型的なアウトカムを抽象化したものだ。同じく「低確率で巨大リターン」の政府発行宝くじ(期待値はマイナスである)とは違い、この賭けは期待値としては掛け金の2倍 (+100%のリターン)が帰ってくるというとても魅力的な性質を持っている。

しかし全損シナリオの発生頻度が高いため、期待値を最大にする賭けは決して選んではならないのである。自分の資産の10%をかければ+10%だし、50%をかければ+50%だ。なぜ+100%ではなく+10%で我慢する必要がある? 脊髄反射的に回答する人はこのように考えてしまうようである。では実際に期待値最大にすべく100%のお金を賭けたとしよう。99%の確率で破産するあなたにはnext chanceはない。質問文の冒頭にあるように、あなたはこの賭けに何度でも挑戦することができるのである。しかし財産が一度ゼロになってしまったら、次に賭けることは決してできない。0を2倍にしようがゼロはゼロである。期待値を最大化しようとした人たちの末路は1回目で99%の人は破産して終わり。極めて運良く200倍リターンを受け取った人も、また同じことをやろうとしたら99%の確率で破産する。2回連続で生き残れる人は0.01%しかいない。賭けの回数が増えると全がけした人たちの中の生存者は誰もいなくなることが容易に想像つくだろう。

直近の期待値を妥協することは悪いことではない。この賭けが本当に美味しいのは、賭けのリターンが複利で増えていくところにある。$1の資本しか持たない人が期待値2倍を受け取っても+$1されるだけだが、$100の資本を持つ人は期待値2倍で+$100受け取る。つまり、直近の期待値を最大化することではなく長い目で見て資産が確実に増大し、挑戦の後半で劇的な資産増価額を享受することが重要なのである。

反復可能でmultiplicativeな賭けを最適化するには、ギャンブルと金融市場双方の世界で著名なKelly Criterionについて学ぶとよい。その本質は、期待値ではなくて対数の期待値を最大化することにある。たったこれだけの本質が、Summaryに述べたような広範な知見を生み出すことになる。このような性質を議論するのに別にビッグデータは必要ないのだ。対数期待値を最大化するという、トリッキーだがとてもシンプルな本質は、最後に述べるように筆者の人生を大きく変えた。それくらい学ぶ価値のある規範だと言っておこう。

ある賭けのリターンを確率変数Xとしよう。例えば1.3倍 (+30%)のリターンは X=0.3と表現する。上記の1%で200倍, 99%で0のケースでは確率質量関数 p(X=x)を形式的には以下のように書けるだろう。

p(X=x)=\begin{cases} 0.01 & \mbox{ if }x=199\\ 0.99 & \mbox{ if }x=-1\\ 0 & \mbox{ otherwise } \end{cases}

この確率変数Xに対して、自分の資本を\alpha\in [0,1]の割合だけ投下する賭けをn回行うことを考える。初期資産を1とすると、n期後の資産はX_n(\alpha)=(1+\alpha X)^nである。Xが確率変数なのでX_n(\alpha)も確率変数であり、結果はランダムネスを伴う。しかし確率分布p(X)が定常であるゆえにその性質を解析することができる。

注目すべきは 資産増加率の対数 \log X_n( \alpha )=n \log (1+ \alpha X)である。掛け算の反復は対数領域では足し算の反復である。nが大きいと対数の法則によって\log X_n(\alpha) \to n {\mathbb E}_{p(X)}\left[\log (1+\alpha X)\right]となり、一回あたりの平均対数リターンが{\mathbb E}_{p(X)}\left[\log (1+\alpha X)\right]に収束していくことがわかる。この指標を最大化する\alphaこそがあなたが賭けてよい最大額なのである。また、nが十分に大きくない場合にはn期対数収益率 \log X_n(\alpha)自体にも大きな分散や歪度が乗ることがわかるだろう。このブレ幅も考慮した上で\alphaを決めなければならない。

簡単な方程式を解くことで、先ほどの1%200倍シナリオでは\alpha=0.005025という最適解が得られる。つまり手持ち資金の0.5%だけ賭けて99.5%は現金としてreserveすることというのが答えなのだ。この結果、一回あたりの期待値そのものは+1%に過ぎない。

数式が直感に響かない人のために簡単なシミュレーションを図1に添付した。1%しか成功確率がないような賭けの場合は、違いがはっきりわかるためにはn=10,000回くらいの施行が必要である。基礎研究のような超長期の賭けはこれくらいのスパンで見るべきということである。

\alphaをある種の最適値0.5%に対して、その半分の0.25%だけ賭けた場合、逆に2倍で1%賭けた場合、そして賭け過ぎで5%賭けた場合を横軸施行回数、縦軸(対数軸)資産で表示してある。対数期待値最大の賭けの半分だけ賭ける戦略はhalf-Kellyと呼ばれ、これでも3/4の資産増加率を期待できる割にボラティリティを大きく減らせるので好まれる戦略である。full-Kellyの0.5%の場合、half-Kellyよりもさらにでかく儲けるシナリオもある一方でダウンサイドがかなりある点に気づくだろう。しかしKelly基準やその亜種にしたがって賭けている限り破産はせず長期では資産が増加していくのである。一方でKellyの2倍賭けてしまったケースでは増えるのか破産するのかハッキリしないし、賭けすぎの5%では長期では一切資産が残らないことが確認できる。

bet_alpha0.0025bet_alpha0.005bet_alpha0.01

bet_alpha0.05

図1. 超長期 (n=10,000)で見たときの賭け割合の違いによる資産シミュレーション

図1は仮想ギャンブルを用いて簡単な数値例を示しただけだが、一般に、低い確率で大成功するようなタイプの賭けはものすごく少額だけを賭け続ける必要がある。大リターンに目がくらんで賭け過ぎればあっさり破産する一方で、0.005と0は同じだからなどといって特殊な基礎研究部門をリストラすると、資産1は10,000回分の時間が経っても1のままである。前者の二流ギャンブラーになってはならないし、かといって後者のように可能性を捨てた人間になってもいけない。この意味で強い規律が必要なのだ。

筆者がはじめて民間企業に就職したころは就職氷河期で、短期利益のためにどれだけ他人を解雇したかによって人事評価が上がり、それを武勇伝にするような輩がたくさんいた。この人たちの発想は、直近でキャッシュを生まなければゼロにしてしまえというnaiveなものであった。一方で、研究開発には夢があるのだからと過剰正当化を行ってKelly基準を超えた研究予算を求めるのも頂けないと筆者は個人的に思う。この少額だがゼロではない投資の世界における意思決定の専門家が、日本社会にも求められているように思われる。

クラスタリング的なポートフォリオ

最初の例は賭けの対象が一種類しか無かった。しかし基礎研究といってもほとんどお金のかからない数理科学的な分野から、材料科学や生命科学などハードウェア・実験環境に多くの予算がかかる分野までいろいろある。複数の投資対象が存在する場合に、長期的に見て我々の社会が発展していくためにはどのようにしたら良いのだろうか?

研究対象 i \in \lbrace 1,\ldots,m\rbrace のリターンを確率変数X_iで書いたときに、我々が気にするべきはポートフォリオの資産増加倍率である。研究対象 i に対する賭け金額を\beta_iとしたとき、我々は次の最適化問題 (1)を解く必要がある。

\max_{\beta_1,\ldots,\beta_m} {\mathbb E}_{p(X_1,\ldots,X_m)}\left[\log (1+\sum_{i=1}^m \beta_i X_i)\right]  (1)

\mbox{subject to} \sum_{i=1}^m \beta_i \leq 1,  \forall i~\beta_i\geq 0

最適化問題 (1)はいくつか面白い性質を持っている。その重要なものは

  • 凸最適化問題であり、山登り法で大域最適解が求まる
  • 解は一般にsparseになる。つまり、いくつかの研究対象 i については最適割合はゼロとなる。ゼロになりやすい対象の性質は以下のとおりである
    • 期待値そのもののオーダーが低くて絶対的な魅力が乏しいもの
    • i と相関の高い(似ている)他の研究対象の方が期待値が高い
  • しかし期待値が最大の研究対象に割合1を振るという結論にはならないのも面白い点である。相関が高いもの研究分野同士ではもっとも強いところに予算を集中させるが、離れた研究分野間では、たとえば生物学と地質学との比較で期待リターンが後者の方が低かったとしても後者にそれなりのウェイトを与えるようになる

といったことである。強いものに集中するという性質と、分野が違っている限り必ず分散するという一見相反する性質を兼ね備えているのである。いわば、投資対象の絶対的な魅力を考慮しつつ、分野をクラスタリングしているということができる。

クラスタリングという単語はアルゴリズム上も実はそのまま対応する。最適化問題 (1) は、2007年に著名機械学習国際会議NIPSで発表された convex clustering [2]と呼ばれるアルゴリズムの定式化とidenticalである。確率変数X_iが資産リターンではなく、カーネル関数 iからの確率密度関数または確率質量関数に変わっただけのものがKelly criterion最適化の代わりにconvex clusteringと呼ばれている。

何の奇遇であろうか、当時は金融知識については赤子同然だった筆者も、このconvex clusteringに関わっていた。将来の布石に結果論としてはなっていたのだ。アルゴリズム自体の高速化やカーネル関数を変えた場合の最適化結果に関しては2年ほど研究しデータマイニングの応用論文にまとめていた [3, 4]。先行文献から知ったこととして、convex clusteringはoptimal compressionなどとも呼ばれて、機械学習とポートフォリオ最適化の双方でよく研究されてきたようである。k-means法と違って単に大域最適解が求まるというのが興味のきっかけに過ぎなかったのだが、当時はわざと人工データをいろいろ生成してどういうカーネル関数がどういう結果をもたらすのか相当に調べたものである。地味なアルゴリズムでも、深く性質を考えるとときどき面白いことがあるものだ。

  • 今考えると明後日の方向の実験をかなりたくさん行ってしまったのだが
  • もし許可されるなら今の知識でより洗練された投資論文を出版したい気持ちもある

ここまでの議論では、背後の確率分布は定常であり、かつパラメータが既知であるという仮定をおいていた。実際の意思決定においては、確率分布は時間変化するしそのパラメータは推定されなければならない。確率分布の時間変化は金融市場においてはモーメンタムファクターやバリューファクターを用いて抽象化できるが、昨今の基礎科学予算配分の誤りはどうやらモーメンタムへの過剰信頼から来ているようなので、後段ではモーメンタム効果について特に述べる。また推定行為のほうであるが、過去のデータから取得するという機械学習的帰納発想に凝り固まってしまうと判断を間違えるであろう。

  • なおそれでも帰納的アプローチを取る場合、得られた分布にはestimation errorが乗るのでそれをベイズ法などでmitigateするのが良い
  • たとえばfractional-KellyポートフォリオをJames Steinの縮小推定の観点から正当化した[5]あたりが良い参考文献である

話を研究予算配分政策や地方への再配分の話に戻そう。基礎研究の世界では「選択と集中」政策こそが日本の科学技術力が衰退した原因だという主張がある。

 

これは日本の役所が行う「選択」行為がモーメンタム投資に似ているから起きてしまうことであるが、モーメンタム効果については次章で議論することとして、まずは時間定常な確率分布が背後にあった場合のケースだけを参考に議論しよう。直近のリターンに過剰に集中する行為は期待値がもっとも高いところに割合1を割り当てて、それとは異なる分野をアンダーウェイトしてしまうことに対応する。このアンダーウェイトは長期的に見ればコストが高くつく。なぜなら分散投資効果によるボートフォリオのボラティリティ削減メリットが得られないからだ。違う研究分野の双方にウェイトを割り当てることで、一つの分野がうまく行かない期間のドローダウンを抑えることができ、複利効果ではこのリスク削減が効いてくる。

分散投資の背後にある根本思想は、金融工学で著名なMarkowitzと筆者が紹介しているKellyとでは大きく異なる。Markowitz的な思想に基づくと、分散投資はリスク削減手段に過ぎない。もしリスクを気にしないリスク中立投資家がいた場合、期待値最大のところに全額つっこむべきであるという発想が出てくる。一方でKelly的なポートフォリオでは、分散投資はあくまでリターン最大化の追求で貪欲さの産物として生まれるものである。分散投資は複利によるリターンを最大化するために導入されるのであり、過剰集中したポートフォリオはむしろ資産増加率が足りない。Kelly criterionでも短期のリスクを減らしてはいるのだが、長期的に見た場合にはあくまでリスク削減ではなくてリターン最大化のために分散投資が必要であるという思想がMarkowitzの信者とはずれている

  • なお、実は面白い裏話として、当のMarkowitzはむしろKellyの方法を賞賛していたのだがSamuelsonは批判にいたったという違いが存在する

加えて、相関の高いアセット同士ではもっとも強いものに集中するという点にも大きなインプリケーションがある。研究室AがConvolutional Neural Net (CNN)の何らかのアーキテクチャを研究していて、研究室BがやっぱりCNNのちょっとしたバリエーションを研究していて、などという事態が発生した場合、研究室A&Bの双方にお金をさいてはならない。AかBのより強い方、またはAもBもできるようなもっと優れた研究室Cに集中投資すべきである。研究室BがAよりも研究成果が弱く見えたとき、研究室Bへの予算割り当てを正当化できるのはBがAと大きく違う分野に舵をきったときでしかない

要は、世の中のトレンドと似たり寄ったりの分野に力を注いでいるかぎり、そのような研究者には消えてもらわなければならないのである。この意味でKelly criterionは厳しい競争淘汰を要求する。しかし同時に、多様性の確保に腐心する研究者に対しては、たとえ彼らの既存研究実績が悪くてもとても寛容なのだ。とてつもなく大きなpositive skewnessを持っているような確率分布では、empirical meanは真のmeanを過少推定するためであり、既存実績が悪いから研究予算を削減するというのは長期で見たときのリターンを削減してしまう。

ともかくこれらの、競争と福祉、アメとムチのバランスを対数期待値最大化というシンプルな原理で解決するわけである。

東京と地方の資本配分にも同様のことが言える。もし、地方で東京とは大きく違った産業が育つなら、たとえその絶対的なGDPが東京より劣ってみえても再配分は大きく正当化される。個性の高い産業は、東京が特定のショックにやられて慢性失業状態のような状況になったときに日本全体の存続に役立ってくれる可能性が高いからだ。たとえば筆者も多少の縁があるポーランドは2008年のリーマンショックによるダメージがもっとも小さかった国の一つである。それまでの彼らは、建設業など「古い産業」に集中していたことが幸いした。一方で金融危機後のワルシャワはここぞとばかりに産業シフトを図り、むしろ中欧・東欧の金融セクターの中心地として劇的な発展を遂げてきた。今年2018年秋にポーランドはRussellによる分類で途上国から先進国に分類され直される。大きなファンドin-flowが見込まれる。

地方の意思決定者が金融バブルに浮かれる昔の欧米と東京を類似の存在とみなし、ポーランドのように合理的にチャンスを待つ姿勢をもっている限り再配分は正当化される。一方で彼らがメディアによる洗脳から来る東京への羨望を捨てられず、東京コピーを地元に作ろうなどと考えはじめたら、予算配分担当者はこのようなcopycat思想をとる地域に容赦してはならない。

筆者は日本の産業セクターの地域間分布に詳しくないが、少なくとも水産業や林業、あるいは未来のエネルギー産業などは東京より地方の方が産業ポテンシャルがあるだろう。金融機関やITソフトウェア会社は都市への過剰集中状態である東京の方に分がある。より理想的には、東京の金融・ITセクターのエンジニア・数学者たちが物理資源を利用した地方ビジネスにチャンスを見出してくれると良い協業ができる。彼らの多くはデジタルをデジタルのままで完結させてしまっていて、本当のprofitableなビジネスモデルがなかなか作れずにいるためだ。そのような理想的な誘致のためには、東京のような経済的ベネフィットが地元にないと嘆くよりは、東京人の目が節穴なうちに違う分野で一山あててやる、と山師のように意気込む方が健全である。

  • テキサスの人々がサンフランシスコのカルチャーに呑まれたりしないのと同じことだ
  • 地方から優秀な学力をもって東京に出て来た人たちが関東圏の私立校出身者の不甲斐なさに驚くことがあるようだが、その直感は決して間違っていない。ただ都会の問題点を熟知している関東圏の人もたくさんいるので都会人も決して侮らないように。いつだって未来に良い仲間ができるチャンスはある
  • 関東圏出身の筆者のまわりを見れば、キャリア上で大変お世話になった方々には地方出身者が多くいるし、彼らは独自性の追求を実際に日本国内・海外の双方で今も実践している

非定常化での動的配分

さて定常環境下での最適配分と比較すると東京への過剰集中や研究分野の『「選択」と集中』は合理的最適解からかけ離れていることを指摘した。だが、これらの過剰集中を一時的に正当化しうるファクターが存在し、金融市場ではそれはモーメンタム効果と呼ばれている。モーメンタムを考慮すると、どの程度現在の政策が正当化されうるか議論しよう。

Naiveな政策担当者が、「東京が今の所最も優れた都市だからもっと東京に資本投下しろ」と発言する場合、彼はモーメンタムの存在を仮定している。モーメンタム効果を都市開発にあてはめると、最近経済成長率の高かった都市は今後も経済成長率が高いという意味であるが、この効果の実態は、金融市場の性質と実態経済や基礎研究のあるべき姿とで適用されるべき時間スケールが違っていることに注意すべきである。

まず金融市場では、過去にあがった株価が今後もあがりやすいというのは、過去半年から最大で2年くらいのリターンに対する現象である。5-10年では平均回帰し、過去5-10年間にリターンが高かった銘柄は今後の5-10年はむしろリターンが低いという現象が多くの市場で観測される。モーメンタムに着目する場合は1-2年くらいで機動的にポートフォリオを入れ替えなければならない。過去5-10年の成功を当てにして投資するとむしろ惨めな目にあう可能性が高い。


ウォール街のモメンタムウォーカー

個人的考えでは、この時間スケールは企業活動に対する投資家のunder-reaction / over-reactionの速度に起因するもので、東京という街の強さを評価するにあたってはもう少し長い時間スケールが適用されるべきだろう。風水害に対して非常にrobustであるという特性を徳川家康が高く評価した時点で、東京には金融市場の心理的熱狂に起因するモーメンタムではなくmoatとなるべきファンダメンタルズが存在する。東京の強さはこの5-10年で出てきたような短い一過性のものではない。しかし一方で、どんな経済現象もいずれは平均回帰の波に飲み込まれるということは覚えておいた方が良い。5-10年という時間スケールでは、金融市場では平均回帰がおきるが、地域間の再配分に関してはむしろモーメンタムによる東京への一時的重点配分が正当化されるかもしれない。しかしそれでも、もっと長期の20-100年スパンでは東京もドローダウンに苦しむ日々がやってくる。そのような状況で日本全体のポートフォリオを存続させるには、東京とは異なる産業基盤が地方に育っている必要があって、20-100年単位の再配分は忘れてはならないように思われる。無論、top-downの政府からの再配分よりも情熱ある起業家が地域を変えてくれるbottom-upアプローチの方がより良いのではあるが。

事前分布としての文化資本・宗教

さて再配分しようにも単に金をばらまくことが投資ではない。再配分自体はしなければならないが、何を配分すればいいのか多くの人には分からないのである。数理的な表現で言い換えると、おそらくは地方にも複数の面白い投資候補はあるのだが、地方の中のどのアセットに資本を投下すべきかがわからない・リターンの確率分布がわからないのである。見かけ上の帰納的アプローチだけで意思決定することの限界が顕著なように思われる。

たとえば、冒頭のブログ著者の指摘にあるように、文化資本の欠落は地方の大きな問題であろうが、ではその文化資本を対象地域にどうやってinstallできるだろう? あるいはそれはtop-downの政策で介入主義的にinstallするべきものなのだろうか? 文化資本をtop-downに”installする”ことのリターンは、自律的にbottom-upに市民の学習関心・自助努力に任せることに比べてどれだけupsideがあるのだろうか? top-down政策に由来するupsideの限定・downsideの拡大になったりはしないだろうか?

筆者は地方出身ではないが、「文化資本の欠落」はフラクタル構造であることを幼少期より身にしみて感じている。筆者の最近の身の回りでいうと、東京と地方の格差と同様に、日本のエリートとイギリスやヨーロッパのエリートとの格差を顕著に感じる。それはオックスフォードに来たから感じるわけではなくて中学生の頃からずっとおかしいと感じていたことをオックスフォードの地で再確認しただけなのだ。

たとえば、日本社会は移民を単なる労働力としてしか認識せず、コミュニティとして受け入れることを頑なに拒絶しているように見受けられる。これはたとえBrexitが決まっても多様な人々が共生するロンドンとは極めて大きな違いである。イギリスも島国ゆえに日本と同様にシャイな人は多いし、xenophobiaに取り憑かれた人々もそれなりにいる。しかしそれでも大多数の人は相手の幸福を考える心 (これは日本人も多く持っているはずだ) を他人種との共生にうまく適用できているように感じるし、シャイな人こそ大体の場合親切である。

(余談だがこちらの望月さんは筆者の前職時代の同僚で大変に尊敬できる人格の持ち主である)

東京とロンドンの差は、エリートの卵である東京大学の学生とオックスフォード大学の学生との差からも読み取れる。筆者の実感では、数学的能力・アナリティカルな能力に関しては東京大学とオックスフォード大学の若者とで大きな差はない。計算能力だけ見れば東大の方がはるかに上手かもしれない。しかしこちらの学生は、未知の分野を学ぶこと・自分たちと違う社会の人たちについて学び交流することには、おそらくは大きな喜び・リターンがあるだろうという、未知への可能性に賭ける信念・ベイズ統計学でいうところの事前分布を持っているように思われるのである。

ここでのポイントは、個々の学生は、過去に外国の歴史や異なる宗教について学んだら嬉しいという体験があったからまた学ぶことにしたという、経験 (= 観測値)に基づいて意思決定しているわけではないという点である。未経験の状態で学習をはじめられることが本質的に優れているのだ。個人にとって詳細は非観測であるが、自分の知らない世界でもっと長い間ワークしてきた信念にはそれなりの意味があるであろうという演繹的思考によって事前分布を設定することが彼らの知的好奇心・学習意欲につながっているのである。

そしてなぜこのような事前分布を持つことができるのかと問うとき、筆者は宗教の偉大な力に感服せざるを得ない。観測が足りない不確実な世界ではデータよりも事前分布がものをいうことは機械学習研究者には容易に想像つくことである。

たとえば、大学にいっても対して人生変わらないかもしれないし、自分にとっても面白いかどうかわからないけど、何も理由がなければ行かないより取り敢えず行ったほうがよいという信念も一つの優れた事前分布である。とりあえず事前分布として大学に行くことを前提する。大学にいってみて、たとえばBill GatesやLarry Ellisonのように、大学の講義や議論よりも信じられないくらい没頭できるものを見つけてしまったなら別に中退してもよい。それは観測によって事前分布が事後分布にupdateされたからである。この事後分布は個人とキャリアの相性といったより詳細な情報を取り込んでいて事前分布よりも優れた予測能力を持つ。しかし重要なのは、観測が手に入ってから判断するのではなく、観測がない段階で良い事前分布をもとに一定のギャンブルをする能力なのである。

地方産業育成で何が良い将来リターンにつながるかは筆者にもわからない(というと正確にはちょっと嘘で、水産業その他で日本の地方の投資で面白そうなものはいくつもあるのだが、あまりここで書くと金融機関上の規制に引っかかってしまうのでここはご容赦ください。一見デジタルでないものに旨味がある)。しかしこのような良い事前分布を人々にもってもらうことは長期的には有益だろう。もし、大学に行くことは無意味で時間の無駄であるという、誤った信念 – より正確には、一部の例外(e.g., Gates, Ellison)にとってはtrueになりえるがたくさんの事例をかき集めてきて汎化したときには悪い事前分布とみなせるもの -がどういう過程で広まったか、どうすれば覆せるかわかるならそれは良い投資になるだろう。この場合、top-downで無理やり信念をinstallすることはあまり答えではないように思われる。地域社会から世界に羽ばたいた先輩といった身近な接点の方が、ある日東京からやってきた計画主義の人々よりもずっと適切な答えを提供してくれるはずだ。

  • これらのコメントは過疎地域に住んでいた人には奇妙にうつるかもしれない。もちろん筆者は基本的には都会地域出身の人物でありこれは外野の意見に過ぎない
  • しかし文化資本の欠落という現象だけに関しては筆者も個人的体験に起因する意見をそれなりに持っている。筆者が中学2年まで住んでいたのは千葉県流山市という地域であったが、東京からさほど離れていないはずのこの地域では、校内暴力やそれを抑えるための異常な管理教育が常態化していた
  • たとえば、すぐ近所の鉄道高架下のトンネルでは通り魔が金属バットで子供に殴りつけるなどという事件について聞かされたし、ゲームセンターにはあまりに恐喝魔が多いのでとにかく娯楽施設に行くなという生活指導ばかりされた。加えて、校内暴力と管理教育のせいで近所の高校で校長が自殺したなどというニュースを聞かされたことを覚えているのだが、Wikipediaが読める現代にいたってそれが事実であったことを再確認させられてしまった! これらの環境から、中学や高校というのはどれだけ怖いところなのだろうと子供のときは怯えていたものである
  • しかし私立中学に進み、その後神奈川のもっと裕福な市民が住んでいる地域に引っ越すことでこれらの殺伐とした環境とは無縁になった。神奈川で最初に発見したのは、本屋さんのラインナップが千葉よりも面白いというものであった。筆者にとって最初の読書体験の楽しさは中学1年のときに親から東京八重洲ブックセンターを教えてもらって訪れたときであるが、八重洲ほどではないものの神奈川・東京多摩の地元で結構いろいろなものが見つかるなと、流山との格差を実感したことは覚えている
  • つまり東京近郊でも見えない格差があり、そういった再帰的構造にどうアプローチするかが問われているのだろう

地方により良い信念を持ってもらうための方法論と、アナリティカルな能力は少なくとも優れている東京大学の学生たちに広い意味で世界を知ったリーダーになってもらうためにはどうすべきなのかといった方法論は共通だろう。ただ筆者の本音としてはやはり、壁はかなり厚い。ある程度年齢を重ねた読者諸賢なら気づいていると思うが、キリスト教やユダヤ教・イスラム教の力は本当に偉大だし、アジアでもジャイナ教徒がなぜ優れたダイヤモンドディーラーになったかの経緯などを知ると、優れた宗教とは優れたビジネスそのものなのだと痛感する。日本でも仏教に由来する優れた実践的思想があるが、宗教的実践を一見非合理なものとして棄却してしまう発想(それ自体が一種の宗教だが)が人生の幅拡大を妨げるケースが多いように見受けられる。オウム真理教の事件などを通じて、宗教に関して社会がtraumatiseされることで、人々が自分の内側にもっていた宗教の合理性・非合理性を自覚できていないようである。

今すぐ役に立たないものの長期リターン

最後になるが、Kelly Criterion由来の意思決定は筆者の人生を大きく変えたという個人的経験をお伝えして終わりとする。7年も前に2年程度の時間をかけたに過ぎなかったconex clusteringまわりの応用とアルゴリズムの挙動分析は、当時は単に筆者個人の興味からスタートしたに過ぎなかった。筆者よりも確率論に詳しい一流研究者から見たら、ある意味でどうでもいい問題を扱っていただけに過ぎないかもしれない。あるいは筆者ではなく彼らが同じ研究分野に従事したら遥かに優れた研究成果を短時間で出したかもしれない。実験内容を思い出しても、人工データとカーネル関数の差し替えによる実験はビジネスに直結するものとは言い難かった。人工データではなく実データを見ろという批判は機械学習では昔から常につきまとうものであったので、まさに筆者は他の有識者から批判されやすいことをやったと言える。

しかし数年後、convex clusteringとKelly criterionが本質的に同一の最適化問題を解いていることに気づいた時期と、そして演繹的な意思決定と帰納的な機械学習アプローチのintersectionがおもしろい境界領域であることに気づいた時期とが幸運にも重なったのである。そこにヘッドハントまでやってきたことで、金融ビジネスとは無縁であったはずの筆者に突然イギリスでの仕事機会が舞い降りることとなった。このような複合的組み合わせによるチャンスは、数学力のような単一のスキルで勝負するのではなくいくつもの見えない個人的投資が重なってはじめて結実するものである。

今、とてもノイズが多く帰納的アプローチによって容易に間違った結論を出しかねない環境の中で、当時の実験経験はrobustnessを確保するための様々なプロセスに役立っている。また保守的なincome投資のビジネスと革新的な基礎研究開発によるcapital gainとの間に横たわる溝にどうアプローチするか考える上で、より広いレベルでのポートフォリオ構築にも役立っている。このような今のリターンはそれまでの筆者の「業績」とか「伸びそうな分野」に基づいた帰納的判断だけによる意思決定では得られなかったであろう。未知のものには果敢に学び、飛び込んでみるべきであるという宗教だけが将来を変えてくれるのだ。

今回久しぶりに簡単な数式をブログに載せる機会を設けた。本当はもっと紹介したい気持ちもあるが、そこから先は筆者のproprietaryな研究内容につながってしまうためこれ以上書くことはできない。このように限定された情報公開であっても、Kelly Criterionとconvex clusteringの示唆することから自分たちの社会のあり方を見つめ直す人々が多く出てきたら望外の喜びである。とくに、普段incomeがすぐに入るタイプのビジネスかまたはpublic sectorでの仕事に忙殺されており、基礎研究のようなpositive skewedな確率分布からのリターンに馴染みが薄い人にとっては、自分と研究者との間のコミュニケーションになぜ大きなギャップがあるのかを理解する手助けになると思う。

少額でいいがゼロではいけないという規範の合理性を、確率論に詳しくない市井の人々が理解しはじめたら世の中は大きく変わると思う。願わくば、基礎研究における予算配分政策に携わる人たちにこのような規律が浸透していくことが、twitter等で同業者の嘆きを日々観測している筆者の望みである。

References

Footnotes

  • [1]なお、これ読んでる地元の方で研究トピックの雑談交換に興味持たれた方いましたらぜひご連絡ください。一応、St Antony’s CollegeのNissan Institute of Japanese StudiesのKeijiban mailing listには登録してもらったのですが積極的に活用していない状態です。
  • [2]フランスの極度にcentraliseされたシステムを批判するドイツ人たちは一方で、EUという共通通貨のせいで南欧諸国の自動車産業が苦境に立たされた経緯をよく理解していないようである。南欧諸国は怠慢だから経済成長力が低いという誤認は比較的典型的なようだ。ある意味で、誤った長時間労働信仰から抜けられない日本と似ているかもしれない。共通通貨が南欧諸国の経済を傷つけるメカニズムを実際に説明してみると、ある程度の学がある人であれば彼らも気づくようなので、わかってて悪意ある通貨統合をしているというよりは、純粋に無知から来ている様子である。ドイツは過去のワイマール共和国時代のハイパーインフレーションが今もトラウマとして残っていると彼らはよく言う。この状況で緊縮財政のドグマを捨てることは彼らには難しいだろう。トラウマから来るインフレパラノイアが、時には財政出動を必要とする南欧諸国との考え方の違い・緊張状態の根本要因になっているように思われる。この価値観の違いを見る上で、どうやら、EUの成立理念のである、二度と戦争をしないというコミットメントの維持には通貨統合が大事だとの思い込みが相互理解を妨げているように思われる。よく考えてみれば、言語の違う欧州各国をアメリカのように単一国家とするのは無理があるし、通貨統合などなくても貿易関税をなくすだけでも十分な相互恩恵・戦争抑止効果がある。ドイツが過剰にEU大国幻想にとらわれることが、例えばBrexitを主導したボリス・ジョンソン(著者はこの政治家を尊敬できないのだが)の言説に一定の説得力を与えてしまった面は否定できない。
  • [3]南欧諸国がドイツの追求を振り切った例として、左派と右派の合意のもとにトロイカ3国への返済を遅らせて自国投資を優先したポルトガルがある。ポルトガルはこの7年で劇的な経済成長を遂げた
  • [4]経済学者の言説は、SamuelsonやMarkowitzの研究成果をもとに期待値が高いアセットに極力betするのが合理的だと考えるところから来ているせいではないかと思う。これはレバレッジを無限にかけることができてどれだけダウンサイドがきても破産しない状況では正当化できるが、資本が有限のときは本質をついていない。著者はKellyの方が本質をついていると考える側であり、Kelly的にポートフォリオを組む場合は再配分は正当化される。SamuelsonはKellyを批判したのだが、Ziembaも指摘するように時が経てばたつほどやはりKelly criterionは本質を突いているように思われる
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投稿者: rikija

機械学習・認知科学・投資アルゴリズムの研究者。作曲家 (アマチュアですが鋭意努力中) Twitter: @rikija / https://twitter.com/rikija 論文実績等は https://sites.google.com/site/rikiyatakahashi/ を参照

“大切なことは(実は)ギャンブルが教えてくれる: 集中と分散の両取りと「良い宗教」による演繹” への 7 件のフィードバック

  1. 知的な文章、ユニークな視点、鋭い考察に見入ってしまい繰り返し読んでいます。
    広告でのデータサイエンスとファイナンスでのデータサイエンスはどちらも「最適化」問題に落とし込め、抽象度を高くみると本質的には同じ解決策という認識でいるのですが、その理解でいいのでしょうか?(自分はまだ知識や経験が不足している部分があります)

    現在学習中で、広告・ファイナンスでのデータサイエンスにおいて数学的な知識で必要な分野、オススメの文献をアドバイスしていただきたいです。

    遥か先をいく高橋さんに教えていただきたく、突然ですがコメントさせていただきました。
    よろしくお願いします。

    いいね

    1. 石川さん、

      ご質問ありがとうございます。より正確には、ある種の積分を求める近似として最適化問題が出てきます。

      広告と(投資目的の)ファイナンスは、機械学習が適用可能という点では共通ですが問題の性質はかなり異なります。広告ターゲッティングは、比較的予測しやすい問題で最近はむしろ計算の高速化の方が重要です。市場予測はもともとほとんど予測不可能な中でわずかに予測可能な成分を取り出すものです。また広告やe-commerceは割とどんな説明変数もわずかに予測に有効なのに対して、市場予測ではほぼ全ての変数が無効です。初学者が広告ではRやscikit-learnなどのパッケージを使ってとりかかると、広告ではとりあえず「ランダムよりはマシ」なモデルが比較的簡単に作れます。ファイナンスは「ランダムと何の違いもない」モデルばかり出来る傾向にあります。

      統計学用語でいうと、Signal-to-Noise (S/N) Ratioが高く背後にあるシグナル関数の真の入力次元も高い問題が広告、S/N が低く真の入力次元が低い問題がファイナンスということになります。

      参考文献ですが、広告の世界ではもともとYahoo ResearchにいてCriteo (オンライン広告の世界ではとても有名なフランス企業です) に移り今はGoogleで働いているOlivier Chapelle が第一人者の一人と言って良いと思います。彼の論文の中でも、Simple and scalable response prediction for display advertising が最初に知っておくべき事項を一通り取り上げています。

      ファイナンスの方は文献はいくつもありますが、私見では先行研究の要素技術を知るよりも前に「投資家としてのメンタルモデル」を育成することをお勧めします。これ抜きでいきなり単に精度追求のkaggleコンペのようなものとして問題を捉えてしまうと、いつまでたっても良い戦略を作ることができません。ノイズが高い世界では、経験則に安易に頼ると「実はランダムなパターンに法則があると思い込んでいるだけだった」ケースが頻発するためです。

      あるパターンに「見えるもの」を発見したときに、それが本当にシグナルたりえるパターンなのか、それともランダムネスによる見せかけなのか、どのようにして判定するのかを、市場の仕組みによる物理制約と統計的モデル選択の双方から考えられるようになる必要があり、これにはかなり長い時間を要します。それをまず知るという上でkey personとしては Joel Greenblatt, Pat Dorsey (Value Investor), Edward Thorp (Quant) あたりの書籍や関連論文を追いかけると良いでしょう。

      この業界は「機械学習で株式市場でぼろ儲けしてやる」と意気込んでやってきて、みせかけのover-fittingに騙されて実際にトレード開始したら何もリターンが出ず退場していく機械学習リサーチャー or エンジニアが後を絶ちません。業界で数年働いている人でも、signalとnoiseを識別する能力が疑わしい人はかなりいます。そのような問題点を的確に理解した上で可能な限り説明した書籍としては、最近Marcos Lopez de Pradoが書いた次がいいと思います。

      Advances in Financial Machine Learning

      なおこの人のホームページにはとても重要なことがいくつも書いてありますので、くまなくチェックするのもお勧めです。

      以上ご参考になれば幸いです。

      いいね

  2. 高橋さん
    詳細にアドバイスいただきありがとうございます。

    現状の自分では、たどり着けなかった視点や有意義な情報でした。
    これからの学習に活かして行きます。

    「投資家のメンタルモデル」についてですが、広告や他の領域においても「物理的制約」「統計的モデル選択」の双方から検討できるようになった方が精度や成果に繋がりやすいという認識で良いのでしょうか?

    ”Signal-to-Noise (S/N) Ratioが高く背後にあるシグナル関数の真の入力次元も高い問題が広告、S/N が低く真の入力次元が低い問題”
    ということだったので、「問題を設定し、事象を観察し、モデリングを行う」部分は計算の高速化などと分けて考えると
    ファイナンスでの必要になってくる素養が広告や他の”Signal-to-Noise (S/N) Ratioが高く背後にあるシグナル関数の真の入力次元も高い問題”に対しても効いてくるのかと感じました。(ノイズが多い方が難度が高い問題と感じたため)
    もし解釈違いをしていればご指摘お願いします。

    いいね

    1. 石川さん、

      統計的モデル選択について理解することは広告・ファイナンス問わずいかなるアプリケーションでも有効です。物理制約と私が書いたものは、多くのデータサイエンティストからは「ドメイン知識」という名称をあてがわれています。同じドメイン知識でも、広告の場合は、消費者がどういう時間帯やコンテクストで活発化するかを考えますので、一般の方にも馴染みやすいでしょう。(server side, demand sideどのレイヤーで予測するかにもよるのですが) 広告で一般的なClick-through Rate (CTR), Conversion Rate (CVR)を予測するというタスクにおいては消費者の活動パターンについて自分自身の消費者としての体験まで含めて想像力が働けば十分だと思います。

      一方で金融の場合は、基本的に自分よりも一歩先を行っている人たちの行動が自分にどう影響するか考えないといけません。「自分がパターンを発見して儲けようとしたところを他のプレイヤーがさらに先読みして打ち消そうとする」効果があることを覚えておかなければなりません。長く成功する投資戦略はこのadversarialな効果があっても生き残るものだけです。そのような長期戦略が可能になるためには、あるパターンが見つかっても何らかの理由でそのパターンを打ち消す効果が働かない必要があり、それは他の投資家の資金制約・リスク制約だったりするのですが、そういった背後の事情を総称して私は物理的制約と書きました。

      単純化すれば、広告はお客さんのことだけ考えればほぼ済むのに対して、金融はかなり競争的環境ということです。
      むろん両方の分野を深く学べば双方のタスクで有効なモデリングができるでしょう。広告市場でも、広告主に対して一定金額のCost per Acquisition (CPA)をコミットして、自分はリスクをとってCost per Click (CPC)で入札に向かうトレーダー的な広告代理店プレーヤーがいて北米では一般的になっています。この代理店の場合は(お客さんにコミットしたCPA) – (CPC) / (真のCVR) が自分の利ざやになりますが、より予測精度に自信がある他の代理店がより高いCPCでも入札にくる場合があります。このような代理店トレーダーに関しては、広告であってもいずれ株式市場と同様にかなりS/Nの低いデータと戦うことになるでしょう。まだそこまで競争的になるほど業界が成熟しているわけではないでしょうが、近いうちにそうなるでしょう。

      いいね

  3. 高橋さん

    ありがとうございます。
    とても学びになりました。理解が少し深まった気がします。

    高橋さんのブログは、過去記事まで読むくらい楽しみにしています。次回更新がとても楽しみです。
    学生時代に一番感銘を受けた本がタレブのブラックスワンで、高橋さんもタレブやブラックスワンについてブログで触れていたので面白い縁があると感じました。(最近タレブが絶賛していたマンデルブロも読みました)

    私自身はタレブ的な思想をベースにしてこれから学びを深めて行きたいなと思っています。
    まだ、タレブやマンデルブロの考え方をツールの使い方や成果に結びつける所に深い溝を感じていますが、いつかはその考えをベースにしてパフォーマンスが出せれたらいいなと思っています。
    まだまだ知識・経験共に足りないのでノイズに反応することも「シグナルが無く、これ運じゃないか?」という気持ちになることも多々あります(笑)

    最後に「統計的モデル選択について」オススメの書籍や読むべき論文があればご教授いただきたいです。

    いいね

  4. 石川さん、

    モデル選択に特化したテキストというのはちょっと知らないですね。基本的に、次の3書籍でcross validationや経験ベイズ法、あるいはMinimum Description Lengthなどはカバーしていると思います。金融時系列で必要となるtime-series cross-validationはプロでも間違える難解な問題でこれらのテキストでは取り扱ってません。そちらについては前回紹介したMarcos Lopez de Pradoの書籍をお勧めします。

    Machine Learning: A Probabilistic Perspective (Adaptive Computation and Machine Learning)

    The Elements of Statistical Learning: Data Mining, Inference, and Prediction, Second Edition (Springer Series in Statistics)

    Pattern Recognition and Machine Learning (Information Science and Statistics)

    気力があれば、タレブは著書だけでなく彼のホームページに載せてる論文 (投稿前のものもあります)を追ってみると良いですよ。たとえば経済学者を批判するときに、具体的にどの前提の部分を批判しているのかよくわかります (例. 行動経済学における双曲割引は指数割引の割引率に不確実性があるときに積分の結果として出てくるので、指数割引が合理的と言ってる連中は実は不確実性を無視した場合の議論をしてるだけだ、等)。マンデルブローたちの発見したことを実務レベルまでに昇華させるにはこれまた長い学習を必要としますが、キーパーソンとなる研究者としてはDidier Sornette, Jean-Philippe Bouchaud, Rama Cont あたりを追うと良いでしょう。

    もし読んだことがなければMark Buchananは書棚に常備しておくと良いと思います。私が言った物理制約というのが、具体的にどう発生するかちょっとだけ想像できるようになります。

    市場は物理法則で動く―経済学は物理学によってどう生まれ変わるのか?

    いいね

  5. 返信が遅れてしまい申し訳ございません。
    先はかなり長そうですが、頑張っていこうと思います。

    実は自然言語処理を用いた株価予想という研究テーマで考えていたのですが、高橋さんから様々なことを教えていただく中で難しさを感じました。(ノイズが非常に多い等)
    先行研究ではツイッターと取引データを用いた予想などがありましたが、しっかり研究案を具体化していかないと、ノイズの多い株価予想でノイズをパターンと思い込んで結論を導く形になりそうな気がします。

    Advances in Financial Machine Learningは購入して手元にある状態なので、無駄にならない形で自然言語処理を用いた予想の研究案を練っていこうと思います。

    いいね

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